「外国人」カテゴリーアーカイブ

折本龍則氏「リカルテと日比の絆」(『レコンキスタ』平成28年5月1日号)

 一水会発行『レコンキスタ』平成28年5月1日号に、折本龍則氏の「リカルテと日比の絆」が載った。
ちょうど10年前の平成18年12月号『月刊日本』に、この歴史から消された志士リカルテの評伝を書いた(拙著『アジア英雄伝』に収録)。いま再び、リカルテの真価が日本人に理解されるようになることを強く願っている。

ライプニッツと儒教①─五来欣造『儒教の独逸政治思想に及ぼせる影響』

 五来欣造『儒教の独逸政治思想に及ぼせる影響』(早稲田大学出版部、昭和4年)で、ライプニッツに対する儒教の影響について論じている。
 五来は、ライプニッツ全集第十巻の「教養ある善意の人に対する手記」の以下の部分を引用する。
 〈私の為に、私は形而上学及び道徳のこの大原理を置く。即ち世界は可能的なる完全なる知識に依つて支配されて居る。従つてこの世界を以つて世界的王国と見倣し、その首長は全能にして且つ最高の聖智を有し、その臣民は総べて精神である。換言すれば、知識に「適当し、又神と共に社会を作るに」適当する総べての実体である。而してその他のものは神の光栄と精神の幸福を来す可き手段に過ぎない。従つて全宇宙は精神の最も可能的に大なる幸絹に貢献することが出来る〉
 〈前者より更に他の純粋に実践的なる原理が出て来る。精神は善意を有し、神の光栄即ち共同の幸福に貢献すべく努力するに従つて、彼等自身この幸福に與り得るであらう。若し彼等がこの貢献をせざれば、必らず罰せられるであらう。何となれば完全に良く支配されたる王国に於ては、如何なる内部又は外部の善き行も、之に比例したる報酬を受けざるものなく、その悪業も亦罰を受けざるものは無い。我等は理性のみの助けに依つて、その詳細を説明することは出来ない。又如何にしてそれが斯の如くなるかを知らない。殊に来世の場合を然りとなす。然しながら是が斯の如くあることは、疑ふ余地がないと言ふこと丈けで充分である〉 続きを読む ライプニッツと儒教①─五来欣造『儒教の独逸政治思想に及ぼせる影響』

西本省三『支那思想と現代』(春申社、大正10年)目次

 以下は、西本省三が大正10年に刊行した『支那思想と現代』の目次。
 道と器
 論語と労資問題
 礼教の国
 徳の力
 大春秋と小春秋
 之を如何、之を如何
 支那の所謂新思想
 支那の領土問題
 人気取り政治
 黄梨洲と王船山の学生論
 支那の知識労働階級
 鄙夫患夫の語と現代
 学ばざるの黄老家
 愿民と傲民
 民心即ち天心
 支那の民本思想
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西本省三と忠臣・鄭孝胥

 戦前の興亜論を再考する上で、孫文支持派と一線を画した清朝復辟論者の存在に注目する必要がある。その中心人物の一人が西本省三である。
 明治10(1877)年に熊本県菊池郡瀬田村で生まれた西本は、中学済々黌(現在の熊本県立済々黌高等学校)卒業後、東亜同文書院で教鞭をとった。
 西本は、清朝遺臣の鄭孝胥と交流するとともに、同じく清朝遺臣の沈子培に師事し、清朝復辟論を唱えていた。辛亥革命後の大正2(1913)年には、鄭孝胥、宗方小太郎、島田数雄、佐原篤助らと上海に春申社を設立し、『上海』を創刊する。西本は同紙上で、清朝復辟を唱え、孫文の思想を「欧米直訳思想」と批判していた。昭和2(1927)年夏に西本は病のために郷里熊本に帰国、再び上海の地を踏むことなく翌28年5月に死去した。
 一方、鄭孝胥は溥儀の忠臣として人生を全うした。1912年に溥儀は退位宣言をし、1924年には紫禁城を退去したが、鄭孝胥は忠臣として付き従った。鄭孝胥は1932年、満州国建国に伴い、初代国務院総理に就任した。
*写真は鄭孝胥

「二子なかりせば、乱臣賊子、迹を後世に接せん」

 韓愈『伯夷の頌』の末尾には、「二子なかりせば、乱臣賊子、迹を後世に接せん」とあります。二子(伯夷・叔斉)がいなかったら、乱臣賊子が次々と絶え間なく出現したことだろう、と。
 これについて、近藤啓吾先生は『靖献遺言講義』で以下の絅斎講説を引いています。
 〈『拘幽操』の附録の跋にかくも、この思い入れで、やゝともすれば後世での手よく世をぬすむものが、湯・武を引きべつにする。それでこの二子なくば乱臣賊子あとを後世につがせうぞ。王莽や曹操や許魯斎や其外の世をぬすむ男どもを一坐にならべて、湯・武ばなしをしたらば、惣々尤じや聖人じやと云をゝ。其中へ伯夷の名分を云いたてたら、どれも色ちがひして、ものをゑ云ふまいぞ〉(原文カタカナ)

「興亜の歴史を上海に見つける」②─『上海歴史ガイドマップ』

 『上海歴史ガイドマップ 増補改訂版』地図編13「虹口」には、松崎洋行、東和洋行をはじめとして、日本人ゆかりの場所が記されている。
 地図の左下、蘇州河に架かる河南路橋付近の「河浜緑賓館」の一角に「東和洋行」と赤字で記されている。ここは、日本人経営のホテルで、金玉均が暗殺された場所。
 また、飄鷹大酒店の北側に松崎洋行と記されている。ここは辛亥革命の最中に、北一輝が拠点としていた日本旅館である。

崎門学の必読書、『靖献遺言』を読む会(平成27年11月21日)

〇開催趣旨
 崎門学の必読書、『靖献遺言』を読む会 〇開催趣旨 『靖献遺言』は、山崎闇齊先生の高弟である浅見絅齊先生の主著ともいうべき作品であり、崎門学の必読書です。本書は、貞享4年、絅齊先生が33歳の時に上梓し、「君臣ノ大義」を貫いて国家に身を殉じた屈平、諸葛亮、陶潜、顔真卿、文天祥、謝枋得、劉因、方孝孺等、八人の忠臣義士の生涯、並びにそれに関係付随する故事が、厳格な学問的考証に基づいて編述されております。絅齊先生は、本書に登場する八人の忠臣義士に仮託して君臣の大義名分を闡明し、それによって婉曲に幕府による武家政治を批判したのですが、こうした性格を持つ本書は、その後、王政復古を目指す尊皇討幕運動のバイブルとして志士たちの間で愛読されました。なかでも、越前の橋本左内などは、常時この『靖献遺言』を懐中に忍ばせていたと言われます。また今年生誕200年を迎えた幕末の志士で崎門学者の梅田雲浜は、交際のあった吉田松陰から「『靖献遺言』で固めた男」と評されました。

 そこでこの度弊会では、この『靖献遺言』を熟読玩味し、崎門学への理解を深めることを目的とした勉強会を開催いたします。開催は月一を目途とし、テキストは近藤啓吾先生が著された『靖献遺言講義』(国書刊行会)を使用いたします。本テキストは、近藤先生による親切な現代語訳が付いておりますので、我々の様な初学者でも何とか理解できるようになっております。ついてはこの機会に、本書を通して崎門学を学びませんか。

〇日時 平成27年11月21日(土) 午後2時から午後5時まで

〇場所 浦安市中央公民館 浦安市猫実4-18-1

〇主催 崎門学研究会(代表・折本龍則、連絡先・090-1847-1627)

岡倉天心と屈原

 
明治31(1898)年3月26日、岡倉天心は東京美術学校を追われた。その背景には、スキャンダルがあったのだが、欧米型近代化に背を向ける天心流の国粋主義が、国家政策の邪魔になったと見ることもできる。
 天心の受けた打撃は大きかった。しかし、ようやく天心は民間の自由人としてみずからの理想を追求できるようになった。ただちに彼は、私立美術学校として日本美術院の設立に動く。 ――自分たちは、あくまでも先生についていきます。
 天心失脚に憤慨した橋本雅邦、横山大観、下村観山、菱田春草ら教官17名は4月に辞職、天心とともに歩んでいくことを決意していた。
 10月15日、「新時代における東洋美術の維持、開発」を高らかに掲げ、日本美術院はスタートをきった。開院式に合わせて記念展覧会が開催された。人々は、会場に飾られた大作に注目した。 続きを読む 岡倉天心と屈原