『大川周明のアジア主義』レビュー(さちひこ「大川周明の宗教論とアジア論」令和7年10月26日))

 本書の第一部「蘇る大川周明」において、著者は2章分を割いて大川の宗教論について解説している。彼の思想遍歴の中には、儒教から仏教、果てはイスラム教まで幅広いものがあるが、特に著者が重要だと指摘しているのは、大川が学生時代に「日本教会」というキリスト教の教会に入会していることである。日本教会の教義は「儒教的キリスト教」とも評されるそうだが、こうした宗教遍歴が彼のアジア主義の根底にあったと考えることは興味のあることである。
 本書を読んで意外に思ったのは、大川周明が孫文をあまり評価していなかった、ということだ。アジア主義者の多くは孫文を支援していたというイメージがあるが、大川はむしろ、辛亥革命後の「五四新文化運動」に象徴されるような極端な旧文明の否定を見て、孫文のもとでは儒教道徳に基づいた政治は期待できない、と考えたのであろう。
 第二部に収められた『新亜細亜小論』では、大川周明が1940年以降に書いた雑誌『新亜細亜』の巻頭言がまとめられている。特に印象的なのは、著者も第4章で引用している以下の文章である。
「日本民族は、拒むべくもなき事実として、自己の生命裡に支那およびインドの善きものを摂取して今日あるを得た。孔子の理想、釈尊の信仰を、その故国においてよりも一層見事に実現せるところに日本精神の偉大があり、それゆえにまた日本精神は取りも直さずアジア精神である。日本はこの精神を以てアジアにはたらかねばならぬ」(p113)
 戦後80年を経て、安易な自民族中心主義が日本社会に表面化しつつある現在、あらためて大川周明の言葉に耳を傾けるべきだと、本書を読んでそう感じた。

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