鳩山由紀夫の曾祖父・寺田栄

玄洋社幹部で、孫文の革命を支援

鳩山由紀夫の曾祖父・寺田栄は、玄洋社幹部で、孫文の革命を支援した人物である。『東亜先覚志士記伝』には寺田について次のように書かれている。
「福岡県人寺田案山子の長男、安政6年11月を以て生れ、明治10年分れて一家を創立した。同15年明治法律学校を卒業し、司法官登用試験に合格して東京及横浜地方裁判所判事、京橋区裁判所監督判事、高崎区裁判所判事等を歴任し、明治30年1月衆議院書記官に任ぜられ、議事課長、秘書課長、警務課長等を経て大正6年5月衆議院書記官長に進み、同12年8月願に依り免官となると共に貴族院議員に勅選され、14年6月営繕管財顧問を仰付けられた。東亜の諸問題に就ては民間有志と志を同じくし、直接間接に力を致す所があった。大正15年1月病んで歿す。年68。男孝家を嗣ぐ、鳩山一郎夫人薫子はその女である」
ここで「明治10年分れて一家を創立した」とあるのは、西南戦争で西郷軍に呼応して決起、国事犯に問われたためである。寺田は玄洋社の前身「向陽社」が設立される明治11(1878)年以前から、西郷精神を引き継いで玄洋社に連なる志士と行動をともにしていたのである。
民主党衆議院議員の中島政希氏は、平成13年12月20日のインタビューで次のように語っていた。
<敬宮愛子さま、この御名と称号は『孟子』の中でも一番有名な一節が典拠ですね。「仁者は人を愛し、礼ある者は人を敬す。人を愛する者は人つねにこれを愛し、人を敬する者は人つねにこれを敬す」。西郷隆盛の「敬天愛人」も鳩山由紀夫さんの「友愛」も、元々の典拠はこれでしょう。
両陛下や皇太子殿下は、「愛」と「敬」を、21世紀の日本の「時代精神」にしたいと念願されているのかもしれません。内親王殿下の御誕生と敬愛の御命名には深く感動いたしました>
ちなみに、弟の邦夫氏は2009年6月12日に総務相の辞表提出後、「西郷隆盛翁が征韓論の際、岩倉具視に『岩倉公、あやまてり』と言って潔く政府を去った。西郷公も信念の人だから。私も潔さが大事だから」と語った。

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