以下、『月刊日本』平成26年5月号に掲載した「『顔のない独裁者』が描く近未来─新自由主義の結末は地獄だ」を転載する。
国民の統合を破壊する道州制
3月28日、政府は国家戦略特区諮問会議を開き、国家戦略特区の第一弾として、東京都を中心とした東京圏、大阪府を中心とした関西圏、沖縄県、新潟市、兵庫県養父市、福岡市の6区域を指定した。東京圏は国際ビジネス、イノベーションの拠点、関西圏は医療などのイノベーション、チャレンジ人材支援の拠点とするという。
この特区も、アメリカが推進するTPPも、グローバル企業の利益拡大こそが最優先されている。しかし、グローバル企業が理想とする社会は国民にとってはまさに地獄そのものである。新自由主義による「改革」を推し進めた後に到来する社会はどのようなものなのか、それを具体的に示してくれるのが、三橋貴明氏の企画・監修で、さかき漣氏が著した『顔のない独裁者 「自由革命」「新自由主義」との戦い』(PHP研究所)が描く社会である。同書はフィクションだが、極めて具体的かつリアルにわが国の近未来が描き出されている。
物語は、「顔のある独裁者」が支配する大エイジア連邦の一員となった日本が、抵抗組織「ライジングサン」のリーダー駒ヶ根覚人のもとに革命に成功し、日本を奪還したところからスタートする。駒ヶ根は圧倒的な国民支持を受けて総理に就任する。まず、駒ケ根政権は太平洋連合(Pacific Union=PU)への参加を決める。PUはTPPのような協定と考えていい。そして同政権は道州制を導入。日本は北海道、奥羽州、東京州、越陸州、東海州、中央日本州、瀬戸州、伊予州、筑紫琉球州の9道州に分けられ、それぞれが独立採算制を義務づけられた。道州制導入によって、各種公共サービスの権限は、中央政府から各道州政府に移管された。
だが、この道州制導入が悲劇をもたらすことになる。それを象徴するのが本書にある「道州制が社会に浸透し、いつの間にか日本国民は他道州の住民について、同じ日本国民であることを忘れるようになっていた」という記述だ。
営利化される公共サービス
新自由主義が極まると、自由化の名のもとに、国民生活のために政府が行っている行政機能が非関税障壁として否定されることになる。しかし、一度公的サービスの分野に営利企業が参入すれば、本来のサービスは保たれない。投資家にとって重要なのは、「安価、高品質、ユニヴァーサル」なサービスを提供するかどうかではなく、利益だけだからである。その結果、國體は破壊され、同時に国民としての紐帯も損なわれるのである。
『顔のない独裁者』の中で、駒ヶ根政権は、新自由主義に基づいて、公務員自由化、自由診療拡大、電力完全自由化、公共事業コンセッション方式、学校教育自由化、自由雇用基準法(企業が労働者を自由に解雇できる制度)などの政策を推し進める。
外国人が中央銀行総裁になる
PU加盟国の住民は各国での労働に際し、内国民待遇を受けることと定められ、公務員になることも可能になった。こうして中央銀行総裁に外国人が就任するような事態を招いた。公務員職だけではなく、弁護士、会計士、中小企業診断上といった民間資格が廃止され、日本語の不自由な弁護士や会計士が溢れるようになる。
公務員自由化によって、警察、消防といった国民の生命にかかわる分野においてまで、民間企業が自由に参入できるようになった。さらに、中央政府に残された数少ない義務である国防さえもアウトソーシングが進んだ。軍の規模が縮小され、一部の危険業務を外注することが一般化したのである。尖閣諸島沖の防衛権を落札したのは、アメリカ系のセキュリティー・サービス会社「自由ガーディアンズ株式会社」だった。
PU加盟国の若者たちが日本に流入し、やはり貧困の果てに、自由ガーディアンズに就職するケースが増える。また、生活保護システム全廃とともに導入された「負の所得税制度」によって、国から支援を受けるようになった貧困層は「マイナス」という蔑称で明確な差別を受けるようになり、彼らの多くも自由ガーディアンズで働くしかなかった。
救急車を呼べない人が生まれる
自由診療拡大によって、貧困層は医者にかかれないまま死んでいくようになった。治療の過半は自由診療となり、保険適用外となった。高額化する医療費に怯える国民は、民間の高額な医療保険に加入せざるを得ない。国民健康保険のみに加入する国民は、質の悪い公的保険診療を受けるか、あるいは借金をしてでも自由診療を受けることになったのだ。救急車を管轄する各道州の消防局が民営化されたことにより、医療保険の種類により「救急車を呼べる人」「救急車を呼べない人」に国民が二分されてしまう。
一方、株式会社化された医療機関は、採算に合わない地域での開業をやめ、病院の存在しない地域も生まれるようになった。また、ある地域で独占的な地位を獲得した医療機関は営利を拡大するために診療費の値上げを繰り返すようになる。
僻地には電力供給が止まる
それまで電力会社という括りの中にあった業務は、発電部門、送電部門、配電部門と三分割され、それら一つひとつが株式会社とされた。電力会社には「全国どの地域にあっても、消費者が望む場合は必ず、安定した電力を適正価格で提供する」という義務があったが、送電会社からこのユニヴァーサル・サービスの義務が削除されてしまう。その結果、各地域の送電株式会社は利益追求のために、コスト削減を最優先するようになり、日本は停電が頻発するのが当たり前の国になる。停電だけならまだいい。やがて送電株式会社は、僻地への電力供給を渋るようになった。人口が少ない地域へ電力を供給しても、コストを賄えないからである。こうして、昼夜問わず電力供給が不安定となった僻地は、さらなる人口減に見舞われた。
無料だったサービスが有料化
電力だけではない。公共インフラの資産保有者は政府のままとし、運営権を民間の株式会社に委譲する「公共事業コンセッション方式」も導入され、上下水道をはじめ、高速道路、空港、港湾、橋梁といった公共サービスの運営権が民間の株式会社に移った。こうした運営会社の株主には、PU加盟国の外国人投資家や外資系企業も含まれている。水道の供給が企業の都合で止まるような危険性が生じたり、無料だった道路が有料になったり、公共サービスが営利化されたのである。
コンセッション方式導入と同時に、国内の公共事業には、価格以外への考慮を禁ずる入札制度が義務づけられたため、過去に低品質なインフラを建設した企業でも、最安価格を提示すれば、落札は可能となった。この結果、各地で「橋梁崩落」「道路陥没」「トンネル崩壊」が相次ぐようになった。
公立教育機関は完全に民間法人化され、教育委員会は廃止された。学校株式会社に対しては、PU加盟国の投資家は自由に株式を保有することが可能となった。こうして学校での教育内容に対しても、株主の意向が反映されるようになった。株主の多くが、グローバル資本家に占められたため、英語教育が大幅に拡充され、新自由主義を支える経済学の教義を子供たちに教え込む学校も増えていった。
非常時の地獄
ここまでは概ね、平時の話である。災害などの非常時には、さらに地獄のような様相を呈することになる。同書では、筑紫琉球州の日向で大地震が発生したときのことが生々しく描かれている。
災害への対応は州政府の責任だとして、中央政府は軍を現地に派遣することすらしなかった。そこで、州政府は自由ガーディアンズに被災地救済を要請するが、「災害復旧については契約を締結していない」として、救援出動を拒否してしまう。国土交通省にも州の事業に関わる権限はなかった。すでにこのとき、PU各国は「被災地の救援事業」について、PU協定に従い一般競争入札を実施するようにと日本政府に圧力をかけていた。仮に国土交通省が入札結果を待たずに被災地救援に乗り出せば、協定違反になる恐れがあった。
頼りは民間企業だった。自由消防活動株式会社は、日向地区の消防事業をビジネスとしていたにもかかわらず、「大災害時の救援活動は、同地域の消防事業受注時の契約書に書かれていない」と主張し、救援活動への出勤を躊躇し続けた。しかも、運送サーヴィスの自由化により、日本の運送業界は外国資本に席巻されていた。このとき、外資系大手事業者は「被災地への輸送業務は割に合わない」として、被災地への救援物資の運送を拒否したのである。
こうしているうちに被害はどんどん拡大していった。しかし、マスコミも本来の役割を果たさなかった。「各道州には独立採算で非常事態に備える義務があるにもかかわらず、筑紫琉球州はそれを怠った。つまり日向大震災の悲劇は、筑紫琉球州の自己責任である」と垂れ流したのである。
本書を読めば、新自由主義が極まれば國體は破壊され、日本国民の生命が脅かされるようになることが確実だということがわかる。