「日本人」カテゴリーアーカイブ

大石凝真素美と古神道

水茎文字と天津金木


天保3(1832)年11月、近江国甲賀郡油日村(現滋賀県甲賀郡)に生まれた 大石凝真素美 ( おおいしごりますみ ) (明治6年までは望月大輔)は、真言密教、天台密学を学んだ後、京都で尊王攘夷の志士と交流していた。36歳の時に、美濃国不破郡宮代村の修験者・山本秀道に弟子入りしている。大石凝は、山本とともに俵佐村の勝宮(勝神社)で、鎮魂帰神法を実践していたとされる。

鬼倉足日公とすめら教

青柳種信と辛島並樹

明治時代になって神祇伯は廃止され、白川家も子爵になった。やがて、第33代の白川資長の代で白川家は絶家となってしまう。しかし、伯家神道はいくつかのルートで伝承されていた。その1つが、第30代の雅寿王によって伝授された青柳種信のルートである。 続きを読む 鬼倉足日公とすめら教

本田親徳の古神道

神道霊学中興の祖

本田親徳
 文政5(1822)年1月に薩摩藩で生まれた本田親徳(ほんだちかあつ)は、幼い頃から漢学と剣道を修業した。天保10(1839)年、17歳のときに京都に出て、その後江戸に移った。会沢正志斎に入門し、和漢の学を学んでいる。平田篤胤の家にも出入りしていたとされている。
京都に滞在していた天保14(1843)年、21歳のとき、狐憑きの少女に会い、憑霊状態で和歌を詠むのに衝撃を受け、霊学研究に入ったという。この「和歌を詠む」という点が、極めて重要なのではなかろうか。彼は、歌の機能に対する特別な思いを抱くようになったに違いないからである。
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伯家神道

「息吹永世の伝」

 

伯家部類「白川家系図」第一頁
(『神道体系 論説編11 伯家神道』)
 明治維新までおよそ800年、31代に亘って、宮中祭祀を取り仕切ってきた貴族の家系、伯家(白川家)に継承されてきた神道が伯家神道である。伯家は、花山天皇(第65代、在位984~986)の皇子清仁親王の子、延信王が寛徳3(1046)年に神祇伯に任ぜられたのがはじまりとされる。
伯家神道には、「息吹永世の伝」と呼ばれる独特の呼吸法による修行(花谷幸比古、菅田正昭共著『古神道の氣』コスモ・テン・パブリケーション、1991年、123~124頁)や、「究の字」と呼ばれる神事占法がある。 続きを読む 伯家神道

大日本殉国会

「外部ノ物質的援助ヲ仰ガズ」

 華々しい活躍はしなかったものの、無私に徹した運動を志していた維新団体として知られているのが、大日本殉国会である。
大正15年2月11日、古着屋を営んでいた増井潤一郎が旗揚げした団体である。増井は新潟県高田の出身で、小学校の教師をしていた父から武士的教育を受けるとともに、漢学を仕込まれて成長した。増井の脳裏には、父から教えられた『日本外史』をはじめとする著書に示された楠一族の殉国物語が深く沁み込んでいた(荒原朴水『大右翼史 増補版』大日本一誠会出版局、1974年、100頁)。 続きを読む 大日本殉国会

玄洋社関連文献

関連書籍

著者 書名 出版社 出版時期
頭山満、的野半介、杉山茂丸、内田良平、夢野久作 玄洋社怪人伝――頭山満とその一派 書肆心水 2013年10月
頭山満 頭山満思想集成 書肆心水 2011年10月
石瀧豊美 玄洋社・封印された実像 海鳥社 2010年10月
頭山満、杉山茂丸、内田良平、犬養毅 アジア主義者たちの声〈上〉玄洋社と黒龍会、あるいは行動的アジア主義の原点 書肆心水 2008年4月
大川周明著、中島岳志編 頭山満と近代日本 春風社 2007年12月
立雲頭山満先生講評 『大西郷遺訓』出版委員会編 大西郷遺訓 K&Kプレス 2006
堀 雅昭 杉山茂丸伝―アジア連邦の夢 弦書房 2006
頭山満 頭山満言志録 書肆心水 2006 続きを読む 玄洋社関連文献

鳩山由紀夫の曾祖父・寺田栄

玄洋社幹部で、孫文の革命を支援

鳩山由紀夫の曾祖父・寺田栄は、玄洋社幹部で、孫文の革命を支援した人物である。『東亜先覚志士記伝』には寺田について次のように書かれている。
「福岡県人寺田案山子の長男、安政6年11月を以て生れ、明治10年分れて一家を創立した。同15年明治法律学校を卒業し、司法官登用試験に合格して東京及横浜地方裁判所判事、京橋区裁判所監督判事、高崎区裁判所判事等を歴任し、明治30年1月衆議院書記官に任ぜられ、議事課長、秘書課長、警務課長等を経て大正6年5月衆議院書記官長に進み、同12年8月願に依り免官となると共に貴族院議員に勅選され、14年6月営繕管財顧問を仰付けられた。東亜の諸問題に就ては民間有志と志を同じくし、直接間接に力を致す所があった。大正15年1月病んで歿す。年68。男孝家を嗣ぐ、鳩山一郎夫人薫子はその女である」 続きを読む 鳩山由紀夫の曾祖父・寺田栄

井筒俊彦の精神的東洋

天心の着想と共時的構造化の試み
井筒俊彦
1982年、井筒俊彦は『意識と本質―精神的東洋を索めて』の後記において、次のように書いた。
「東洋哲学─その根は深く、歴史は長く、それの地域的拡がりは大きい。様々な民族の様々な思想、あるいは思想可能体、が入り組み入り乱れて、そこにある。西暦紀元前はるか遡る長い歴史。わずか数世紀の短い歴史。現代にまで生命を保って活動し続けているもの。既に死滅してしまったもの。このような状態にある多くの思想潮流を、『東洋哲学』の名に値する有機的統一体にまで纏め上げ、さらにそれを、世界の現在的状況のなかで、過去志向的でなく未来志向的に、哲学的思惟の創造的原点となり得るような形に展開させるためには、そこに何らかの、西洋哲学の場合には必要のない、人為的、理論的操作を加えることが必要になってくる。 続きを読む 井筒俊彦の精神的東洋

田中角栄の外交とアメリカ

独自の資源外交を展開

 資源小国日本にとって、資源の確保は最も重要な外交課題の一つである。だが、資源外交を基軸にし、主体的な外交を展開した政権は少ない。こうした中で、田中角栄政権は異色だった。
田中首相は、1973年頃から、独自の資源外交を展開していた。まず同年秋、仏、英、西独、ソ連を次々と訪問し、石油、ウラン鉱石、天然ガス等の共同開発について議論している。 続きを読む 田中角栄の外交とアメリカ

田中清玄とアジア連盟構想

橘孝三郎と三上卓を尊敬

 田中清玄は、明治39年3月5日に北海道亀田郡七飯町で生まれた。東京帝国大学在学中に日本共産党に入党、後に書記長に就いた。だが、昭和5年に治安維持法違反容疑で逮捕され、無期懲役となる。母の自殺などを経て獄中で転向する。
 戦後は、興亜思想に基づいて、タイの復興に尽力したほか、インドネシア等に人脈を築く一方、尊敬する民族派は橘孝三郎と三上卓と語っていた。 続きを読む 田中清玄とアジア連盟構想