以下、『月刊日本』平成26年6月号に掲載された「わが国の医療制度を破壊する混合診療解禁」を転載する。明治天皇が明治44年2月11日に下された「施療済生ノ勅語」に言及し、國體の観点からわが国医療制度の破壊に警鐘を鳴らした。
金持ちにしか受けられない医療が増えていく
住友商事相談役の岡素之氏が議長を務める規制改革会議が、保険診療と保険外診療(自費診療)の併用を認める混合診療を拡大しようと躍起になっている。安倍政権は、それを6月策定予定の「成長戦略」の目玉にしようとしている。
今回新たに提案されたのが、患者に選択権を与え、患者と医師が「合意」すれば個別に混合診療の適用を認める「選択療養制度(仮称)」だ。混合診療が広がれば、製薬会社は厳しい臨床試験が必要な保険診療の適用を避け、高額で売れる自由診療に向かうに違いない。その結果、金持ちにしか受けられない医療が増えていく。一度混合診療に組み込まれた最新の治療や薬は、保険診療の対象にならなくなるだろう。
新自由主義者たちの狙いは、本来公的医療保険で扱うべき医療の範囲を縮小し、その分を自由診療に移し変えることにあると指摘されている。また、混合診療を全面解禁してしまうと、有効性や安全性の確認できていない技術が広がる恐れがある。『愛媛新聞』(4月19日付)も次のように報じている。 続きを読む 『月刊日本』編集部 「わが国の医療制度を破壊する混合診療解禁」 →
以下、『月刊日本』平成26年5月号に掲載した「『顔のない独裁者』が描く近未来─新自由主義の結末は地獄だ」を転載する。
国民の統合を破壊する道州制
3月28日、政府は国家戦略特区諮問会議を開き、国家戦略特区の第一弾として、東京都を中心とした東京圏、大阪府を中心とした関西圏、沖縄県、新潟市、兵庫県養父市、福岡市の6区域を指定した。東京圏は国際ビジネス、イノベーションの拠点、関西圏は医療などのイノベーション、チャレンジ人材支援の拠点とするという。
この特区も、アメリカが推進するTPPも、グローバル企業の利益拡大こそが最優先されている。しかし、グローバル企業が理想とする社会は国民にとってはまさに地獄そのものである。新自由主義による「改革」を推し進めた後に到来する社会はどのようなものなのか、それを具体的に示してくれるのが、三橋貴明氏の企画・監修で、さかき漣氏が著した『顔のない独裁者 「自由革命」「新自由主義」との戦い』(PHP研究所)が描く社会である。同書はフィクションだが、極めて具体的かつリアルにわが国の近未来が描き出されている。
物語は、「顔のある独裁者」が支配する大エイジア連邦の一員となった日本が、抵抗組織「ライジングサン」のリーダー駒ヶ根覚人のもとに革命に成功し、日本を奪還したところからスタートする。駒ヶ根は圧倒的な国民支持を受けて総理に就任する。まず、駒ケ根政権は太平洋連合(Pacific Union=PU)への参加を決める。PUはTPPのような協定と考えていい。そして同政権は道州制を導入。日本は北海道、奥羽州、東京州、越陸州、東海州、中央日本州、瀬戸州、伊予州、筑紫琉球州の9道州に分けられ、それぞれが独立採算制を義務づけられた。道州制導入によって、各種公共サービスの権限は、中央政府から各道州政府に移管された。
だが、この道州制導入が悲劇をもたらすことになる。それを象徴するのが本書にある「道州制が社会に浸透し、いつの間にか日本国民は他道州の住民について、同じ日本国民であることを忘れるようになっていた」という記述だ。
続きを読む 『顔のない独裁者』が描く近未来─新自由主義の結末は地獄だ(『月刊日本』平成26年5月号) →
五 生きる力としての「みこと」意識
市場原理主義の信奉者たちは、競争原理によって社会は発展するのであり、競争のないところに進歩はないと主張する。確かに、社会主義的な平等分配の思想は、人間の意欲を奪いとるという欠陥があった。だが、一方で競争社会の弊害も無視できるものではない。そこで注目されるのが、「人との競争ではなく、自らの存在価値を高めようとすることによって生じる意欲こそが重要だ」と考える皇道経済論の発想である。「四、成長するための生産=『むすび』」で書いた宇宙の創造に参画という考え方が意識されるとき、人間の生きる力は大きく変化する。岡本廣作は、日本経済とは、日本国民全てが、生まれて生み、生まれて生みの生成発展の永遠飛躍の生命力である「むすび」の道に参じて、各人がその分に従って、そのつとめを尽くすことだという[一]。
一方、永井了吉は、「みこと」(一人一人の人間)が、それぞれの生命を最も充実させることが奉仕にほかならないとする。しかも、「みこと」それぞれが全宇宙過去未来に亘つて唯一無二の個性を持つことが、個性が尊貴である理由であり、その綜合によって全体としての大創造が可能だと説いた[二]。 続きを読む 忘却された経済学─皇道経済論は資本主義を超克できるか 五/おわりに →
四、成長するための生産=「むすび」
皇道経済論者は、人間もまた、宇宙の創造に参画すべき存在と考えた。「むすび」の思想に基づいて、この点を強調したのが、作田荘一であった。彼は、古事記や日本書紀などの古典によって、わが国独自の道の真髄を悟り、「創造そのことを以て生活の宗旨となし、『むすび』の道を以て万事を統べ貫き、而も斯の道を行ふものが億兆心を一にする全体であることは、我等の古ながらの変りなき尊い伝統である。…『むすび』の道に随ふとき、始めて労働神聖の意義が明らかとなり、その実現が保証される」とむすびを強調した[i]。
一方、古神道に没入した東京帝大教授の筧克彦は、皇産霊神(高皇産霊神と神皇産霊神)は、創造、化育、生成を行う神様であり、人間の各々も創造、化育、生成の働きを、皇産霊神の下に行っていると説いた。
筧の影響を受けた、農本主義者の加藤完治もまた、創造とは、我々が物を作るときに、命のない物に、我々の命を叩き込む、我々の魂をその中に入れることだと述べた。そして、化育とは、命のあるものと命のあるものとが向き合って一方の命が他の命を刺激し、これによって円満完全に発展させることだとした。彼は、「磨かれた精神を以て相手の生物に対する場合、相手は立派になる、相手を立派にするべく努力するその時の又此方の魂が磨かれて行く」とも述べている[ii]。 続きを読む 忘却された経済学─皇道経済論は資本主義を超克できるか 四 →
三、エコロジーに適合した消費の思想
「万物は天御中主神に発する」という皇道経済論の考え方は、物の運用、管理、消費の仕方について独特の考え方をもたらす。一切のものを大切にし、無駄なく完全に活かしきるのである。
例えば、岡本廣作は、日本国民は「大君のおんもの」である財産を、上御一人の御仁慈に応えるように活用しなければならないと説いた[i]。
無駄なく完全に活かしきるとは、それぞれの「勿体」(もったい)を活かすことにほかならない。「勿体」とは、もともと仏教用語で、その物の本体、価値などを表している。万物に価値、存在意義があり、それを活かし切ることを重視することを意味している。つまり、「もったいない」とは、そのものの価値を完全に活かしきれていないことをいう[ii]。 続きを読む 忘却された経済学─皇道経済論は資本主義を超克できるか 三 →
二、神からの贈り物と奉還思想
「君臣相親みて上下相愛」する国民共同体を裏付けるものは、わが国特有の所有の観念である。皇道経済論は、万物は全て天御中主神から発したとする宇宙観に根ざしている。皇道思想家として名高い今泉定助は、「斯く宇宙万有は、同一の中心根本より出でたる分派末梢であつて、中心根本と分派末梢とは、不断の発顕、還元により一体に帰するものである。之を字宙万有同根一体の原理と云ふのである」と説いている。
「草も木もみな大君のおんものであり、上御一人からお預かりしたもの」(岡本広作)、「天皇から与えられた生命と財産、真正の意味においての御預かり物とするのが正しい所有」(田辺宗英)、「本当の所有者は 天皇にてあらせられ、万民は只之れを其の本質に従つて、夫々の使命を完ふせしむべき要重なる責任を負ふて、処分を委託せられてゐるに過ぎないのである」(田村謙治郎)──というように、皇道経済論者たちは万物を神からの預かりものと考えていたのである。
念のためつけ加えれば、「領はく(うしはく)」ではなく、「知らす(しらす)」を統治の理想とするわが国では、天皇の「所有」と表現されても、領土と人民を君主の所有物と考える「家産国家(Patrimonialstaat)」の「所有」とは本質的に異なる。 続きを読む 忘却された経済学─皇道経済論は資本主義を超克できるか 二 →
一、肇国の理想と家族的共同体
「人民の利益となるならば、どんなことでも聖の行うわざとして間違いない。まさに山林を開き払い、宮室を造って謹んで尊い位につき、人民を安ずべきである」(宇治谷孟訳)
『日本書紀』は、肇国の理想を示す神武創業の詔勅をこのように伝える。皇道経済論では、国民を「元元」(大御宝)として、その安寧を実現することが、肇国の理想であったことを強調する。
山鹿素行の精神を継承した経済学者の田崎仁義は、皇道の国家社会とは、皇室という大幹が君となり、親となって永遠に続き、親は「親心」を、子は「子心」を以て国民相互は兄弟の心で相睦み合い、純粋な心で結びついている国家社会だと説き、それは力で社会を統制する「覇道の国家社会」とも、共和国を指向する「民道の国家社会」とも決定的に異なるとした[i]。
続きを読む 忘却された経済学─皇道経済論は資本主義を超克できるか 一 →
はじめに
平成二十二年のクリスマスの日、漫画「タイガーマスク」の主人公の名義で、群馬県の児童相談所にランドセルが届けられた。これをきっかけに、全国で続々と施設などへランドセルや文房具などを贈る人々が現れた。この間、鳥取県琴浦町では大晦日から降り続いた雪によって、車千台が国道九号線に立ち往生した。このとき、付近の住民たちは「トイレ」という看板を作って家のトイレを開放したり、ありったけの米を炊き、おにぎりを作って配って回ったりしたという。
小泉政権時代に強まった新自由主義路線により、わが国の共同体は破壊され、互いに助け合って生きていくというわが国の美風が失われたと批判されてきたことを考えると、こうしたニュースはせめてもの救いと感じられる。
新自由主義路線は一旦頓挫したかに見えたが、いま環太平洋パートナーシップ協定(TPP)をめぐって、再び息を吹き返そうとしている。TPPは、決して第一次産業に限定された問題ではなく、アメリカの「年次改革要望書」による規制緩和要求と同様に、国民生活に直結する制度変更の危険性を孕んでいる。市場の拡大、経済効率、国際基準を旗印にして、再び規制緩和が叫ばれようとしている。しかし、こうした動きに対する警戒感が強まらないのは、わが国本来の経済観自体が過去の遺物として見失われているからではなかろうか。皇道経済論の発想を理解することは、わが国本来の経済観を再認識する契機となるだろう。
続きを読む 忘却された経済学─皇道経済論は資本主義を超克できるか はじめに →
天皇の大御宝である労働者をまるで使い捨ての道具のように扱うことは、わが國體に適わない。ところが、飽くなき営利追求に走る大企業は労働者を道具として扱おうとしている。その動きを象徴するのが解雇規制の緩和であり、労働者派遣の完全自由化である。
いま、東洋大教授の鎌田耕一氏を部会長とする「労働力受給制度部会」が、労働者派遣法の大改悪を目指して動いている。労働側の反対で年内の報告書とりまとめを断念したが、鎌田氏は平成26年早々のとりまとめを目指している。
國體護持の立場から、保守派こそが「大御宝の道具化」反対の先頭に立つべきである。
財閥富を誇れども 社稷を念ふ心なし
興亜思想と世界皇化
興亜論者たちは、日本の理想を国際社会へ適用する上で、大きな障害となっていた植民地支配、人種差別を世界からなくし、すべての民族が独立し、対等の関係に立てるように世界を変革しようと試みた。例えばアジアに志した荒尾精は、すでに明治二八(一八九五)年三月に、『対清弁妄』で次のように書いている。
「我国は皇国也。天成自然の国家也。我国が四海六合を統一するは天の我国に命ずる所也。 皇祖 皇宗の宏猷大謨を大成するの外に出でず。顧ふに皇道の天下に行はれざるや久し。海外列国、概ね虎呑狼食を以て唯一の計策と為し、射利貪欲を以て最大の目的と為し、其奔競争奪の状況は、恰も群犬の腐肉を争ふが如し。是時に当り、上に天授神聖の真君を戴き、下に忠勇尚武の良民を帥ひ、有罪を討して無辜を救ひ、廃邦を興して絶世を継ぎ、天成自然の皇道を以て虎呑狼食の蛮風を攘ひ、仁義忠孝の倫理を以て射利貪欲の邪念を正し、苟くも天日の照らす所、復た寸土一民の 皇沢に浴せざる者なきに至らしむるは、豈に我皇国の天職に非ずや。豈に我君我民の 祖宗列聖に対する本務に非ずや」 続きを読む 政府の外交と在野の興亜論者 →
『維新と興亜』編集長・坪内隆彦の「維新と興亜」実践へのノート