「明日のサムライ」折本龍則君とともに、近藤啓吾先生『靖献遺言講義』の勉強会をやっています。
本日(平成24年10月3日)の勉強会で、劉因も終わりそう。後は方孝孺のみ。
「外国人」カテゴリーアーカイブ
対米自立派の必読書(作成途中)
対米自立派の必読書
| 著者 | 書籍写真 | 書名 | 出版社 | 出版時期 |
|---|---|---|---|---|
| 清水幾太郎 | ![]() |
日本よ国家たれ―核の選択 | 文藝春秋 | 1980年9月 |
| 片岡鉄哉 | ![]() |
黒船待ちの日本―ゴーリズム国家をめざして | 日本教文社 | 1982年1月 |
| 江藤淳 | ![]() |
日米戦争は終わっていない―宿命の対決 その現在、過去、未来 新版 | ネスコ | 1987年6月 続きを読む 対米自立派の必読書(作成途中) |
高倉健「気持ちは、映る」
今夜(9月10日)放送の「高倉健インタビュースペシャル」を視た。
8日放送の感想で、「高倉の演技は文字通り、魂による演技だ」と書いたが、今回のインタビューでそのことが明確になった。
やはり、彼が重視するのは、テクニックではなく魂であった。
『ゴッドファーザー』のマーロン・ブランド。疎遠だった息子が会いに来るシーンを見て、高倉は大仰な芝居がないのに、人の心を打つことを知った。それは、高倉が「どれだけの本物の気持ちを込められるか」が最も重要なのだと確信した瞬間だったろう。
インタビューで高倉は語った。「気持ちは、映る」と。
そして、映画俳優として一番大事なことは感受性だと語った。だから、彼は感受性を高めるために、良い映画を見たり、感動できる小説を読んだり、美術品を見たりするのだという。
1991年9月16日─もう一つのフィリピン独立記念日
1991年9月16日、フィリピン上院周辺は、まるで独立宣言を行ったかのような熱気に包まれていた。この日、フィリピン上院は在比米軍基地存続を盛り込んだ「米比友好協力安保条約」を反対多数で否決したのである。採決に当り、ウィグベルト・タニャーダ(以下、W・タニャーダ)上院議員は声をからして訴えた。
「最後のアメリカ軍機がわが領空から飛び去り、最後のアメリカ戦闘艦がわが水平線から姿を消す情景は、われわれを大いに奮い立たせるだろう。自らの運命を自らの手にする時がついにくるのだ」
ウィグベルトの父で、一貫して在比米軍基地撤去のための運動を続けてきたロレンゾ・タニャーダ(以下、L・タニャーダ)元上院議員は、93歳という高齢で透析を受けていたが、「透析などいつでもできる。私はこの歴史的瞬間に立ち会いたいのだ」と、妻の反対を押し切って、車椅子で議場に現われた。
こうして、フィリピンのスービック基地とクラーク基地から米軍は撤退した。対米追従派が強調しているように、その後中国はスプラトリー諸島(南沙諸島)など、この地域でのアメリカのプレゼンスの後退を埋める形で、そのプレゼンスを拡大したかに見える。しかし、在日米軍基地があるにもかかわらず、尖閣諸島問題は起きた。
いずれにしろ、民族自決を尊重する立場に立てば、在比米軍基地をそのまま置いておいた方がよかったとは言えない。 続きを読む 1991年9月16日─もう一つのフィリピン独立記念日
『靖献遺言講義』勉強会②(平成24年9月8日)─「明日のサムライたちへ」取材記録
「明日のサムライ」折本龍則君とともに、近藤啓吾先生『靖献遺言講義』の勉強会をやっています。
平成24年9月8日の勉強会、謝枋得もいよいよ大詰めです。まもなく劉因へ。
『靖献遺言』で取り上げられた8人
マレーシアとTPP
2012年夏、マレーシアのTPPに対する姿勢が変化した。8月6日、リオウ・ティオンライ保健相は「新薬の特許に関するアメリカの主張はマレーシアにマイナス」と述べ、TPPに反対する姿勢を示した。さらにティオンライ保健相は、ISD条項にも批判的な発言をしている。
以下に引用する、マハティール元首相のブログでの発言(6月19日)が転機になっている。
T P P
JUN19
2012 24 COMMENTS WRITTEN BY CHEDET
1. Not many people know what these letters stand for. I too did not know until some Japanese MPs gave me a badge with “No to TPP” for me to wear.
2. They told me that TPP means Trans Pacific Partnership. It is conceived and promoted by the United States of America. Apparently Malaysia had agreed to join this new organization.
続きを読む マレーシアとTPP
志士ベニグノ・ラモスの悲劇─日比連帯へのアメリカの憎悪
「日本人としてもっとも銘記すべき悲劇の英雄であり、日本人が花束をささげて、永遠にその友情を忘れてはならない人物だと信ずる」
一九七一年に葦津珍彦先生は、フィリピンの志士ベニグノ・ラモスについてこのように書いた(『新勢力』)。
ラモスの人生を大きく変える事件は、一九三〇年に起こった。マニラ・ノース・ハイスクールに勤めていた、あるアメリカ人女性教師が、フィリピン人は「バナナ食いの猿のようなものだ」と侮蔑的発言をしたことが発端だ。この発言をきっかけに、市内のいくつかの高校の生徒が一斉に同盟休校し、世論が沸き立った(『アキノ家三代 下巻』)。
当時、フィリピンはアメリカの植民地だった。ラモスは、沈静化を図ろうとするマニュエル・ケソン上院議員に楯突き、官界を自ら去り、対米独立闘争の先頭に立つことを決意した。彼はフィリピン人エリート層がアメリカの権力に阿り、フィリピン民衆の利益を擁護できていないと主張、対米要求に弱腰のケソン指導部を攻撃し、即時、絶対、完全独立を要求した。また、農民の貧困問題の解決を訴えた。 続きを読む 志士ベニグノ・ラモスの悲劇─日比連帯へのアメリカの憎悪
興亜の夢を信じたインド独立運動家─ビハリ・ボース
以下は、『アジア英雄伝』に収録した、ビハリ・ボースの評伝です。
一五歳にしてインド独立を志す
インドの志士ビハリ・ボースは、日本の興亜陣営と結んでインド独立運動に挺身しただけでなく、アジアの志士たちの連携の中核として活躍した。彼には普遍的思想に基づいたアジアの道義的統一という明確なビジョンがあったのである。
ビハリ・ボースは、一八八六年三月一五日、インドの西ベンガル州ブルドワン郡で生まれた。彼がインド独立運動に目覚めたのは、一五歳の頃、一八五七年のインド大反乱について書いたデピプロサンナ・ローイ・チョウドリーの『サラット・チャンドラ』を読んでからである。イギリスへの敵愾心を強め、インド独立の必要性を痛感するようになった。彼は、「自由の雄叫びが自己の胸中にあることを意識した」と回想している(1)。 続きを読む 興亜の夢を信じたインド独立運動家─ビハリ・ボース
長谷川雄一、福家崇洋、クリストファー・スピルマン編『満川亀太郎日記』の書評
以下、『月刊日本』2011年4月号に書いて、『満川亀太郎日記』の書評です。

敗戦・占領によって形成された自虐的な歴史観から脱却し、戦前の民族派・維新派の思想と行動に積極的意義を見出そうとする研究が進展する中で、そうした研究における実証的分析が要求されるようになっている。
特に民族派の思想形成過程や運動の実態を分析する上で、行動の記録である日記、日誌は重要な資料となる。大正期以降の民族派運動の中心の一つでもあった猶存社、行地社に関わる日記としては、これまでに『大川周明日記』(岩崎書店、昭和六十一年)、『北一輝 霊告日記』(第三文明社、昭和六十二年)などが刊行されているが、大川の日記が本格的に始まるのは昭和十一年六月からであり、大正期、昭和初期の分析には不十分である。こうした中で、猶存社、行地社の創立に際して中心的役割を果たした満川亀太郎の日記をまとめた本書の資料的価値は極めて高い。
猶存社は大正八年八月に結成された民族派団体であり、渥美勝、何盛三、笠木良明、鹿子木員信、嶋野三郎、西田税、安岡正篤といった人物が同人として名を連ねていた。その結成に当たり、上海にいた北を呼び戻して参加させようと提案したのは満川であった。彼は北、大川とともに猶存社の「三尊」とも称された。 続きを読む 長谷川雄一、福家崇洋、クリストファー・スピルマン編『満川亀太郎日記』の書評










