「日本人」カテゴリーアーカイブ

「パソナ、竹中平蔵への抗議街宣 訴訟に発展」

 これまで竹中平蔵氏は産業競争力会議で労働移動支援助成金の増加を唱えるなど、自らが会長を務める人材派遣会社パソナの利益拡大になる発言をしてきた。
 ところが、この利益誘導疑惑について、大手新聞やテレビは一切報道しなかった。こうした中で、「國の子評論社」を主宰する横山孝平氏はパソナ本社前などで抗議の街宣活動を行った。ところが、パソナ側は「街宣活動禁止仮処分命令」を東京地裁に申し立て、7月10月第一回口頭弁論が行われた。今後法廷では、竹中平蔵氏に対する批判が誹謗中傷や名誉棄損に当たるのかが争われる。この問題について、『月刊日本』8月号に「パソナ、竹中平蔵への抗議街宣 訴訟に発展」を掲載した。

伊勢神道の眼目─近藤啓吾先生「神いますの確信」①

  伊勢神道の眼目について、近藤啓吾先生は「神いますの確信」(『崎門三先生の学問』)において、次のように書かれている。
「伊勢神道の神道説の眼目とするところは、一言でいへば、私どもたる本質は、神から賜つたものであるといふことの確信である。伊勢神道が神道としての理論を樹立したのは、平安時代の末から鎌倉時代の初めにかけてのことであるが、しかしそれは突然に成つたものでなく、神宮には神宮として古代より伝承し来つた神の認識があり、それを体系化しことばとしたことがその時代であつたといふことである。神道にはもともとその意識はあつたが、それを説くことばがなかつた。伊勢の神道にその神道を説くことばが成立したのは、仏教の中でも真言宗の教義を意識し、それに対抗するものとして、神道の自主性を説かんとしたためであつて、しかし伊勢にてはそれを成すために、当時最も組織化された教学であり、識者の間に強い影響を及ぼしてゐた真言宗の力を借りるところがあつたことは、已むを得なかつた。例へば伊勢神道にて最も大切にしてゐる「清浄」といふ語も、本来は真言宗の語であり、伊勢ではその語を借りて神道の心を表はす語としたことであるが、そのことをもつて、伊勢では真言よりその語と内容とを取つて己れの語とし思想としたものではない」

三宅観瀾『中興鑑言』─栗山潜鋒の正統論と対立

 三宅緝明(観瀾)は、延宝2(1674)年に京都の町人儒者三宅道悦の子として生まれた。崎門学正統派の浅見絅斎に師事し、元禄11(1698)年に江戸に下り、翌年栗山潜鋒の推薦で水戸藩に仕えるようになった。彰考館編修となり『大日本史』編纂に従事した。
 観瀾が後醍醐天皇の政治の得失を論じたのが『中興鑑言』である。ここで観瀾は、足利を批判し、吉野を正統の天子とした。その点では潜鋒と同じだったが、正統とする理由において、潜鋒とは異なっていた。潜鋒が「躬に三器を擁するを以て正と為すべし」としたのに対して、観瀾は『中興鑑言』において、「余、故に曰く、正統は義にあり、器にあらず」と書いているのだ。観瀾の考え方は、安積澹泊ら彰考館の他の同僚にも共有されていた。
 これに対して、近藤啓吾先生は次のように指摘されている。
 「思うに土地といひ家屋といひ、その所有を主張するものが複数であって互ひに所有の権利を争ふ時には、その土地や家屋の権利書を所持してゐるものを正しい所有者と判断せざるを得ない。されば人はみな権利書を大事にして失はぬやう盗まれぬやう、だまし取られぬやう、その保管に心を用ひるのである。神器もその性格、ある意味では権利書に似てをり、皇統分立していづれが正しい天子であるか知りがたく、人々帰趨に苦しむ時は、神器を有してをられる御方を真天子としてこの御方に忠節を尽くさねばならない。いはんや神器は権利書と異なり、その由緒からいへば大神が天孫に皇位の御印として賜与せられし神宝であり、大神の神霊の宿らるるところとして歴代天皇が奉守継承して来られた宝器であり、極言すれば、天祖・神器・今上の三者は一体にして、神器を奉持せられるところ、そこに天祖がましますのである」(「三種神器説の展開―後継者栗山潜鋒」)

「心神」を守るための不断の反省修養─山崎闇斎の神道開眼

 近藤啓吾先生は、『崎門三先生の学問―垂加神道のこころ』において、山崎闇斎が心神の語に触発されて、我が心は天祖天御中主尊の分霊の宿りたまうところであり、同時に天児屋命の天孫守護の任をそのままに我が任とするものであると開眼したと指摘し、以下のように続けられている。
 「即ち是れ神人一貫の自覚であり、これを我が国家についていふならば、神代即人代といふことになつて、曾てその統中断なく、神代のままが今に連つてゐるを知られたのである。
 しかし、明なる鏡もその明を保つためには常にその面にたまる埃塵を払拭しなければならず、いかなる名刀もその鋭利を保つためには常に手入れを怠ることができない。その道理にて先生は、この神与の心神も不断に省察を加へざれば忽ち欲望に覆はれる恐れがあり、そのために不断の反省修養を必要とすることと考へて、それが神道にいふ『祓』であるとせられた。ここに於いて先生の神道に於いては『日本書紀』の神代巻とともに『中臣祓』が重要なる依拠となつて来る」

『崎門学報』第4号刊行

 待望の『崎門学報』第4号が平成27年7月31日に刊行された。
 堅い内容ながら、日本を救う鍵がここにあると筆者は信じている。
 10カ月前の平成25年10月1日に創刊された同誌は、崎門学研究会(代表:折本龍則氏)が刊行する会報である。創刊号では、発行の趣旨について、折本氏が「いまなぜ崎門学なのか」と題して書いている。
 まず、山崎闇斎を祖とする崎門学の特徴を、「飽くまで皇室中心主義の立場から朱子学的な大義名分論によって『君臣の分』と『内外の別』を厳格に正す点」にあり、「主として在野において育まれ、だからこそ時の権力への阿諛追従を一切許さぬ厳格な行動倫理を保ちえた」と説いている。
 さらに、肇国の理想、武家政権による権力の壟断の歴史から明治維新に至る流れに触れた上で、戦後日本の醜態を具体的に指摘し次のように述べている。
 「我が国は、今も占領遺制に呪縛せられ、君臣内外の分別を閉却した結果、緩慢なる国家衰退の一途を辿っているのであります。
 そこで小生は、この国家の衰運を挽回する思想的糸口を上述した君臣内外の分別を高唱する崎門学に求め……闇斎の高弟である浅見絅斎の『靖献遺言』を読了し、更にはその感動の昂揚を禁ずること能わず、今日における崎門正統の近藤啓吾先生に師事してその薫陶を得たのでありました。最近では同じく崎門学の重要文献である栗林潜鋒の『保建大記』を有志と輪読しております」
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反省懺悔と精進辛苦─度会延佳『陽復記』

 
 伊勢神道を再興した度会延佳の『陽復記』に次のような言葉がある。
 「神とは鏡といふ和訓を一字略せしなれば、かの明徳を鏡にたとへ侍るに替る所もなし。誰も誰も心をかゞみのごとくせば、吾が心則ち天御中主命・天照大神に同じからんか。其上、心は神明の舎といへば、もとより人々の心中に神はやどりましませども、くらましたる心は、舎の戸を閉ぢたるがごとく、又鏡にさびうき塵積りたるに同じ。急ぎ神明の舎の戸をひらき、鏡のさび塵を去るべし。古はしらず、近頃の仏氏の中に、鏡にうつる影もまよひぞ、影もさるべし、と教ふる方も有りとなん、僻事と覚へ侍る。その故は、鏡のさびを去りては、万像の影をのづからうつる。いよいよ磨けばいよいよすなほに影うつる物なり。さびをさるこそ修行ならめ、影をさらんとおもふは、是れぞまよひなるべき」
 近藤啓吾先生の「度会延佳を思う」で、この言葉を「尊く思ふ」と書かれ、次のように述べられている。
 「彼れは『神代巻』と『中臣祓』との間の相通ずるものを最も深きところに於いて把握し、それを反省懺悔と精進辛苦として、その神道説の根本に置いた。延佳のこの神道把握こそ、後年、闇斎をして神道に開眼せしめる契機であり、そして闇斎より若林強斎へと継承せられた垂加神道の根幹をなしてゆく」

「儒教を排することはわが神道を矮小化することである」─本居宣長 vs. 藤田東湖

 「現在も続く直毘霊論争」(『月刊日本』平成26年1月号)で、本居宣長に対する会沢正志斎の反論を取り上げたが、藤田東湖もまた正面から宣長を批判し、「儒教を排することはすなわちわが神道を矮小化することである」と言い切っている。
 以下は東湖の『弘道館記述義 巻の下』の一節である。

 〈…最近、古代の学問を唱えるものがあって、「仏教はすべて因果で説明し、儒教は天命によってすべてを解釈する。仏教の弊害は儒者がたくみに批判するけれども、儒教の間違いは世間にまだ説明するものがいない」(宣長『直毘霊』)などというものがある。このような人は口を極めて儒教を罵倒し、仁義の徳などというのは後世の法律命令のようなものであり、舜・禹は王莽か曹操と同じような簒奪者であるとなし、「人間の欲望もまた人間の道である」とか、「天命というのは簒奪を合理化する口実である」(同)などといっている。もし、わが国の神道があたかも氷と炭のように儒教とまったく相反するものである、とするならばそういってもいい。しかしもし、わが国の道と儒教が同じ気から生じた花と実のように共通したものであるとするならば、儒教を排することはすなわちわが神道を矮小化することである。そればかりでなく、忠孝仁義という実質は天地はじまって以来、人類の生れつきに備えたところのものである。思うに古代研究を唱える者たちは、俗流の儒者たちの説くところを先王の道と思いこんでいるのだから、なお許すべき点がある。しかし俗流儒者を罵倒するとともに、周公・孔子の真の教えをも抹殺しようとするのは、食物が喉につまって苦しみむせぶのを聞いて、自分も食うことをやめてしまうのと同じである。非常な誤りというほかはない。わが斉昭公は、この点を心配あそばされ、建御雷神を祭って斯の道の由来を明らかにしたまうとともに、あわせて孔子の廟を造営され、斯の道がますます大きく、かつ明らかとなったのは、何によるかというその根本に対して敬意を表したもうたのである。実に完璧な御配慮というべきである〉

東アジア共同体とジョセフ・ナイの恫喝

 東アジア共同体はアメリカによる圧力でつぶされたのか。『「対米従属」という宿痾』(飛鳥新社)において、鳩山由紀夫氏は「…日本も東アジア全体の共同体を構想することが大事だというメッセージを出させていただきました。このことによって、米国の一部の政府関係の方々が、鳩山はアジアから米国を外すつもりなのではないかと、ある意味では勘ぐった発想で、警戒感を強めたのではないかと思います」と語っている。
これに応じて、孫崎享氏はジョセフ・ナイが『日米同盟 vs 中国・北朝鮮』(文春新書)の中で、「もしも米国抜きで、日・中が東アジアを動かしますよ、ということになれば大変なことになりますよ」と書いていることについて、次のように語った。
「ジョセフ・ナイは基本的には学者ですから、普通はそんなヤクザまがいのセリフを言うわけがないのですが、そこまで言ったということは、米国内で、鳩山の東アジア共同体構想は米国外しを意図しており許せない、という批判がすでに出ていたのだろうなあと思います」

内田良平翁「金利中心主義の経営方針を改めよ」(大日本生産党産業調査部編『日本新経済策 前巻』)

 金融資本主義が行き詰る中で、産業中心の企業経営への転換が求められている。
 昭和維新運動が昂揚した昭和7年、内田良平翁が総裁を務める大日本生産党は次のように主張していた。

 「……要するに、日本主義的経済社命建設に対する経済経綸の大綱は、左の各項にて尽さるゝ訳である。
 一、金融機関の国家管理断行
 二、産業統制及監督機関の設定
 三、各産業個々の経営機構の合理化と之を基準とする各産業経営組織の統制断行
 四、産業補助企業の国家管理の断行
 …金融機関を国家にて管理すると共に、金融制度の徹底的改正を断行し以て、金融機関の統制を紊す根本原因たる金利中心主義に依る経営方針を改善して、産業中心に依る企業経営主義の下に、産業振興助成の責務を全ふせしむる事である。
 之に依って金利中心に依る弊を除去すると共に、企業投資に対する真剣なる需要が起り産業の振興を促進するに至るは必然である。
 茲に於て上述の如く、経済機構の改善をなすに伴ふて起るは海外の資本主義国の経済機構対策問題であるが、之は今日より良化さるゝ事は現在の如く、無統制なる経済機構の下に於ける種々の弊害を根本的に改修したる機構の下に於て、必然的の事であつて多言を要せざる事である.殊に金融機関の国家統制下に於ては、如何なる経済政策も有効に作用するに至る、故に産業中心の経営方針の下に合理的手段を講ずる事が出来る訳である.
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対米追従是正のための改革「東アジア共同体構想と年次改革要望書の見直し」


小泉俊明衆議院議員は、『ビジネスジャーナル』(平成24年10月26日)に掲載されたインタビュー記事「民主党は、年次改革要望書廃止に反発したアメリカに潰された!? 」の中で、次のように語っている。

〈――今回の新書は『民主党大崩壊!』という過激なタイトルで、民主党が崩壊した内幕を語っていますが、その崩壊は鳩山由紀夫政権の改革がきっかけだったとは驚きです。

小泉俊明氏(以下、小泉) マスコミ報道では、鳩山政権は沖縄・普天間基地移設問題の迷走の末に総辞職したようになっていますが、実際には、鳩山政権のいくつかの意欲的な改革によって米国側が反発し、総辞職するように仕向けたのです。マスコミ的には評価されていませんが、米国との関係の上では、既存の政治を見直した大きな改革が2点あります。東アジア共同体構想と年次改革要望書の見直しです。 続きを読む 対米追従是正のための改革「東アジア共同体構想と年次改革要望書の見直し」