「息吹永世の伝」
明治維新までおよそ800年、31代に亘って、宮中祭祀を取り仕切ってきた貴族の家系、伯家(白川家)に継承されてきた神道が伯家神道である。伯家は、花山天皇(第65代、在位984~986)の皇子清仁親王の子、延信王が寛徳3(1046)年に神祇伯に任ぜられたのがはじまりとされる。 伯家神道には、「息吹永世の伝」と呼ばれる独特の呼吸法による修行(花谷幸比古、菅田正昭共著『古神道の氣』コスモ・テン・パブリケーション、1991年、123~124頁)や、「究の字」と呼ばれる神事占法がある。 菅田正昭氏は、「息吹永世の伝」の方法を次のように解説している。 「正座をし、手をきちんと膝の上におき、目を半眼にして1メートルぐらい前方の床に視線をおとすようにして、まず口から息を静かに吐く。そして吐き切ったところで口をむすび、こんどは鼻からゆっくりと吸う」。 その際、なるべく腹を動かさないようにして丹田呼吸法をする(菅田正昭『古神道は甦る』橘出版、1994年、268~269頁)。 |
また、伯家神道には、「十種神宝御法の行」という修行がある。これは、十種神宝を10個の徳目にみたて、自分の魂を磨くことによって、その階梯を一歩ずつのぼっていくための修行である。
「まず正座をし、拍手を打ってから、右手の指が左手の指より前へくるように手を組み、両手の人差指だけはアンテナのように直立させ、目をとじ、あとは永世をしながら、八方からあがる独特の節回しの、お祓の声をただ黙って聴いて」いるという方法である(『古神道は蘇る』287頁)。
祓詞は、三種祓、禊祓、ひふみの祓の3つである。三種祓は、「吐菩加美とほかみ 依身多女えみため」を3回繰り返し「祓ひ給へ 清め給ふ」と奏上する(『古神道は蘇る』292頁)。
『伯家部類』
これら伯家の記録・伝承を後代に伝え、伯家神道として独自の神道説を形成する上で重要な役割を果たしたのが、寛永20(1643)年に神祇伯に就いた雅喬王である(久保田収「伯家における神道の形成」『皇学館大学紀要』15号、1977年3月、276頁)。彼は延宝7(1679)年に神祇伯を退き、翌延宝8(1680)年に伯家の記録を『家説略記』としてまとめている。さらに、享保10(1725)年に神祇伯に就いた雅富王は、白川家の文書・記録の整理を命じたという(『伯家神道』7頁)。
『家説略記』に増補を加えて編纂されたものが『伯家部類』である。ここには、「神祇官之事」、「内侍所之事並渡御之事」など25項目に分類して資料が集成されている。
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