「頭山 満」カテゴリーアーカイブ

興亜の夢を信じたインド独立運動家─ビハリ・ボース

以下は、『アジア英雄伝』に収録した、ビハリ・ボースの評伝です。

一五歳にしてインド独立を志す
インドの志士ビハリ・ボースは、日本の興亜陣営と結んでインド独立運動に挺身しただけでなく、アジアの志士たちの連携の中核として活躍した。彼には普遍的思想に基づいたアジアの道義的統一という明確なビジョンがあったのである。
ビハリ・ボースは、一八八六年三月一五日、インドの西ベンガル州ブルドワン郡で生まれた。彼がインド独立運動に目覚めたのは、一五歳の頃、一八五七年のインド大反乱について書いたデピプロサンナ・ローイ・チョウドリーの『サラット・チャンドラ』を読んでからである。イギリスへの敵愾心を強め、インド独立の必要性を痛感するようになった。彼は、「自由の雄叫びが自己の胸中にあることを意識した」と回想している(1)。 続きを読む 興亜の夢を信じたインド独立運動家─ビハリ・ボース →

星条旗の下の祖国を拒否した男─アルテミオ・リカルテ

以下、『アジア英雄伝』に収録した、フィリピンの志士アルテミオ・リカルテの評伝です。


「星条旗の下には帰らぬ」
フィリピンの志士アルテミオ・リカルテは、長期間日本に潜伏し、普遍的思想としての皇道を深く理解し、独自のフィリピン国家像を描いた人物であった。その壮絶な反米闘争は、急進的政治結社のカティプーナンの精神を実現しようという姿勢で貫かれていた。
リカルテは、一八六六年一〇月二〇日、ルソン島最北端のバタックで生まれた。父エステバンは、義侠心に富み、親分肌の人で、常に公益のために私財を投じ、近隣の人々から厚い信望を集めていた。母は敬虔なカトリック教徒で、朝夕厳粛な祈りを捧げることを日課としていた。両親ともに、教育には極めて熱心であった(太田兼四郎『鬼哭』フィリピン協会、一九七二年、八頁)。リカルテは、一八八四年サン・ファン・デ・レスラン学院に入学、その五年後には文学士の学位を取得して卒業、ただちに名門校サント・トーマス大学に入学、一八九〇年に卒業している。
当時、独立運動の先駆者ホセ・リサールに刺激された有能な青年たちはスペイン留学を望んだが、リカルテはスペインに留学することは結局植民地主義者によって洗脳されることになると信じて祖国に止まり、一生を民族主義教育に捧げる決心をした。こうして彼は、カビテ州のサンフランシスコ・デ・マラボンの小中学校の校長になった。 続きを読む 星条旗の下の祖国を拒否した男─アルテミオ・リカルテ →

近代デジタルライブラリーで閲覧可能な興亜論関連文献

森本藤吉『大東合邦論』森本藤吉、明治26年

荒尾精『対清意見』博文館、明治27年

副島種臣著、片淵琢編『副島伯閑話』広文堂、明治35年

宮崎滔天『三十三年の夢』国光書房、明治35年

北輝次郎『国体論及び純正社会主義』北輝次郎、明治39年 続きを読む 近代デジタルライブラリーで閲覧可能な興亜論関連文献 →

信州国民党

「全人類の皇化」を目指す

 信州国民党は、昭和4年5月26日、八幡博堂、鈴木善一によって、松本市に組織的政党として設立された。総理に野田喜代志、顧問に頭山満、内田良平、執行委員長に寺田稲次郎、書記長に八幡博堂、書記次長に鈴木善一、統制委員長に西田税、中央委員に長野朗、津田光造が就いた。宣言は、次のように謳った。
 「我等の敵は独り是等国内に跳梁跋扈する非日本的、非国民的徒輩のみではない、侵略的白色人種閥勢力に依って有色人種に加えられつつある生存権の事実上の否定を見よ。更に又世界各国の共産主義化と彼等の所謂「日本爆破」を計画実践しつつあるソヴエット、ロシヤの暴状を見よ。
 彼等は国際的共存共栄の公道を破壊し、人類生存の理義を蹂躙する世界の公敵である。道義的世界建設の歴史的使命を有する我等は、今や有色人種の尖端に立ち、この幾世紀の永きに亘る巨弾と鉄鎖の悲惨なる苦難と試練とを突破して、人類の解放戦に勇敢に戦うべきである。然り、この世界を横行闊歩する強敵を屠って全人類を完全に皇化する日まで、我等の決死的戦闘は継続されねばならなぬ」
 信州国民党は、昭和4年11月に日本国民党と改称し、翌昭和5年2月の第2回普通選挙には八幡博堂が信州から立候補して、既成政党に対して大いに気を吐いた(荒原朴水『大右翼史 増補版』大日本一誠会出版局、1974年、100頁)。
 昭和6年11月に大日本生産党に合流した。

大日社の思想

杉浦重剛と頭山満を師として

『大日』第7号、昭和6年5月15日発行
 大日社設立は昭和5年と考えられ、雑誌『大日』は翌6年から昭和20年まで14年間に亘り発行された。
同誌発刊の辞には次のようにある。「明治21年乾坤社を興して、雜誌『日本人』を創めたるは吾人の師長天台道士杉浦重剛先生なり。其の翌年新聞『日本』を興して國體主義を高調したるは羯南陸實先生なり。爾來40年濟々たる多士は苦節に死し、吾人の先輩は曉天の星の如くなれり。吾人の魯鈍なる、再躓三躓今や讒かに彈丸黒子の地を守るに過ぎず。茲に頭山立雲先生を社師として、廣く天下同志の贊襄を仰ぎ、新たに『大日社』を興し、雜誌『大日』を創刊して名節を砥礪し大義に終始し、毅然筆致に任じて操觚の天職を全うせんとするは先輩師長の先蹤を追うものなり」 続きを読む 大日社の思想 →

玄洋社とムスリム

興亜論者とムスリム
世界の道義的統一を目指した日本人たちは、東アジアだけでなくイスラーム諸国に対しても特別な関心を払っていた。その中心にいたのが興亜論者であった。
彼らは、欧米に抑圧されるムスリムの惨状を我が事のように考え、欧米列強の植民地支配からの解放を目指して協力しようとしていた。  続きを読む 玄洋社とムスリム →

鬼倉足日公とすめら教

青柳種信と辛島並樹

明治時代になって神祇伯は廃止され、白川家も子爵になった。やがて、第33代の白川資長の代で白川家は絶家となってしまう。しかし、伯家神道はいくつかのルートで伝承されていた。その1つが、第30代の雅寿王によって伝授された青柳種信のルートである。 続きを読む 鬼倉足日公とすめら教 →

大日本殉国会

「外部ノ物質的援助ヲ仰ガズ」

 華々しい活躍はしなかったものの、無私に徹した運動を志していた維新団体として知られているのが、大日本殉国会である。
大正15年2月11日、古着屋を営んでいた増井潤一郎が旗揚げした団体である。増井は新潟県高田の出身で、小学校の教師をしていた父から武士的教育を受けるとともに、漢学を仕込まれて成長した。増井の脳裏には、父から教えられた『日本外史』をはじめとする著書に示された楠一族の殉国物語が深く沁み込んでいた(荒原朴水『大右翼史 増補版』大日本一誠会出版局、1974年、100頁)。 続きを読む 大日本殉国会 →

玄洋社関連文献

関連書籍

著者 書名 出版社 出版時期
頭山満、的野半介、杉山茂丸、内田良平、夢野久作 玄洋社怪人伝――頭山満とその一派 書肆心水 2013年10月
頭山満 頭山満思想集成 書肆心水 2011年10月
石瀧豊美 玄洋社・封印された実像 海鳥社 2010年10月
頭山満、杉山茂丸、内田良平、犬養毅 アジア主義者たちの声〈上〉玄洋社と黒龍会、あるいは行動的アジア主義の原点 書肆心水 2008年4月
大川周明著、中島岳志編 頭山満と近代日本 春風社 2007年12月
立雲頭山満先生講評 『大西郷遺訓』出版委員会編 大西郷遺訓 K&Kプレス 2006
堀 雅昭 杉山茂丸伝―アジア連邦の夢 弦書房 2006
頭山満 頭山満言志録 書肆心水 2006 続きを読む 玄洋社関連文献 →

『興亜運動と頭山満翁』

 『興亜運動と頭山満翁』は、興亜陣営の活動家、鈴木善一が、昭和17年に頭山の米寿を祝し、頭山から受けた教訓感銘を綴ったものである。鈴木は、明治36年に茨城県で生まれた。国士舘時代に親交を持ったのが、八幡博堂で、彼とは昭和4年5月に信州国民党を設立している。 続きを読む 『興亜運動と頭山満翁』 →