「アジア的価値観」カテゴリーアーカイブ

アショーカ王─友愛の精神による統治

「正義の法」による勝利

 寛容の精神を備えた指導者アショーカ王の精神は、インドの平和主義の理想として継承されてきた。
 例えば、インディラ・ガンジーは、著書『私の真実』において、次のように述べている。
 「私たちの目標は、力の均衡を権力のためにではなく平和のために役立てることなのです。友愛の精神は、陰謀を挫折させる力です。印度の歴史を見れば、仏陀の、またアショーカ王の時代から、マハトマ・ガンジーの、および、ジャワハルラル・ネルーの時代まで、これこそが常にわが国の政策であったことがわかります」  続きを読む アショーカ王─友愛の精神による統治

忘却された経済学─皇道経済論は資本主義を超克できるか 四

四、成長するための生産=「むすび」
 皇道経済論者は、人間もまた、宇宙の創造に参画すべき存在と考えた。「むすび」の思想に基づいて、この点を強調したのが、作田荘一であった。彼は、古事記や日本書紀などの古典によって、わが国独自の道の真髄を悟り、「創造そのことを以て生活の宗旨となし、『むすび』の道を以て万事を統べ貫き、而も斯の道を行ふものが億兆心を一にする全体であることは、我等の古ながらの変りなき尊い伝統である。…『むすび』の道に随ふとき、始めて労働神聖の意義が明らかとなり、その実現が保証される」とむすびを強調した[i]
 一方、古神道に没入した東京帝大教授の筧克彦は、皇産霊神(高皇産霊神と神皇産霊神)は、創造、化育、生成を行う神様であり、人間の各々も創造、化育、生成の働きを、皇産霊神の下に行っていると説いた。
 筧の影響を受けた、農本主義者の加藤完治もまた、創造とは、我々が物を作るときに、命のない物に、我々の命を叩き込む、我々の魂をその中に入れることだと述べた。そして、化育とは、命のあるものと命のあるものとが向き合って一方の命が他の命を刺激し、これによって円満完全に発展させることだとした。彼は、「磨かれた精神を以て相手の生物に対する場合、相手は立派になる、相手を立派にするべく努力するその時の又此方の魂が磨かれて行く」とも述べている[ii]続きを読む 忘却された経済学─皇道経済論は資本主義を超克できるか 四

忘却された経済学─皇道経済論は資本主義を超克できるか 三

三、エコロジーに適合した消費の思想
 「万物は天御中主神に発する」という皇道経済論の考え方は、物の運用、管理、消費の仕方について独特の考え方をもたらす。一切のものを大切にし、無駄なく完全に活かしきるのである。
 例えば、岡本廣作は、日本国民は「大君のおんもの」である財産を、上御一人の御仁慈に応えるように活用しなければならないと説いた[i]
 無駄なく完全に活かしきるとは、それぞれの「勿体」(もったい)を活かすことにほかならない。「勿体」とは、もともと仏教用語で、その物の本体、価値などを表している。万物に価値、存在意義があり、それを活かし切ることを重視することを意味している。つまり、「もったいない」とは、そのものの価値を完全に活かしきれていないことをいう[ii]続きを読む 忘却された経済学─皇道経済論は資本主義を超克できるか 三

忘却された経済学─皇道経済論は資本主義を超克できるか 二

二、神からの贈り物と奉還思想
 「君臣相親みて上下相愛」する国民共同体を裏付けるものは、わが国特有の所有の観念である。皇道経済論は、万物は全て天御中主神から発したとする宇宙観に根ざしている。皇道思想家として名高い今泉定助は、「斯く宇宙万有は、同一の中心根本より出でたる分派末梢であつて、中心根本と分派末梢とは、不断の発顕、還元により一体に帰するものである。之を字宙万有同根一体の原理と云ふのである」と説いている。
 「草も木もみな大君のおんものであり、上御一人からお預かりしたもの」(岡本広作)、「天皇から与えられた生命と財産、真正の意味においての御預かり物とするのが正しい所有」(田辺宗英)、「本当の所有者は 天皇にてあらせられ、万民は只之れを其の本質に従つて、夫々の使命を完ふせしむべき要重なる責任を負ふて、処分を委託せられてゐるに過ぎないのである」(田村謙治郎)──というように、皇道経済論者たちは万物を神からの預かりものと考えていたのである。
 念のためつけ加えれば、「領はく(うしはく)」ではなく、「知らす(しらす)」を統治の理想とするわが国では、天皇の「所有」と表現されても、領土と人民を君主の所有物と考える「家産国家(Patrimonialstaat)」の「所有」とは本質的に異なる。 続きを読む 忘却された経済学─皇道経済論は資本主義を超克できるか 二

「忠恕」とは何か

 
「忠恕」とは何か。
「忠」とは自分の気持ちや心を尽くす「まごころ」。
「恕」とは自分の心を他者に推して「思いやる」こと。

孔子の弟子の曾子の言葉に、
 「夫子(孔子)の道は『忠恕』のみ」とある(『論語』里仁篇)。

中国三国時代の魏の学者、王弼は、
 「忠は、情の尽なり。恕は情に反りて以って物を同じうするものなり」と注釈している。
 「忠」は自分の気持ち(情)を尽くすことであり、「恕」は自分の気持ちを振り返り、物(他者)の気持ちを自分の気持ちと同一視することだと説明している。

そして、朱子の『論語集注』には
 「己を尽くすをこれ忠と謂い、己を推すをこれ恕と謂う」とある。

人類文明創造へのアジア人の志─大東亜会議七十周年記念大会開催さる

 以下、『月刊日本』2013年12月号に掲載された記事とその英訳を転載します。

人類文明創造へのアジア人の志
 大東亜戦争下の昭和十八年十一月五日、六日の両日、東京で大東亜会議が開催された。東條英機総理、中華民国(南京)国民政府の汪兆銘行政院長、満州国の張景恵総理、フィリピンのホセ・ラウレル大統領、ビルマのバー・モウ総理、タイのワンワイタヤーコーン親王、オブザーバーとして自由インド仮政府首班のチャンドラ・ボースが参加し、列強の植民地支配を痛烈に批判した。
 それから七十年目を迎えた平成二十五年十一月六日、憲政記念館で「大東亜会議七十周年記念大会」が開催された。頭山興助氏と加瀬英明氏が開催実行委員会共同代表を務め、チャンドラ・ボースの兄の孫のスルヤ・ボース氏、元ニューヨークタイムス東京支社長のヘンリー・ストークス氏らが記念講演を行った。 続きを読む 人類文明創造へのアジア人の志─大東亜会議七十周年記念大会開催さる

台湾道院・世界紅卍字会

 筆者は、平成14年6月、大本・人類愛善会の青年たちとともに台湾の道院を訪れた。

「フーチ」で神示を受ける
 道院が正式に設立されたのは1920年だが、すでに1916年頃から、山東省北部の浜県の県知事・呉福林が、同志達とともに役所に神壇を設け、中国に数千年の古来から伝わる自動書記法「フーチ」を用いて、神示を受けていた。ある日、呉福森と劉紹基の壇に、尚真人が降臨し、「老祖久シカラズシテ世ニ降リ、劫ヲ救ヒ給フ、寔ニ是レ数蔓年遇ヒ難キノ機縁ナリ、汝等壇ヲ設ケテ之ヲ求メヨ」(「劫」と劫害、劫劫火、劫風など。遠藤秀造『道院と世界紅卍会』東亜研究会、1937年、2~3頁)という神示があり、その数日後、老祖の降臨があった。やがてこの老祖が宇宙の主宰神であり、唯一最高の真神であることがわかったという(前掲書3頁)。 続きを読む 台湾道院・世界紅卍字会

岡倉天心の言葉

「アジアは一つである。ヒマラヤ山脈は、二つの強大な文明、すなわち、孔子の共同社会主義をもつ中国文明と、ヴェーダの個人主義をもつインド文明とを、ただ強調するためにのみ分っている。しかし、この雪をいただく障壁さえも、究極普遍的なるものを求める愛の広いひろがりを、一瞬たりとも断ち切ることはできないのである。そして、この愛こそは、すべてのアジア民族に共通の思想的遣伝であり、かれらをして世界のすべての大宗教を生み出すことを得させ、また、特殊に留意し、人生の目的ではなくして手段をさがし出すことを好む地中海やバルト海沿岸の諸民族からかれらを区別するところのものである」(富原芳彰訳/『東洋の理想』) 続きを読む 岡倉天心の言葉

石井竜也「亜細亜の空」に込められた「亜細亜は一也」

 本日(2013年9月2日)は岡倉天心の没後100年の命日。映画「天心」完成披露試写会が東京藝術大学の奏楽堂で開催された。
15年ほど前に『岡倉天心の思想探訪』を出版したためか、御招待を受け、『月刊日本』の南丘喜八郎主幹、映画批評を連載していただいている奥山篤信先生とともに参加した。
天心を演じた竹中直人さん、主題歌を担当した石井竜也さん、監督の松村克弥さんらが舞台挨拶した。
映画の評価は専門家に任せるとして、主題歌について一言。実は、石井竜也さんの曾祖父は天心と親交があり、石井さん自身も、幼い頃から天心縁の地である五浦に遊びに行っていたという。天心とそんな深い縁のある石井さんが作ったのが、主題「亜細亜の空」。天心の「アジアは一つ」という言葉を広げられないかと思い、天心の思いを歌にした。石井さんは「アジアという大きな括りの中で、日本画壇を必死に守り抜いた岡倉天心という巨人がいた、ということを、映画をきっかけに、広く知ってほしいなと思います」とも語っていた。
「亜細亜の空」には「亜細亜は一つ」というフレーズも出てくる。「亜細亜の空」はアルバム「WHITE CANVAS」に収録されている。

書評─小倉和夫著『日本のアジア外交 二千年の系譜』(『月刊日本』平成25年9月号)

 現在わが国と近隣諸国との緊張が高まっているが、通常日中関係や日韓関係を語る際、その視野に置かれるのは、せいぜい大東亜戦争に至る100年ほどの歴史であろう。
しかし、わが国とアジア諸国との関係を考えるには、さらに長期的な視点が求められる。この要請に応えてくれるのが、2000年の歴史に遡って日本のアジア外交を考察した本書である。著者は、日本外交の明白なビジョンが今求められていると指摘し、次のように書いている。
〈そうしたビジョンを考えるにあたっては、観察の時間軸を長くのばし、卑弥呼や聖徳太子の外交からも、教訓をえることが必要に思われる。なぜなら、日本近代のアジア外交が、欧米外交の従属変数になってしまったことの反省の上に立って、新しいアジア外交を再構築しなければならないと思われるからである。すなわち、日本外交が、欧米を中心とする国際社会にどう対応すべきかという課題をつきつけられた「近代」に突入する以前の段階で、日本とアジアがどう向かい合ってきたかを考察してみる必要があるのではなかろうか〉(2~3頁) 続きを読む 書評─小倉和夫著『日本のアジア外交 二千年の系譜』(『月刊日本』平成25年9月号)