「陸羯南」カテゴリーアーカイブ

小野耕資氏『義憤の人 陸羯南』出版記念講演

『国際社会は愛国心の競争である―明治時代の先人に学ぶ日本の使命』
 
「国際社会は愛国心の競争である」―。そう説いたのは明治時代の新聞記者にして日本の保守言論人の元祖ともいうべき陸羯南(くがかつなん、写真)です。羯南は愛国心を高らかに謳い、政府以上に愛国的な立場から、外国に甘い藩閥政府を厳しく批判しました。しかしこうした羯南の事績は、現代日本社会ではほとんど伝えられていません。羯南は何を論じ、何を批判し、どんな生き様の人物だったのでしょうか。
そして、歴史は単に紙上に求めるだけではいけません。羯南が説いた愛国の道を現代日本社会に応用すればどうなるか。新型コロナウイルスの蔓延、日米同盟、TPP、新自由主義的政策などに対し、私見を論じます。また、明治時代の人々は現代よりもはるかに国の運命に真剣でした。羯南や同時代のエピソードは、「カネだけ今だけ自分だけ」の現代人に強い示唆を与えてくれるでしょう。

【講 師】小野 耕資(おの こうすけ)氏 大アジア研究会代表
 昭和六十年神奈川県生まれ。平成二十二年青山学院大学文学研究科史学専攻博士前期課程修了。会社員の傍ら、『月刊日本』、『国体文化』等に寄稿。 大アジア研究会代表、崎門学研究会副代表。月刊日本客員編集委員。里見日本文化学研究所研究員。
著書『資本主義の超克-思想史から見る日本の理想-』(展転社)。
新刊『義憤の人 陸羯南』(仮題)(K&Kプレス)今年5月発売予定

【日 時】令和弐年5月24日(日)14時30分~16時30分(開場:14時10分)
【会 場】文京区民センター3階 3-C会議室(文京シビックセンター向かい側)文京区本郷4-15-14 03-3814-6731
【参加費】事前申込:1500円、当日申込:2000円、事前申込の学生:500円、高校生以下無料
【懇親会】17時~19時頃 参加費:事前申込3500円、当日申込4000円
【申込先】5月23日21時迄にメール又はFAXにて(当日受付も可)(懇親会は5月22日21時迄)
  FAX 0866-92-3551 E-mail:morale_meeting@yahoo.co.jp (千田宛て)
【主催】千田会 https://www.facebook.com/masahiro.senda.50

小野耕資氏「陸羯南の国家的社会主義」(『国体文化』平成28年5月号)

 『国体文化』平成28年5月号に掲載された小野耕資氏の論稿「陸羯南の国家的社会主義」に注目したい。
新聞『日本』を拠点に不屈の言論戦を挑んだ陸羯南の有機的国家観に注目し、その社会主義思想を紹介している。さらに『日本』で活躍した内藤湖南、長沢別天らの社会主義にも言及している。新自由主義を支持する「保守派」が跋扈する中で、今こそ國體思想に根差した明治期社会主義思想を振り返る必要性がある。

近衛篤麿─東亜同文書院に込めた中国保全の志

文麿に引き継がれた興亜思想
 「……帝国の冀求する所は、東亜永遠の安定を確保すべき新秩序の建設に在り。……この新秩序の建設は日満支三国相携へ、政治、経済、文化等各般に亘り互助連環の関係を樹立するを以て根幹とし、東亜に於ける国際正義の確立、共同防共の達成、新文化の創造、経済結合の実現を期するにあり。是れ実に東亜を安定し、世界の進運に寄与する所以なり。……惟ふに東亜に於ける新秩序の建設は、我が肇国の精神に渕源し、これを完成するは、現代日本国民に課せられたる光栄ある責務なり」
 昭和十三年十一月三日、近衛文麿首相の東亜新秩序声明に国民は沸き立った。頭山満はこの声明を誰よりも感慨深く聞き、文麿の父篤麿が亡くなった日のことを思い起こしていたことだろう。東亜新秩序声明を書いたのは、大正四年に東亜同文書院に入学し、篤麿の盟友、根津一院長に可愛がられた中山優である。
 興亜陣営の強い期待を背負いながら、篤麿が四十歳の若さで亡くなったのは、明治三十七年一月二日のことであった。当時頭山は四十八歳、文麿は十二歳、弟の秀麿は五歳だった。
 『近衛篤麿』を著した山本茂樹氏は、「篤麿が存命で強力なリーダーシップを発揮した場合、支那保全論から一歩進んで、アジアの解放とアジア諸民族の結束を意味するアジア主義を新たな国家目標として設定できた可能性もあった。それというのも……篤麿こそは、数あるアジア主義者の中でも、強力な指導力と日本の朝野のアジア主義者たちを糾合出来る求心力を十分に持つほとんど唯一の存在であり、しかも天皇に最も近い立場にあって、将来の首相候補として真っ先に挙げられ、欧米だけでなくアジアの国々での知名度も高かったからである」と書いている。だからこそ、地方の抜け目のない金持ちたちは、篤麿がいずれ首相になる人物だと見込んで、彼に多額の献金をしていた。ところが、どういうわけか篤麿は受け取った献金に対して必ず借用証書を出し、個人の借金にしていた。これが祟った。 続きを読む 近衛篤麿─東亜同文書院に込めた中国保全の志

大日社の思想

杉浦重剛と頭山満を師として

『大日』第7号、昭和6年5月15日発行
 大日社設立は昭和5年と考えられ、雑誌『大日』は翌6年から昭和20年まで14年間に亘り発行された。
同誌発刊の辞には次のようにある。「明治21年乾坤社を興して、雜誌『日本人』を創めたるは吾人の師長天台道士杉浦重剛先生なり。其の翌年新聞『日本』を興して國體主義を高調したるは羯南陸實先生なり。爾來40年濟々たる多士は苦節に死し、吾人の先輩は曉天の星の如くなれり。吾人の魯鈍なる、再躓三躓今や讒かに彈丸黒子の地を守るに過ぎず。茲に頭山立雲先生を社師として、廣く天下同志の贊襄を仰ぎ、新たに『大日社』を興し、雜誌『大日』を創刊して名節を砥礪し大義に終始し、毅然筆致に任じて操觚の天職を全うせんとするは先輩師長の先蹤を追うものなり」 続きを読む 大日社の思想