大東亜会議の理念と現実①

 嘉悦大学教授の安田利枝氏は、大東亜会議について次のように述べている。
 〈大西洋憲章は確かに、アジア諸民族の独立を推進しようとする立場からみれば、著しくアジア地域の戦後の見通しについて曖昧である。抽象的な言辞で見る限り、大東亜共同宣言は大国たると弱小国たるを問わず、一つの民族、国家としての地位において平等たるべきことを保障している点で画期的である。
 しかしながら、理念のレベルでなく、当時の政府中枢、政策決定レベルでの「アジア像」ないし、アジア政策で比較してみるならば、どうであろうか。理念を掲げる美辞麗句の陰でこれを裏切る行動において日本の方は数段優れているといえないだろうか。日本は、ビルマとフィリピンに独立を与えた。しかし日本は一時的にビルマ・フィリピンを軍事占領したに過ぎず、永続的な支配関係を樹立していた訳ではない。両国を日本の植民地とすることは初めから予想されえず、早期独立が民心把握と対米英攻勢上不可避であるとの政略上の判断から独立が与えられた。そして他方で日本はマラヤ、インドネシアなどの重要な資源地域は帝国領土とし、住民の政治参与による漸進的な自治の拡大を意図していた。従来の植民地である朝鮮、台湾における政治参与なども、わずかに重光外相の構想の中にあったに過ぎない。日本の場合、独立後も裏面で内面指導を確保し、実質的な経済権益を可能な限り把握しようとする圧力は極めて強かった。……日本は、大国として生存していくため、アジア諸民族を日本を盟主として結集し、欧米列強に対抗する戦争に従事していたのであり、その限りで、アジア諸民族を自らの陣営にとどめ置くための諸施策を昭和十八年度中の大東亜政略として実施した。「重光流アジア主義」は、ただ、アジア諸民族のナショナリズムへの理解と承認なくして、日本の企図するアジア新秩序の樹立はあり得ないという根本認識において、当時の戦争指導集団の中では抜きん出ていたのである〉(「大東亜会議と大東亜共同宣言をめぐって」『法学研究』第六十三巻二号、平成二年)

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