五来欣造『儒教の独逸政治思想に及ぼせる影響』(早稲田大学出版部、昭和4年)で、ライプニッツに対する儒教の影響について論じている。
五来は、ライプニッツ全集第十巻の「教養ある善意の人に対する手記」の以下の部分を引用する。
〈私の為に、私は形而上学及び道徳のこの大原理を置く。即ち世界は可能的なる完全なる知識に依つて支配されて居る。従つてこの世界を以つて世界的王国と見倣し、その首長は全能にして且つ最高の聖智を有し、その臣民は総べて精神である。換言すれば、知識に「適当し、又神と共に社会を作るに」適当する総べての実体である。而してその他のものは神の光栄と精神の幸福を来す可き手段に過ぎない。従つて全宇宙は精神の最も可能的に大なる幸絹に貢献することが出来る〉
〈前者より更に他の純粋に実践的なる原理が出て来る。精神は善意を有し、神の光栄即ち共同の幸福に貢献すべく努力するに従つて、彼等自身この幸福に與り得るであらう。若し彼等がこの貢献をせざれば、必らず罰せられるであらう。何となれば完全に良く支配されたる王国に於ては、如何なる内部又は外部の善き行も、之に比例したる報酬を受けざるものなく、その悪業も亦罰を受けざるものは無い。我等は理性のみの助けに依つて、その詳細を説明することは出来ない。又如何にしてそれが斯の如くなるかを知らない。殊に来世の場合を然りとなす。然しながら是が斯の如くあることは、疑ふ余地がないと言ふこと丈けで充分である〉
〈真に人間の幸福に貢献する為には、彼等の知識を明かにすることが必要であり、徳の実行即ち理性に従つて行動する習慣の中に、彼等の意志を強めねばならぬ。而してこの真理を発見し、其の幸福を遂行することを妨げる障害物を取り除くことが必要である〉
〈人間の意志を更により善くなす為に、人が良き綱領を與へることが出来る。然し之を実行せしむるには国権に依るの外はない。その最大重要点は徳を快きものとなし、之を性質の如く変化せしむることを目的とする処の教育に依る訓練である。然し若年時代に之を欠く者は更に善き仲間と実例とに依るの外はなく、又善意を明白に表象して一を愛し他を憎ましめ、下の言葉を自ら自己の金言となさしめ、”dic eur hic; hoc age; respice; snem” それに堅固なる徳を與へるには、不適当ではあるが、已むを得ずんば、最後の薬剤として、賞罰に訴へることが必要である。彼等を其処に傾かしめる為にはこの方法も亦必要である〉
〈而してこの幸福増進の妨害を除く方法に就いては、身体上財産上の二つに別れ、疾病を防ぐ事と、貧困を防ぐこととなる。この二つを防ぐためには、宇宙の中に在る万物の性質を研究し、その中に在る万物の性質を研究し、その中より是等の妨害を防ぎ得るものを発見せねばならぬ。是卸ち自然科学と美術を奨励することであり、
一つは医学の為に、一つは人に便利を與ふるためである〉
〈而して是が為に最も偉大にして最も有効なる方法は、偉大なる君主と主なる大臣に勧誘して、異常なる努力をなさしめることである。而して是が為には、君主及びその子孫の悪徳を矯めることが必要であるとして、即ち君主教育の急務なることを説いて居る〉
〈個人に対しても、この公益の為に努力すべきことを勧め、私費を拗つて科学を研究すべきことを奨励して居る。是普通の慈善よりも有利である。何となれば多数の人を利益するからである〉
その上で、五来は「以上の記録を以て儒教とライプニッツとの類似が如何に大であるかを見ることが出来る」と書いている。