「は行」カテゴリーアーカイブ
生田万関連写真①
相馬御風『義人生田万の生涯と詩歌』(春秋社、昭和4年)に掲載された万ゆかりの写真
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楠木正成父子の木像
山県大弐の放伐肯定論に対する鳥巣通明先生の批判
山県大弐『柳子新論』利害(第12)には、湯武放伐論を肯定した箇所があります。この問題について、『月刊日本』平成25年10月号(9月22日発売)で言及しましたが、『日本学叢書 第6巻 奉公心得書・柳子新論』(雄山閣、昭和14年)において、鳥巣通明先生が詳しく論じていますので関係箇所を引いておきます。
〈勿論、大弐の説くところは、幕府の存在を正当化せんが為めに御用学者によって唱道された放伐肯定と区別さるべきであり、彼が武家政治を否定し、主観的には皇政復古を目ざしたことも亦認めらるべきであるが、その革新の原理、立場は……不幸にも未だ儒学思想を完仝には脱却してゐなかつたのである。……政治の要諦として彼が「正名」を説き「得一」を主張し、「大体」を論ずるのは確かに傾聴すべき卓見である。然しながら、それは志向態度の正しさであつて、「正名」「得一」「大体」等が如何なる実質的主張内容をもつかは自ら別問題である。こゝに見る如く、柳子新論は、その点を検討することによつて破綻を暴露するかに思はれる。「其間忠義ヲ奮ヒ命ヲ殞シ節ニ赴ク者アリドモ、君臣ノ義ニ於テ錬達講磨スル所或ハ精シカラザレバ心私ナシトイヘドモ、義ニ悖リ忠ヲ失フ者皆是也」とは浅見絅斎先生の語であるが、(靖献遺言講義上)、心私なく、真摯国を憂へ、勇敢に時弊を解剖し、その革新に邁進した山県大弐は、君臣の義に於て錬達講磨するところ精しからざりしが故に、換言すれば、国史を云為しつゝも革新の原理を外国思想に求めしが故に、無意識の中に大いなる過誤を犯し、義に悖り忠を失つたものであらう。まことに傷ましき悲劇。吾々としては巌正に然も同情を以てこの点柳子新論を弁析すると共に、今日の問題として深思すべきであらう。……国民生活の安定を目的とする場合、革命も亦仁となすと説くもの。特に与民同志を放伐論是認の根拠となす点、民本思想があらはである。正名第一の章の結びに於て、「若能有憂民之心。名其不可正乎。」と述べし理由が、今こそ肯かれる。これ明らかに支那思想であり、直接には、安民を「先王の道」と解した徂徠学の影響であらうが、かゝる考は、明治維新の志士によつて、根柢的に批判せられた。その代表的な例として、吾々は平野国臣の「大體辯」をあぐることができる。「我 皇国は君臣の大義を主とし、利民を次とすれども、万世不易、千古一統の 君ゆへ、万民親服し、列聖亦た憐を垂れ、上下能く和合して相恨みす、利を利とせざれども、大義の和にて自ら民を利するの実にもかなへり。」然もかゝる考へ方は明治維新の成就するや問もなく忘れ去られ、今日に於ては再び安民が革新の最後の目標として諭ぜられてゐる。猛省すべき危険がそこにある〉
鳩山由紀夫氏「Towards a Common Future & Shared Prosperity」
筆者は、日本外交の課題は対米追従から脱却して自主外交を確立することだと考えている。その際、中国の覇権主義を制御しつつ、東アジア共同体のリーダーシップをとることが極めて重要な課題となる。
こうした中で、東アジア共同体研究所理事長を務める鳩山由紀夫元首相は、2013年7月13日にマレーシアで開催された第10回ASEANリーダーシップ・フォーラムで「Towards a Common Future & Shared Prosperity」と題して講演した。
以下に、同研究所HPに掲載された日本語訳の一部を転載させていただく。
〈私は総理時代に、「東アジア共同体の創造」を新たなアジアの経済秩序と協調の枠組み作りに資する構想として、国家目標の柱の一つに掲げました。東アジア共同体構想の思想的源流をたどれば、「友愛」思想に行き着きます。「友愛」とは自分の自由と自分の人格の尊厳を尊重すると同時に、他人の自由と他人の人格の尊厳をも尊重する考え方のことで、「自立と共生」の思想と言っても良いでしょう。そして今こそ国と国との関係においても、友愛精神を基調とするべきです。なぜなら、「対立」ではなく、「協調」こそが社会発展の原動力と考えるからです。欧州においては、悲惨な二度の大戦を経て、それまで憎み合っていた独仏両国は、石炭や鉄鋼の共同管理をはじめとした協力を積み重ね、さらに国民相互間の交流を深めた結果、事実上の不戦共同体が成立したのです。独仏を中心にした協力の動きは紆余曲折を経ながらその後も続き、今日のEUへとつながりました。この欧洲での和解と協力の経験こそが、私の構想の原型になっています。
すなわち、私の東アジア共同体構想は、「開かれた地域協力」の原則に基づきながら、関係国が様々な分野で協力を進めることにより、この地域に機能的な共同体の網を幾重にも張り巡らせようという考え方です。 続きを読む 鳩山由紀夫氏「Towards a Common Future & Shared Prosperity」
平田篤胤のアジア統一思想─藤田徳太郎『本居宣長と平田篤胤』
藤田徳太郎は昭和18年に刊行した『本居宣長と平田篤胤』(丸岡出版社)において、以下のように、興亜思想の文脈で平田篤胤の思想を捉えた。
「篤胤のすべての研究が、一つの目的に集中せられてゐるのを見るとき、わが国を指導的位置において、アジアの文化圏を構築する、雄大な世界観の構想が、初めて了解せられるのである。実に、アジア統一の思想は、篤胤の学問の根幹をなすところ、この壮大な意図が、篤胤の尨大なる著書を一貫して、烈々たる気魄のもとに、展開せられてゐるのである。大扶桑国考にはアジアの地図が挿入してあるが、この支那、南方諸国を含む地図の中に、わが国を中心とする大扶桑国の全貌が盛られてゐるのである。大扶桑国は、取りも直さず大アジア統一化の理想の表現に他ならない」
平野國臣『制蛮礎策』の興亜論
安倍政権の英語教育偏重路線
新亜細亜文化の建設を夢見た歌人・村田光烈
秋田県出身の歌人として知られた村田光烈(むらた・みつたか)は、大東亜戦争勃発の翌昭和十七年十二月に『新亜細亜の誕生』を出版、新亜細亜文明を構想した。
彼の思想は、日本国体に哲人政治の理想体現を見て、独自の興亜論を唱えた鹿子木員信の思想から影響を受けていた。また、亜細亜の精神的、宗教的価値を称揚した岡倉天心の思想にも通ずる。以下に掲げる『新亜細亜の誕生』の一章「新亜細亜文化の建設」は、そうした村田の思想を最も良く示している。
〈人類文化の揺籃と世界宗教の淵源とを尋ぬる時、そは我が亜細亜を措いて外にない。かの世界最古の文化と呼ばるゝメソポタミヤ乃至古代印度の文化等、欧羅巴文明に先立つこと数千年の往昔に於て、亜細亜には既に卓越せる文化が存在して居り、又世界の三大宗教たる仏教、キリスト教、回教の発祥地も亦実に亜細亜に属する。而して暴戻なる近代資本主義的欧羅巴の征服するところとなつた亜細亜は、今に於てたとへ昔日の栄光を見出すべくもないとは云へ、而も亜細亜独自の高貴な姿に於て、今猶其光芒の搖曳するものあるを看取すること出来るので、我が亜細亜こそ凡そ精神的なる意味に於ての一切の高貴と偉大の源泉であり、釈迦、キリスト、マホメット等の宗教的天才は実に亜細亜の上代に於て此世に出現し、又印度、波斯等の多種多様なる民譚も東洋精神の衷なる魂の力を物語つて居るもので、民話に於ても亦亜細亜は世界の母である。 続きを読む 新亜細亜文化の建設を夢見た歌人・村田光烈
志士たちの詩歌(平成24年9月4日①)
志士たちの和歌 藤田東湖 1
いたづらに身をば嘆かじ灯火のもゆる思ひを世にかかげばや
訳 思い通りにいかないからといって嘆くまい。心の中の灯のような燃える思いを世の中に掲げようではないか。



