著者は『王道アジア主義者・石原莞爾の魂』で「覇道アジア主義」に対置して「王道アジア主義」の可能性を説いたが、本書では大川周明のアジア主義に新たな可能性を見出そうとしている。
著者は大川周明の神人合一論、万教帰一論に着目し、それぞれの民族固有の思想が真の姿に立ち返るとき、民族を超えた普遍性を持ちうることを示そうとしている。
中国人には天下という固有の秩序観があり、日本人には八紘為宇という固有の秩序観がある。大川のアジア主義を支えていたのは「御宇」(ぎょう)だった。
「御宇は……古典に於ける実際の用例に徴すれば、明白に『宇宙を統御』するの意味にして、単に日本を統御するだけの意味でない。そは『天下(あめがした)知らす』と訓み、常に外国に対する宣命に用ひられ、国内的に用ひらるる『大八州国知らす天皇』と相対して居る。……外国使臣に対する詔書には『明神御宇(あきつかみとあめがしたしらす)日本天皇詔旨』又は『明神御宇天皇詔旨』とすべしと定められたる所以である」
筆者は、中国の「天下」、大川の「御宇」はともに民族固有の思想だが、大川の言う「大生命」(宇宙の真理)に則ろうとすれば、それは極めて普遍的な思想となると強調する。
そして、中国の思想家劉擎氏が中国固有の「天下主義」に基づきながら、「天下主義」ではなく敢えて「新世界主義」を標榜するのは、「天下主義」を普遍的なものにすることを意図しているからだと指摘し、「我が国の八紘為宇、大川の強調した『御宇』=『天下知らす』もまた、本来普遍的な考え方であるはずだ」と述べ、次のよう呼びかける。
「いまこそ日本人自身が、大川が到達したアジア主義の真髄を継承し、欧米中心の国際秩序に代わる新たな秩序構築に参画するときなのではなかろうか」