「日本人」カテゴリーアーカイブ

天皇の大御宝を道具化する派遣法改正─田村憲久大臣と清水竜一氏・家中隆氏

 
 田村憲久厚生労働大臣は天皇の大御宝であるわが国の労働者について、どのように考えているのだろうか。
 平成26年2月21日に厚生労働省が労働政策審議会に提示した派遣法改正の法律案要綱は、大御宝を道具化しようとするものである。1月29日に労働政策審議会が厚生労働大臣に対して行った、労働者派遣制度の改正について建議には「派遣労働の利用を臨時的・一時的なものに限ることを原則とする」との文言が盛り込まれていた。しかし、法律案要綱は派遣は「臨時的・一時的」との原則が骨抜きにされている。
 派遣業界の意向に添って動いているのか。田村大臣は派遣業界の政治団体「政治連盟新労働研究会」(会長=清水竜一日総工産社長)から、最大の献金を受けていた。『赤旗』(1月11日付)の報道によると、自民党の小選挙区支部などを通じて、寄付50万円とパーティー券購入14万円を受けていた。
 これに次ぐのが、自民党の後藤田正純衆院議員の46万円、民主党の近藤洋介衆議院議員の36万円、自民党の川崎二郎衆議院議員、民主党の川端達夫衆議院議員、みんなの党の柿沢未途衆院議員の各30万円。これでは、民主党も派遣法改悪に同調するしかない。

第3回 国家戦略特別区域諮問会議(平成26年2月21日)─社稷を思う心なし

わが国の社稷を無視して国際財閥の利益を拡大するための「カイカク」を、いまこそ粉砕する必要がある。平成26年2月21日に開かれた「第3回 国家戦略特別区域諮問会議」で竹中平蔵氏らが提出した「国家戦略特区 当面の対応について」には、外国人労働者受け入れなど、国家解体のための「カイカク」が謳われている。
〈1.区域指定に向けての考え方
3月の特区指定にあたっては、ダボスでの総理のスピーチ内容(2年間で岩盤規制すべてに突破口)の実現に向けた推進力を内外に示す観点からも、スピーディに、かつ、日本の景色を変える効果を実現することが重要。
このため、
1)「広域都市圏」は、国の側の特区関係者も全面的にコミットできるよう、区域数は絞って指定。
2)これに加えて、突出して革新的な取組(岩盤規制改革を含め)を行う小規模な地域を実験場として一括指定する、いわゆる「バーチャル型」指定(革新的改革事業拠点の指定)を行うべき。
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衛藤晟一補佐官、アメリカ批判の発言を撤回─安倍政権は対米追従を続けるのか

 平成26年2月16日、衛藤晟一首相補佐官は「ユーチューブ」に投稿した動画で、安倍晋三首相の靖国神社参拝に「失望」を表明した米政府を「むしろわれわれのほうが失望だ」と批判した。ところが、菅義偉官房長官は2月19日の記者会見で「政府の見解ではない」と述べ、衛藤氏に動画削除を命じた。その結果、衛藤補佐官は、「政府見解だと誤解を与える」として発言を撤回、動画も削除してしまった。
 2月8日のノート「百田尚樹氏をアメリカが『非常識だ』と批判─対米自立覚悟の時」で「いまこそ、戦後レジームからの脱却を目指す者は、アメリカからの圧力をはねのけて対米自立に突き進む覚悟を決めるときではなかろうか」と書いたが、結局安倍政権はアメリカからの批判を恐れて、対米追従を続けることになるのか。

今岡十一郎の「ツラン・アジアの道義的文化圏建設」構想

 戦前の興亜思想台頭期には、「トゥラン主義」が盛んに提唱されていたが、戦後は封印されてしまった。コトバンクは「トゥラン主義」を次のように定義している。
 「トルコ・ナショナリズムの一潮流。トゥランとは、ユーラシア大陸に広がるトルコ系諸民族の総称であり、トゥラン主義は、それら諸民族の一体性を追求しようとする立場である。そこでは、一体たるべきものの中に、マジャール、フィン、モンゴル、ツングース等、広義のウラル・アルタイ系諸言語を話す人々をも含めようとする場合もあり、トゥラン概念は大きな振幅をもっている。ツァーリズム支配を脱する目的で、19世紀後半、ロシア治下のトルコ系住民の間に生まれたトゥラン主義は、〈青年トルコ〉革命後、オスマン帝国内にもちこまれた」
 昭和17年に今岡十一郎が著した『ツラン民族圏』は、結論部分で次のように指摘している。 「……元来、ヨーロッパはアジアの一半島に過ぎない。民族的にも、精神的にも、フジヤマからカールパート山脈までの間、すなはち、ユーラシアを貫く『ツランは一体である』のである。このユーラシア大陸の黒土帯をつらぬく一つの血、一つの大陸における枢軸国家群の中枢こそ、ツラン民族の郷土であり、内陸アジアであり、乾燥アジアであり、中央アジアであり、トルキスタンであるのである。… 続きを読む 今岡十一郎の「ツラン・アジアの道義的文化圏建設」構想

蒲生君平の師鈴木石橋の私塾「麗澤之舎」─蔵書の『保建大記』と『靖献遺言』

『月刊日本』平成26年3月号掲載の「明日のサムライたちへ 山陵志② 君平と藤田幽谷を結んだ『保建大記』」の取材のため、2月上旬に栃木県鹿沼市を訪れた。 鹿沼は、蒲生君平と後期水戸学の祖藤田幽谷の出会いを用意した、君平の師鈴木石橋の出身地である。石橋は二十四歳のときに江戸に出て昌平坂で学び、同校の講壇にも上るほどその将来を嘱望されていたが、天明元(一七八一)年に郷里に戻り、私塾「麗澤之舎」を開いて地元の子弟を教育した。彼は天明(一七八一~一七八九年)の大飢饉のときには、私財を投じて窮民の救済に全力で取り組んでいる。 鈴木家に伝わった「麗澤之舎」の蔵書五千余冊は、鹿沼市民文化センターにある同市教育委員会文化課で管理されることとなり、現在その移行作業中である。同課の協力を頂き、「麗澤之舎」の栗山潜鋒『保建大記』と浅見絅斎『靖献遺言』を閲覧させていただいた。 『保建大記』には、各頁の上部に詳細な書き込みがあり、石橋が講義に活用した跡が窺われる。
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『夜明け前』と平田国学

国学派ネットワークの情報拠点・中津川
 明治維新に至る尊皇攘夷運動における国学の影響を考える上で、島崎藤村晩年の大作『夜明け前』は重要な資料となる。二部からなる同書は、ペリー来航の嘉永六(一八五三)年前後から明治十九(一八八六)年に至る激動の時代を、中山道の宿場町であった信州木曾谷の馬籠宿(現在の岐阜県中津川市馬篭)を舞台に、主人公青山半蔵の生涯を描いた作品である。半蔵のモデルとなったのが、藤村の父正樹だ。
 馬籠で本陣・問屋・庄屋を代々の家業としてきた家に生まれ、その家業を継いだ半蔵は、平田派の国学に傾倒して王政復古を願った。しかし、明治維新は彼が描いたものとは別のものとなっていく。絶望した半蔵はついに狂い、座敷牢に生涯を終えた。 続きを読む 『夜明け前』と平田国学

肇国の理想を現代において実現しようとした先駆者

 筆者が『維新と興亜に駆けた日本人』で取り上げた人物は、(ちょう)(こく)の理想を現代において実現しようとした先駆者である。彼らは、幕末から明治・大正期を中心に活躍した。わが国が西洋列強に対峙したこの時代、肇国の理想に添って生きるとは、維新の続行・貫徹と興亜に尽くすことを意味したのではないか。彼らは欧米型の外交路線に抗い、藩閥支配、有司専制に対して民権を唱え、国権、自主独立の立場から列強との不平等条約に異を唱えた。興亜の立場から列強の帝国主義路線とは異なるアジア合邦を模索する一方、列強の植民地支配から脱しようとするアジアの民族独立運動を支援した。より具体的に言えば、朝鮮開化派のリーダー金玉均、辛亥革命を成功させた孫文、インドの志士ビハリ・ボースらを支援した。
 彼らの中には、国体に合致した経済のあり方を模索し、大化の改新以来の王土王民論・奉還論によって資本主義の克服を目指した者も少なくなかった。 続きを読む 肇国の理想を現代において実現しようとした先駆者

近藤啓吾先生に見る崎門の学風①

 山崎闇斎─浅見絅斎─若林強斎と伝わる崎門学正統派の直系である近藤啓吾先生は、松本丘氏の『尚仁親王と栗山潜鋒』を評して次のように書いている。
 〈余は今日の学風、みな考証考古の精密を求め、歴史を作り上げた「人」の心への沈潜をせず、その上、新しき資料の発見や新しき解釈の樹立のみを競ひ、古人の人間たりしことを忘却してゐる風潮を慨してゐたが、松本氏はこの世風を追はず、そのどの論考を見ても、その対象としてゐる先人の心に沈潜し、それによつて得たところを率直に筆せんとしてゐる〉(『紹宇文稿』165頁)
 ここには崎門の学風を明確に表されている。

百田尚樹氏をアメリカが「非常識だ」と批判─対米自立覚悟の時

 2014年2月8日の共同通信の報道によると、百田尚樹氏が都知事選応援演説で、アメリカによる東京大空襲や原爆投下を「大虐殺」とした上で、東京裁判を批判したことについて、同日、在日米大使館報道担当官は「非常識だ」と批判した。これは、アメリカ政府の公式の統一見解としている。
「安倍首相は戦後レジームからの脱却を断念?─対米自立派と対米追従派の分岐」(2014年1月31日)で、「日本が戦後レジームから脱却することをアメリカは許さない」というメッセージが、再び強く発信されようとしているのだろうかと書いたが、もはやそれは確実と見なければならない。
いまこそ、戦後レジームからの脱却を目指す者は、アメリカからの圧力をはねのけて対米自立に突き進む覚悟を決めるときではなかろうか。

忘却された経済学─皇道経済論は資本主義を超克できるか 五/おわりに

五 生きる力としての「みこと」意識
 市場原理主義の信奉者たちは、競争原理によって社会は発展するのであり、競争のないところに進歩はないと主張する。確かに、社会主義的な平等分配の思想は、人間の意欲を奪いとるという欠陥があった。だが、一方で競争社会の弊害も無視できるものではない。そこで注目されるのが、「人との競争ではなく、自らの存在価値を高めようとすることによって生じる意欲こそが重要だ」と考える皇道経済論の発想である。「四、成長するための生産=『むすび』」で書いた宇宙の創造に参画という考え方が意識されるとき、人間の生きる力は大きく変化する。岡本廣作は、日本経済とは、日本国民全てが、生まれて生み、生まれて生みの生成発展の永遠飛躍の生命力である「むすび」の道に参じて、各人がその分に従って、そのつとめを尽くすことだという[一]
 一方、永井了吉は、「みこと」(一人一人の人間)が、それぞれの生命を最も充実させることが奉仕にほかならないとする。しかも、「みこと」それぞれが全宇宙過去未来に亘つて唯一無二の個性を持つことが、個性が尊貴である理由であり、その綜合によって全体としての大創造が可能だと説いた[二]続きを読む 忘却された経済学─皇道経済論は資本主義を超克できるか 五/おわりに