頼山陽は幼い頃から母静子の教育により尊皇心を培っていた。松浦魁造は次のように書いている。
「定められた日課の勉強がすむと山陽は母のお針仕事の燭の下で、江戸の父から送つて来た絵本義経記や楠公記、保元平治物語をこよなく喜こんで読み耽つた。母は又忠臣楠公父子や新田の歴史物語を聞かせ、冥々の裡に尊王の大義を此の子供心に培ふてゐたのである。……後年日本外史の大作はすでに源をこゝに発して居ると云つてよい」(『頼山陽先生小伝』)。
頼山陽は幼い頃から母静子の教育により尊皇心を培っていた。松浦魁造は次のように書いている。
「定められた日課の勉強がすむと山陽は母のお針仕事の燭の下で、江戸の父から送つて来た絵本義経記や楠公記、保元平治物語をこよなく喜こんで読み耽つた。母は又忠臣楠公父子や新田の歴史物語を聞かせ、冥々の裡に尊王の大義を此の子供心に培ふてゐたのである。……後年日本外史の大作はすでに源をこゝに発して居ると云つてよい」(『頼山陽先生小伝』)。