「ベニグノ・ラモス」カテゴリーアーカイブ

「いま『大アジア』を問うことは時代錯誤だろうか」─松岡正剛『千夜千冊エディション 大アジア』

松岡正剛『千夜千冊エディション 大アジア』(角川ソフィア文庫)

 令和2年7月、松岡正剛氏の『千夜千冊エディション 大アジア』(角川ソフィア文庫)が刊行された。「大アジア」というタイトルに驚き、筆者の問題意識と重なる多くの書物が手際よく紹介されていることもあり、熟読した。
 さて、同書において、12年も前に書いた拙著『アジアの英雄たち』(展転社)を圧倒的ページ数(287~353頁)で取り上げていただいたことに、心より感謝申し上げる。
 〈著者は日本経済新聞出身のジャーナリスト兼ライターの坪内隆彦で、「月刊日本」連載の『アジアの英雄たち』をもとに充実させた。タイトルに『アジア英雄伝』とあるように、あからさまな大アジア主義称揚の視点で綴られている。冒頭に頭山興助の「推薦の辞」が飾られているのだが、この人は頭山満のお孫さんだし、あとがきには田中正明の『アジア独立への道』(展転社)からの影響を記している。田中は松井石根の私設秘書から近現代アジア史の著述に向かい、『パール博士の日本無罪論』(小学館文庫)、『東京裁判とは何か』(日本工業新聞社)などを書いた。
 そういう一冊ではあるのだが、当時の大アジア主義にかかわった人物を点検するには浩瀚かつ便利な一冊になっている〉
 松岡氏が「そういう一冊ではあるのだが」と、わざわざ前置きされたことについては、いろいろ考えるところがあるが、筆者が「大アジア主義称揚の視点」で綴っていたことを否定するつもりはない。
 ただ、大アジア主義といっても、在野のアジア主義と政府のアジア主義には違いがある。筆者は一貫してアジアの亡命志士たちが日本政府の政策に失望した事実を強調してきた。拙著の中でも次のように書いている。 続きを読む 「いま『大アジア』を問うことは時代錯誤だろうか」─松岡正剛『千夜千冊エディション 大アジア』

フィリピンの志士ベニグノ・ラモス関係資料①

 防衛省防衛研究所所蔵の「比律賓独立党首領ラモス氏歓迎茶話会に関する件」(昭和11年4月16日作成)には、昭和11年4月16日に開かれたフィリピンの志士ベニグノ・ラモス歓迎茶話会についての情報が記録されている。
「比律浜独立党(サクダリスタ党)首領ラモス氏の歓迎茶話会を四月十五日正午ヨリ当協会に於て開催、中谷幹事より歓迎の挨拶 犬塚理事よりラムス氏の紹介ありて後ラムス氏より比律浜独立運動情勢につき説明あり、種々懇談を交換して三時半散会した」とある。
(PDFデータは、アジア歴史資料センターのサイトからダウンロードしたDjVuデータをもとに作成したもの)

志士ベニグノ・ラモスの悲劇─日比連帯へのアメリカの憎悪

「日本人としてもっとも銘記すべき悲劇の英雄であり、日本人が花束をささげて、永遠にその友情を忘れてはならない人物だと信ずる」
一九七一年に葦津珍彦先生は、フィリピンの志士ベニグノ・ラモスについてこのように書いた(『新勢力』)。
ラモスの人生を大きく変える事件は、一九三〇年に起こった。マニラ・ノース・ハイスクールに勤めていた、あるアメリカ人女性教師が、フィリピン人は「バナナ食いの猿のようなものだ」と侮蔑的発言をしたことが発端だ。この発言をきっかけに、市内のいくつかの高校の生徒が一斉に同盟休校し、世論が沸き立った(『アキノ家三代 下巻』)。
当時、フィリピンはアメリカの植民地だった。ラモスは、沈静化を図ろうとするマニュエル・ケソン上院議員に楯突き、官界を自ら去り、対米独立闘争の先頭に立つことを決意した。彼はフィリピン人エリート層がアメリカの権力に阿り、フィリピン民衆の利益を擁護できていないと主張、対米要求に弱腰のケソン指導部を攻撃し、即時、絶対、完全独立を要求した。また、農民の貧困問題の解決を訴えた。 続きを読む 志士ベニグノ・ラモスの悲劇─日比連帯へのアメリカの憎悪