中国武術は一般的にカンフーと総称されているが、ブルース・リーは広東語の発音「グンフー」を好んで用いた。
ブルースが極めようとしたグンフーを支えていたのは、老荘思想を中心とする東洋思想であり、グンフーは武道であるのみならず、生き方そのものであった。それはブルースは次の言葉に示されている。
「グンフーとは、一つの哲学である。道教と仏教の哲学では必須の部分となっている。それは逆境に対処する理想、すなわち、少しかがんでから跳び上がること、すべての物事に対して忍耐できること、人生における失敗と教訓を利すること、である。これらは、グンフーという芸術の多面性を示し、グンフーは自分自身の在り方のみならず、生き方をも教えてくれる」
このブルースの言葉について、ジョン・リトルは次のように解説している。
〈「グンフー」とは、正しく訳すと、とてつもない「総合的な」達成度、または業績を指す言葉である。「グンフー」を得た者とは、一芸において極めて秀でている人間のことであり、その一芸が何であっても違いはない。例えば、文章を書くことに並外れて長けているジャーナリストは、グンフーがあるといえる。良い腕を持ったペンキ職人も、同様にグンフーを見せているといえる。つまり、医学から乗馬に至るまで、もうおわかりのように武術でもゴルフでも、職業や余技など、すべての技能について適用されうる表現なのである。
今日の社会でなら、自分の仕事を徹底的に修得すればグンフーは示され、自分自身を修めたことにもなる。自分自身を修めることは、少なくとも中国人の考え方からすると、個人が目指すにふさわしい、有意義なものである。中国の偉大な伝統によれば、一角の哲学者、才能ある錬金術師、熟練した医師、文学をよく研究した学生、注目される音楽家など、グンフーを修得した人は、すなわち自分自身を修めた人とされる〉(『ブルース・リーノーツ』)
「グンフー」=「一芸において極めて秀でている人間」
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