台湾道院・世界紅卍字会

 筆者は、平成14年6月、大本・人類愛善会の青年たちとともに台湾の道院を訪れた。

「フーチ」で神示を受ける
 道院が正式に設立されたのは1920年だが、すでに1916年頃から、山東省北部の浜県の県知事・呉福林が、同志達とともに役所に神壇を設け、中国に数千年の古来から伝わる自動書記法「フーチ」を用いて、神示を受けていた。ある日、呉福森と劉紹基の壇に、尚真人が降臨し、「老祖久シカラズシテ世ニ降リ、劫ヲ救ヒ給フ、寔ニ是レ数蔓年遇ヒ難キノ機縁ナリ、汝等壇ヲ設ケテ之ヲ求メヨ」(「劫」と劫害、劫劫火、劫風など。遠藤秀造『道院と世界紅卍会』東亜研究会、1937年、2~3頁)という神示があり、その数日後、老祖の降臨があった。やがてこの老祖が宇宙の主宰神であり、唯一最高の真神であることがわかったという(前掲書3頁)。
道院の特徴は、五教同根である。「至聖先天老祖」(正確には「青玄宮一言真宗三元紀」)を最高の存在とし、その下に釈迦、老子、項先師(孔子の師で、儒教の祖)、マリア、ムハンマドという5大宗教の宗祖を祀っているのである。ただし、この五教のみに限定しているかといえば、決してそうではない。基本的に、あらゆる宗教は全て「同源不二」のものだと考える。
 道院自らは、宗教ではなく、「大道を極め、それを社会に広げていくための団体」だとしている。遠藤秀造は、次のよう説明する。
 「道院の道は即ち大道の意である。大道なるものは人の欲すると欲せざるとに拘らず、先天的に此の天地宇宙の間に実在するものである。故に道院は後天的教に依つて結合された処の所謂宗教ではないとして居る」、「即ち大道の何物なりやを究めて広く之を世界に宣布して社会の改良に資し、以つて世界人類の福祉に貢献せんとして居る純真なる信仰団体である」(前掲書819頁)。
 道院の目的は、道徳宗教の頽廃している現代社会を救済して人倫の本源に帰らせ、自修他済によって、人類の福祉完成に邁進することである(前掲書10頁)。修行して大道を把握するだけでなく、それを人類の福祉に寄与することが求められているわけである。単に真理の把握で終わらないのは、自らが救われるだけでなく、社会を救うという発想が基本にあるからである。それは、「内外兼修」という言葉に示されている。
 「内修とは静坐なり。即ち己を修むる工夫なり。外修とは善行なり、即ち是れ人を度するの事業なり。内修なければ以て本を立つるなく、外修なければ以て世を救ふなし。故に二者は偏廃すべからず」(興亜宗教協会編『世界紅卍字会道院の実態』興亜宗教協会(興亜院華北連絡部内、1941年、54頁)。
 興亜宗教協会がまとめた『世界紅卍字会道院の実態』は、次のように説明している。
 「道院の趣旨は内修外行である。即ち道を以て体と為し慈を以て用と為すのである。若し只内修のみを知つて外行を知らなければ自己の独善主義となり世界人類に対して毫も益する所がない。故に自己の性霊を修めんと欲すれば必ず先づ他人の性霊を救ふを以て最大の慈行となすのである」(前掲書57頁)。
天の法則を現実社会にも適用しようという道院の発想は、この世に天国を築くことを意味する。人類の福祉、すなわち慈善活動を展開するために設けられたのが世界紅卍字会にほかならない。世界紅卍字会は、道院の分身として救世済人の実際的社会的活動を担当する慈善団体にほかならない(『道院と世界紅卍会』61頁)。

大本教と道院
 道院のフーチでは、神前において砂盤を中心に両方から2人が筆を支え、神の力によって砂の上に文字が書かれる。1923年、このフーチによって「救済のための円金と米を集めよ」という訓令があった。米4万石(60万キロ)と銀2万両(約2億)が集まり、ではこの米をどうするかと伺うと、「日本に送れ」とのことであった。こうして、道院・世界紅卍字会は、候延爽ら幹部2名を東京に派遣する。彼らが到着したのが、1923年8月31日だった。なんと、関東大震災が起こったのはその翌9月1日のことである。その救援物資ならびに救援金第1号として紅卍字会の名は記帳されることになった。そのとき、候延爽らには、「日本には道院と同種の宗教団体がある。それを探し当てて、提携をはかること」という神示が下っていた。そこで、彼らはいくつかの教団を訪れた。しかし、フーチの指示とは食い違う。諦めて一旦帰国することにして、神戸に来たときである。偶然にも、新聞記事で大本教(現大本)の存在に気づいたのである。帰国をとりやめて一行は、1923年11月3日、大本教を訪れ、王仁三郎夫妻と会見した。これが、彼らが説明する道院と大本教との出会いである。
 ただし、実際には南京駐在の日本領事・林出賢次郎が両者の仲介に入ったとされている。1932年から1938年まで満州国大使館書記官に任ぜられ、溥儀の通訳を務めことに象徴されるように、林出は、外務省時代のすべてを中国各地の大使、公使、領事館に在勤し、中国の各界に様々なパイプを持っていたのである。後に、林出は世界紅卍字会満州総会の最高幹部に就いている。
 1924年の王仁三郎の入蒙によって、大本教と道院・世界紅卍字会の絆も深まった。王仁三郎は、後にこう振り返っている。
 「物質的に見た時は或は失敗かも知れぬが、精神的に見た時には、其後に起り来つた凡ゆる問題と、亜細亜と言ふ叫びのあがつて来たことを見ても自分の投じた一石が世界的に波紋を画がき、各方面に影響を齎して要る事が明かに観取出来る。世界紅卍字会との精神的連繋の出来たのも其顕著なる一つである如く、新精神運動の勃興に光明を与へたものである」(出口王仁三郎「亜細亜問題の解決を語る」『昭和』1965年8月号、『大本史料集成』、693頁)。
やがて、大本教と道院・世界紅卍字会とは一心同体の関係になる。道院・世界紅卍字会の代表布教団が日本宣伝に来訪したとき、神戸道院を訪れ、次のように述べたという。
 「日本愛善会の在る所は中国の卍字会の在る所、中国の卍字会の在る所は亦、即ち日本の愛善会の在る所也。道院、大本に至つても亦是の如きのみ。凡そ中国の会の在る所は亦即ち大本、愛善会の在る所、亦、名異ると雖も各方相親相睦、相結相合の心理は当に一にして別なき也」(内田良平『満蒙の独立と世界紅卍字会の活動』先進社、1931年、111~112頁)。
 実際、1924年に神戸に道院が開設され、1929年には東京、大坂、亀岡に、1930年以後、関東、近畿、北陸、山陰、九州に合計37カ所に開設される(『道院と世界紅卍会』7頁、39頁)。

神人合一の独立王国建設の夢
 やがて、王仁三郎、内田良平らの興亜論者、道院・世界紅卍字会の三者によって、満州に理想郷を建設しようという運動が展開されるようになる。紅卍字会日本総会会長には王仁三郎が、責任会長には内田が、そして顧問には頭山が就いていた(『満蒙の独立と世界紅卍字会の活動』116頁)。内田は次のように書いている。
「現在の満蒙の天地に、神人合一の独立王国を建設せんとする信仰と理想なのである。神人合一の『明光帝国』を、荒涼蕭条たる往時の朔北、匈奴の地に樹立することは全紅卍字会員にとつては、次に来るべき、より偉大なる神人国の基礎であり、此の建設を通じて後始めて、支那本土の樹て直し日支両民族和同共栄の楔が打ち立てられるものと信じてゐるのである。
 斯くて、今次の満洲事変勃発するや、支那各地の紅卍字会有志は日本の卍字会有志と協力連繋して、満蒙自治独立自由王国建設のために、熱烈なる運動に着手するに至つたのである」(前掲書118頁)。
 ところが、中国華中師範大学で教鞭をとる沈潔氏は、内田の『満蒙の独立と世界紅卍字会』を紹介した上で、内田に関して「彼は、世界紅卍字会を利用して、中国人の人心を買収し」たと評価し(沈潔『「満洲国」社会事業史』ミネルヴァ書房、1996年、128頁)、こう続ける。
 「内田良平らが世界紅卍字会の活動に注目を注いだのは、同会は政治面で利用価値があるとの判断があったからであった。紅卍字会の会員は、中国の官吏や一流の商人が多く、各地で設立された分会の会長も県長によって兼任されたところも多い。満洲地区を含む中国全土から見ても、政治・経済に関わる有力な圧力団体だった。事実、『満洲国』建国後の世界紅卍字会の活動は、政治と関わる活動をさらに増加させる傾向になった」(前掲書128~129頁)
 しかし、内田自身は次のように語っていた。
 「『惟神の天地の大道』に接し、全宗渾一融和の精神的大世界を発見する事を提唱すると共に世界人類の絶対的平和統一と大同団結を念願とするものである。従て実社会に対する外廓実践の社会改造運動団体たる世界紅卍字会は、道院の信仰たる『真神の世界の和同統一と大改造』の教旨を奉じて、先づ東亜民族の和平と満蒙の天地に自治自由の楽土建設を標榜するものであり、暴虐と圧制を絶滅するを神の意志として、今次の満蒙独立運動の必然性と完成とを信じてゐるからである。此の意味に於て、紅卍字会の実体と意義を理解する事は満蒙独立国家建設運動の内面的最深、最重の一契機を把握することゝもいひ得るのであらう」(前掲書106頁)、「一面極めて純一無垢にして遠大なる理想と信念に燃ゆると共に、世界人類の絶対平和と福祉の楽園を地上に建設せんとして、日々常時、あらゆる機会をつかんで、着々穏建に而も極めて真摯に奉仕的な社会事業運動に活動してゐるのである」(前掲書82~83頁)
 「全宗渾一融和の精神的大世界を発見する事を提唱すると共に世界人類の絶対的平和統一と大同団結」、「福祉の楽園を地上に建設せんとすること」は、まさに興亜論者の夢でもあった。同一の夢を持っていたからこそ、協力が成り立っていたのではなかろうか。

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