「マハティールは、いまこそ日本へ訴える」(『わーずわーす』平成十六年十一月号)

 令和六年五月二十五日、日本郵便元副会長の稲村公望氏と大アジア研究会代表の小野耕資氏とともに来日中のマハティール閣下にインタビューした。
 私がマハティール閣下に最初にインタビューしたのは、ちょうど20年前の平成十六(二〇〇四)年十一月。『わーずわーす』に掲載した記事を紹介する。

『わーずわーす』創刊号

マハティールは、いまこそ日本へ訴える
■西洋近代文明を批判する舌鋒衰えず
 二十二年間にわたってマレーシアを率いてきたマハティール首相は、二〇〇三年十月三十一日、惜しまれながら引退した。それからちょうど一年経った(二〇〇四年)十一月八日、クアラルンプールのプトラジャヤで、前首相に単独インタビューすることができた。
 内政の舵取りから離れた前首相には、重責からの解放感といったものも感じられた。首相時代よりも自由に発言できるようになっている。もちろん、歯に衣きせぬマハティール節は健在だ。
 執務室の机の上には二台のパソコンが、書棚には分厚い百科事典が、そして書棚の隣の棚には使いこんだコーランが厳かに置かれている。
 「慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において」など、コーランの一節を刻んだ木彫は、気品に満ち溢れ、東南アジアの伝統を強く感じさせる。
 この光景こそ、マハティールの思想と行動を余すところなく伝えている。彼の思想を支えているのは、イスラームの教えである。だが、それは決して近代化に背を向けるものではない。彼はテクノロジーの発展に力を注ぎ、自らハイテク機器も使いこなす。また、読書家としても知られるマハティールは、貪欲に知識を吸収し、それを生活に生かそうと心がけている。つまり、彼にとってイスタームは、モノの面でもココロの面でも生活を豊かにするための思想の基盤である。
 インタビューでは、どの質問に対しても、的確な回答が即座に返ってきた。まもなく七十九歳になる高齢とは思えない反応の速さである。だが、何より私が強く感じたものは、ココロの平静と揺るぎない信念である。それもまた、彼の信仰に支えられているに違いない。
 終始穏やかな雰囲気でインタビューは進められたが、二度だけ表情や語気が変わった。一度は、ブッシュ大統領再選に関して質問したときである。一瞬にして厳しい表情に変わり、強い言葉でその対イラク政策を批判、ブッシュ再選は世界にとって大惨事だと言い切った。
 もう一度は、東アジア経済グループ(EAEG、後にEAEC)構想を提唱した経緯について説明しているときである。EAECを葬ろうとしたアメリカ自身がNAFAT(北米自由貿易協定)を形成していることに言及したとき、語気が鋭くなるのが感じとれた。また、彼はブッシュ政権に追随する日本にも批判的である。
 ただし、我々はマハティールの声を単なる外交政策の次元だけでとらえるべきではない。モノに偏重した西洋近代文明に対する根源的な批判の声として、彼の言葉を受け止めるべきではなかろうか。


(撮影:カミコウベアツシ)

■侠気あふれる人物、マハティール
 七年ほど前、マレーシアへの視察ツァーに参加したときのことだ。そこに参加していた二十歳代の日本人女性が、しきりに「まは様は、素敵」と連発する。すぐに「マハ様」のことだと了解して、マハティール首相はなぜ素敵なのかと尋ねると、「侠気があるから」という。
 侠気などという言葉を聞くのは久しぶりのことだった。ここで使女が言った侠気とは、いわゆる「男らしさ」だけではなく、強きをくじき、弱きを助ける心、損得を顧みず果敢に行動する態度であろう。
 マハティールは、確固たるポリシーを持って、理想を実現しようとしてきた。相手がどんなに強大だろうと、また批判する結果、いかなる不利益を被ろうとも、不正義を見逃すそうとはしなかった。
 一九九七年七月、タイの通貨ジーツの暴落をきっかけに、通貨危機が東アジア一帯に波及した。地道に築き上げてきた経済は、一瞬にして叩き潰されたのである。マハティールは、ヘッジファンドなどの欧米の機関投資家が投機的な売り浴びせをしたのが通過暴落の主因と見て、その象徴的な存在ジョージ・ソロスを槍玉にあげた。しかし、その結果、通貨と株価の下落にさらに拍車をかけることになった。それでも、彼は批判をやめようとはしなかった。
 欧米のメディアからは、市場経済を理解できない分からず屋だと叩かれた。だが、その一年後、国際社会はマハティールの主張の正しさを認めた。

■根底に流れるのはイスラームの教え
 マハティールは、大国に対しても遠慮なく批判を繰り返してきた。ブッシュ政権の対イラク政策を厳しく説判し、アメリカのイスラーム系ウェブサイトで、その再選阻止を呼びかけたほどである。彼がブッシュを批判してきたのは、単にアメリカが嫌いだからではない。アメリカが振りかざす民主主義、市場万能主義、力による外交などを支えている価値観そのものに挑戦しているのである。
 責任を伴わない行き過ぎた自由、共存や相互扶助の理想を踏みにじる弱肉強食の経済原理、すべてを善悪に二分し、悪を力でねじ伏せようという発想を批判しているのである。そうしたマハティールのバックボーンが、信仰の力である。
 彼はイスラームがもともと平和を求める教えであることを強調し、いかなるテロにも断乎反対の立場をとってきた。
 投機家を執拗に批判したのも、投機という行為自体を許せなかったからである。イスラームでは経済行動においても、神から発した万物が正しく扱われなければならないという思想が貫かれている。奪うよりも与えることによって得られるココロの価値を彼は求めている。彼の外交は、隣人を富ませるという発想で貫かれているのである。
 つまり、マハティールはイスラームの教えに基づいて、正義を唱えてきた。彼は、すべての人に受け入れられる普遍的な考え方としてイスラームを復興しようとしているしかも、本来あらゆる宗教に普遍的な価値があると信じて、それらを尊重する立場を明確にしてきた。
 戦前、日本の興亜論者の間には、欧米列強の植民地支配や人種差別に示されるような、国際社会の不正義を正そうという崇高な理想が確かに存在した。それらを支えていたのも、神道や仏教の信仰に基づいた正義だったに違いない。
 マハティールは、イスラームを単に正義を支える教えとしてだけ重視しているのではない。精神的発展だけではなく物質的発展の基盤となるイスラームという考え方を推進しているのである。
 かつてイスラーム教徒は、天文学、医学、物理学、化学、エンジニアリングなど、科学技術の発展をリードしていた。時代を経て、イスラームは科学技術の面で欧米に遅れをとるようになったが、一九世紀後半には、アフガーニーやアブドゥフらが近代に適応したイスラームを模索した。
 つまり、マハティールは人間の幸福には、モノとココロがともに充足されることが必要だという立場に立ち、イスラームは人間の生活のあらゆる側面で活かされると考えている。彼は、一九九一年に示した長期構想「ワワサン2020」で、二〇二〇年までにあらゆる分野で進んだ国となるという目標を掲げたが、そこでは科学技術の発展とともに、強い宗教的・精神的価値意識を持ち、最高水準の倫理を持つことが追求されている。
■マハティールの期待に日本はどう応えるのか
 インタビューでマハティールは、アメリカの軍事プレゼンスの拡大の弊害を強調した上で、日本は中立の立場をとるべきだと明言している。自分の言葉をかみ締めるように、「もはや戦争という手段は選択できない」と、ゆっくりと自信を持って語ったのが印象に残っている。
 マハティールの安保論は、理想主義的で、現実的ではないようにも見える。一見すると、かつての非武装中立論を彷彿させる響きもある。しかし、彼は、いまや中国が軍事力をむやみに行使しないと考える確かな理由を持っている。彼には、暴力の背景には貧富の格差などの経済的要因があるとの考えがある。
 それだけではなく、マハティールは安全保障の意味を問い直そうとしているようにも見える。これまでの安保は、国民の生命と財産を守ることだけを考えてきた。
 彼はモノだけではなくココロを守ることを重視しているのではなかろうか。確かに、モノ偏重の文明の流れが変わらない限り、そうした考え方は受け入れ難い。それでも、人間の幸福がモノだけではなくココロの安定によってもたらされるということを、アジア人たちが再認識するようになれば、武器を突きつけ合うことで安全を確保することの精神的な弊害や、アメリカへの過度の依存による精神的価値の喪失といった問題が、深刻に受け止められるようになるかもしれない。マハティールは、異質なものを排除するのではなく、互いの違いを認め合って共存しようとする努力、すべての関係を互恵的なものにする努力自体によって、やがて西洋近代の価値観が転換される日が訪れると信じている。
 マハティールはなおも日本への期待を捨ててはいない。彼が日本に学べというルックイースト政策を掲げたのは、一九六一年に初めて日本を訪れ、敗戦から復興し、経済再建のために献身的に努力する日本人の姿に感銘を受けたことが大きなきっかけとなっている。マハティールにとって、日本はアジア人としての自信の源泉であった。だが、日本はマハティールが学ぼうとしてきた伝統的やり方を捨てようとしている。いまやマハティールは日本社会の欧米化を嘆かざるを得なくなった。ルックイーストが悲しいすれ違いに終わるのか、日本が踏みとどまるのかを、マハティールだけではなく、多くのアジア人が注視している。
 確かに、日本がアメリカに追随せざるを得ない国際政治の厳しい現実もある。だが、アメリカ追随は戦前への反省や敗戦、占領による後遺症ばかりとはいえない。それは、価値観の大転換、つまり日本人がモノ偏重になってしまった当然の帰結なのではなかろうか。
 モノを守るという発想からは、アメリカへの依存は合理的な選択ということにもなる。だが、信仰の大切さに気づき、ココロの価値が重視されるならば、日本人の行動は損得だけではなく、かつて存在した崇高な理想を取り戻すこともできるだろう。
 アジア人としてのアイデンティティを確立し、アジアのために活躍してほしいというマハティールの願いに、日本人はどう応えていくのだ先日、日本郵便元副会長の稲村公望氏と大アジア研究会代表の小野耕資氏とともに来日中のマハティール閣下にインタビューした。
 私がマハティール閣下に最初にインタビューしたのは、ちょうど20年前の平成十六(二〇〇四)年十一月。『わーずわーす』に掲載した記事を読み返した。
マハティールは、いまこそ日本へ訴える
■西洋近代文明を批判する舌鋒衰えず
 二十二年間にわたってマレーシアを率いてきたマハティール首相は、二〇〇三年十月三十一日、惜しまれながら引退した。それからちょうど一年経った(二〇〇四年)十一月八日、クアラルンプールのプトラジャヤで、前首相に単独インタビューすることができた。
 内政の舵取りから離れた前首相には、重責からの解放感といったものも感じられた。首相時代よりも自由に発言できるようになっている。もちろん、歯に衣きせぬマハティール節は健在だ。
 執務室の机の上には二台のパソコンが、書棚には分厚い百科事典が、そして書棚の隣の棚には使いこんだコーランが厳かに置かれている。
 「慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において」など、コーランの一節を刻んだ木彫は、気品に満ち溢れ、東南アジアの伝統を強く感じさせる。
 この光景こそ、マハティールの思想と行動を余すところなく伝えている。彼の思想を支えているのは、イスラームの教えである。だが、それは決して近代化に背を向けるものではない。彼はテクノロジーの発展に力を注ぎ、自らハイテク機器も使いこなす。また、読書家としても知られるマハティールは、貪欲に知識を吸収し、それを生活に生かそうと心がけている。つまり、彼にとってイスタームは、モノの面でもココロの面でも生活を豊かにするための思想の基盤である。
 インタビューでは、どの質問に対しても、的確な回答が即座に返ってきた。まもなく七十九歳になる高齢とは思えない反応の速さである。だが、何より私が強く感じたものは、ココロの平静と揺るぎない信念である。それもまた、彼の信仰に支えられているに違いない。
 終始穏やかな雰囲気でインタビューは進められたが、二度だけ表情や語気が変わった。一度は、ブッシュ大統領再選に関して質問したときである。一瞬にして厳しい表情に変わり、強い言葉でその対イラク政策を批判、ブッシュ再選は世界にとって大惨事だと言い切った。
 もう一度は、東アジア経済グループ(EAEG、後にEAEC)構想を提唱した経緯について説明しているときである。EAECを葬ろうとしたアメリカ自身がNAFAT(北米自由貿易協定)を形成していることに言及したとき、語気が鋭くなるのが感じとれた。また、彼はブッシュ政権に追随する日本にも批判的である。
 ただし、我々はマハティールの声を単なる外交政策の次元だけでとらえるべきではない。モノに偏重した西洋近代文明に対する根源的な批判の声として、彼の言葉を受け止めるべきではなかろうか。
■侠気あふれる人物、マハティール
 七年ほど前、マレーシアへの視察ツァーに参加したときのことだ。そこに参加していた二十歳代の日本人女性が、しきりに「まは様は、素敵」と連発する。すぐに「マハ様」のことだと了解して、マハティール首相はなぜ素敵なのかと尋ねると、「侠気があるから」という。
 侠気などという言葉を聞くのは久しぶりのことだった。ここで使女が言った侠気とは、いわゆる「男らしさ」だけではなく、強きをくじき、弱きを助ける心、損得を顧みず果敢に行動する態度であろう。
 マハティールは、確固たるポリシーを持って、理想を実現しようとしてきた。相手がどんなに強大だろうと、また批判する結果、いかなる不利益を被ろうとも、不正義を見逃すそうとはしなかった。
 一九九七年七月、タイの通貨ジーツの暴落をきっかけに、通貨危機が東アジア一帯に波及した。地道に築き上げてきた経済は、一瞬にして叩き潰されたのである。マハティールは、ヘッジファンドなどの欧米の機関投資家が投機的な売り浴びせをしたのが通過暴落の主因と見て、その象徴的な存在ジョージ・ソロスを槍玉にあげた。しかし、その結果、通貨と株価の下落にさらに拍車をかけることになった。それでも、彼は批判をやめようとはしなかった。
 欧米のメディアからは、市場経済を理解できない分からず屋だと叩かれた。だが、その一年後、国際社会はマハティールの主張の正しさを認めた。
■根底に流れるのはイスラームの教え
 マハティールは、大国に対しても遠慮なく批判を繰り返してきた。ブッシュ政権の対イラク政策を厳しく説判し、アメリカのイスラーム系ウェブサイトで、その再選阻止を呼びかけたほどである。彼がブッシュを批判してきたのは、単にアメリカが嫌いだからではない。アメリカが振りかざす民主主義、市場万能主義、力による外交などを支えている価値観そのものに挑戦しているのである。
 責任を伴わない行き過ぎた自由、共存や相互扶助の理想を踏みにじる弱肉強食の経済原理、すべてを善悪に二分し、悪を力でねじ伏せようという発想を批判しているのである。そうしたマハティールのバックボーンが、信仰の力である。
 彼はイスラームがもともと平和を求める教えであることを強調し、いかなるテロにも断乎反対の立場をとってきた。
 投機家を執拗に批判したのも、投機という行為自体を許せなかったからである。イスラームでは経済行動においても、神から発した万物が正しく扱われなければならないという思想が貫かれている。奪うよりも与えることによって得られるココロの価値を彼は求めている。彼の外交は、隣人を富ませるという発想で貫かれているのである。
 つまり、マハティールはイスラームの教えに基づいて、正義を唱えてきた。彼は、すべての人に受け入れられる普遍的な考え方としてイスラームを復興しようとしているしかも、本来あらゆる宗教に普遍的な価値があると信じて、それらを尊重する立場を明確にしてきた。
 戦前、日本の興亜論者の間には、欧米列強の植民地支配や人種差別に示されるような、国際社会の不正義を正そうという崇高な理想が確かに存在した。それらを支えていたのも、神道や仏教の信仰に基づいた正義だったに違いない。
 マハティールは、イスラームを単に正義を支える教えとしてだけ重視しているのではない。精神的発展だけではなく物質的発展の基盤となるイスラームという考え方を推進しているのである。
 かつてイスラーム教徒は、天文学、医学、物理学、化学、エンジニアリングなど、科学技術の発展をリードしていた。時代を経て、イスラームは科学技術の面で欧米に遅れをとるようになったが、一九世紀後半には、アフガーニーやアブドゥフらが近代に適応したイスラームを模索した。
 つまり、マハティールは人間の幸福には、モノとココロがともに充足されることが必要だという立場に立ち、イスラームは人間の生活のあらゆる側面で活かされると考えている。彼は、一九九一年に示した長期構想「ワワサン2020」で、二〇二〇年までにあらゆる分野で進んだ国となるという目標を掲げたが、そこでは科学技術の発展とともに、強い宗教的・精神的価値意識を持ち、最高水準の倫理を持つことが追求されている。
■マハティールの期待に日本はどう応えるのか
 インタビューでマハティールは、アメリカの軍事プレゼンスの拡大の弊害を強調した上で、日本は中立の立場をとるべきだと明言している。自分の言葉をかみ締めるように、「もはや戦争という手段は選択できない」と、ゆっくりと自信を持って語ったのが印象に残っている。
 マハティールの安保論は、理想主義的で、現実的ではないようにも見える。一見すると、かつての非武装中立論を彷彿させる響きもある。しかし、彼は、いまや中国が軍事力をむやみに行使しないと考える確かな理由を持っている。彼には、暴力の背景には貧富の格差などの経済的要因があるとの考えがある。
 それだけではなく、マハティールは安全保障の意味を問い直そうとしているようにも見える。これまでの安保は、国民の生命と財産を守ることだけを考えてきた。
 彼はモノだけではなくココロを守ることを重視しているのではなかろうか。確かに、モノ偏重の文明の流れが変わらない限り、そうした考え方は受け入れ難い。それでも、人間の幸福がモノだけではなくココロの安定によってもたらされるということを、アジア人たちが再認識するようになれば、武器を突きつけ合うことで安全を確保することの精神的な弊害や、アメリカへの過度の依存による精神的価値の喪失といった問題が、深刻に受け止められるようになるかもしれない。マハティールは、異質なものを排除するのではなく、互いの違いを認め合って共存しようとする努力、すべての関係を互恵的なものにする努力自体によって、やがて西洋近代の価値観が転換される日が訪れると信じている。
 マハティールはなおも日本への期待を捨ててはいない。彼が日本に学べというルックイースト政策を掲げたのは、一九六一年に初めて日本を訪れ、敗戦から復興し、経済再建のために献身的に努力する日本人の姿に感銘を受けたことが大きなきっかけとなっている。マハティールにとって、日本はアジア人としての自信の源泉であった。だが、日本はマハティールが学ぼうとしてきた伝統的やり方を捨てようとしている。いまやマハティールは日本社会の欧米化を嘆かざるを得なくなった。ルックイーストが悲しいすれ違いに終わるのか、日本が踏みとどまるのかを、マハティールだけではなく、多くのアジア人が注視している。
 確かに、日本がアメリカに追随せざるを得ない国際政治の厳しい現実もある。だが、アメリカ追随は戦前への反省や敗戦、占領による後遺症ばかりとはいえない。それは、価値観の大転換、つまり日本人がモノ偏重になってしまった当然の帰結なのではなかろうか。
 モノを守るという発想からは、アメリカへの依存は合理的な選択ということにもなる。だが、信仰の大切さに気づき、ココロの価値が重視されるならば、日本人の行動は損得だけではなく、かつて存在した崇高な理想を取り戻すこともできるだろう。
 アジア人としてのアイデンティティを確立し、アジアのために活躍してほしいというマハティールの願いに、日本人はどう応えていくのだろうか。

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