佐藤清勝は、君主政治、民主政治、共産政治のいずれの根本思想も、個人主義であり、強力主義だと批判した。彼はまず、③「君主政治説に対する批判」として、西洋政治思想においては、権力の起源を、神学的に解釈したり、自然科学的に解釈したり、あるいは法理的に解釈したりと、様々な変遷があったが、いずれにせよ政治を君主の権力行使の作用であると見てきたことには変わりがないと指摘し、次のように説明する。
西洋思想においては、君主の権力は最高であり、無制限であり、絶対であると主張した。このような思想は、市民や農民を眼中に置かず、君主の個人的権力だけを強唱するものであって、例えばルイ一四世などは「朕は国家なり」と主張するに至った。つまり、欧州の君主政治の根本思想は権力主義であり、君主の個人主義である。 続きを読む 佐藤清勝『世界に比類なき天皇政治』(昭和十八年六月)読書ノート④
「投機資本主義の終焉に備えよ」『青年運動』第965・966合併号、平成24年1月15日
二〇一二年、世界は「大量破壊兵器」爆発の危機に直面するかもしれない。
ここで言う「大量破壊兵器」とは核兵器ではなく、金融分野の兵器「CDS」(クレジット・デフォルト・スワップ)のことだ。CDSとは、企業などが倒産し、借金が棒引きになるリスクに対する保証・保険を金融商品化したもの。リスクヘッジのための金融商品だが、一度CDSを売った会社が破綻すると、ドミノ倒し的に破綻の連鎖が始まり、その被害は一気に拡大する。だから、投資家のウォーレン・バフェットは、CDSを「金融版の大量破壊兵器」と呼んだのだ。
実際、二〇〇八年にアメリカ保険最大手AIGが救済されたのは、CDSの爆発を回避するためだったとも言われている。アメリカの金融機関はCDSを引き受けているために、深刻化するユーロ圏の危機がアメリカへ波及する可能性がある指摘されているのである。 続きを読む 「投機資本主義の終焉に備えよ」『青年運動』第965・966合併号、平成24年1月15日
「日本海側からの興亜思想 明日のアジア望見 第82回」『月刊マレーシア』509号、2010年5月16日
北海道大学教授の松浦正孝氏による千頁を超える大著『「大東亜戦争」はなぜ起きたのか』(名古屋大学出版会)は、戦後の日本企業による海外での大規模な開発プロジェクトは、海外進出型のアジア主義の姿を変えた再現であるとし、戦後、東南アジア開発基金構想を唱えた中谷武世らや、土木事業コンサルタント会社日本工営を設立し、アジア各国の水力発電所建設を手掛けた久保田豊らを具体的事例として挙げている。
一方、松浦氏は内需拡大型の公共事業にもアジア主義の継承を見出し、農村への工場誘致を含む田中角栄の大規模な国内公共土木工事は、歴史的に見れば石原莞爾の発想を引き継いだものだと指摘した(同書、八百五十四頁)。
民族協和の理想に基づいた東亜連盟を目指した石原莞爾は、「都市解体、農工一体、簡素生活」の三原則により、人類次代文化に先駆する新建設を断行すべきだと強調していた。 続きを読む 「日本海側からの興亜思想 明日のアジア望見 第82回」『月刊マレーシア』509号、2010年5月16日
「八紘為宇の使命は、我が国の天職である 明日のアジア望見 第80回」『月刊マレーシア』506号、2009年11月30日
十二年前に起こったことが再び繰り返されようとしている。
当時、マレーシアをはじめとするASEAN諸国は、「ASEAN+3(日中韓)」の枠組みの会議開催に意欲を見せていたが、日本政府は、日本が参加の意志を見せなければ、この構想は実現しないと高をくくっていた。ところが、ASEAN側は、日本が不参加ならば、中国、韓国だけで「ASEAN+2」会談を開催するとの意志を固めたのである。マハティール首相のEAEC(東アジア経済会議)構想を支持する言論活動を続けてきた古川栄一は、次のように書き残している。
「日本はEAECに参加しないから、EAECは自然死すると豪語した。アセアン側は、そこで日本抜きで、しかも中国(および韓国)の参加のみでEAECの首脳会議を開催することにした。そうして日本の池田外相は、跳び上がるようにして驚いて、日本は首脳会議に参加した」(古川栄一「アジアの平和をどう築きあげるか」(歴史教育者協議会編『歴史教育・社会科教育年報〈平成十三年版〉二一世紀の課題と歴史教育』三省堂、平成十三年)二十四頁)。 続きを読む 「八紘為宇の使命は、我が国の天職である 明日のアジア望見 第80回」『月刊マレーシア』506号、2009年11月30日
「対米自立のために自主防衛体制を確立せよ 明日のアジア望見 第78回」『月刊マレーシア』504号、2009年7月10日
北朝鮮がミサイルを発射した翌日の五月二十七日、アメリカの政治評論家チャールズ・クラウトハマー氏は、フォックス・ニュースに出演し、北朝鮮の核開発阻止のための交渉というゲームはすでに終わったと指摘した上で、いま北朝鮮に対して取るべき行動は、日本が核武装国家として宣言するよう勧めることだと語った。彼は二〇〇三年一月にも、『ワシントン・ポスト』紙で、中国に北朝鮮の核開発を阻止させるためには、「ジャパン・カード」(日本の核武装)を切るしかないと主張、二〇〇六年十月にも、ブッシュ政権が日本の核武装を支持するよう訴えていた。ブッシュ大統領のスピーチ・ライターを務めたデビッド・フラム氏もまた、二〇〇六年十月にブッシュ政権に対して、日本に核拡散防止条約(NPT)の破棄と核抑止力の構築を奨励すべきだと書いた。 続きを読む 「対米自立のために自主防衛体制を確立せよ 明日のアジア望見 第78回」『月刊マレーシア』504号、2009年7月10日
「ナジブ新首相とマハティール路線 明日のアジア望見 第77回」『月刊マレーシア』503号、2009年4月30日
二〇〇三年一〇月にマハティール首相が引退してから、まもなく六年が経とうとしている。
この間、マハティール元首相は、自らが後継者に指名したアブドラ首相に対する不満を強めていた。それは、アジアの復権と団結、西洋近代とは異なる独自の発展モデルの追求、自主独立外交の貫徹というテーマについてのアブドラ政権の立場が鮮明ではないと感じていたからだと筆者は見ている。
昨年三月の下院選挙で、与党連合・国民戦線(BN)が大幅に議席を減らすと、マハティール元首相は、アブドラ首相辞任を迫るようになった。昨年五月一九日には、与党統一マレー国民組織(UMNO)を離党し、アブドラ首相が辞任しなければ復党しないと表明するに至った。当初、アブドラ首相は二〇一〇年半ばの政権委譲計画を明らかにしたが、マハティール元首相らの早期辞任論に押され、今年三月に党総裁を辞めると表明、三月の党役員選挙でナジブ・ラザク(Najib Razak)副総裁が総裁に選出された。 続きを読む 「ナジブ新首相とマハティール路線 明日のアジア望見 第77回」『月刊マレーシア』503号、2009年4月30日
「国体思想に基づいた普遍的価値 明日のアジア望見 第75回」『月刊マレーシア』499号、2008年7月31日
外交において、共通の価値観という言葉が頻繁に語られるようになっている。そこで語られる価値観とは、多くの場合、西洋近代思想に支えられた人権や民主主義という価値観である。
それは、前政権で持て囃された「価値観外交」や「自由と繁栄の弧」に象徴的に示されていた。二〇〇六年一一月三〇日、麻生太郎外相(当時)は日本国際問題研究所セミナーでの講演で次のように語っている。
「第一に、民主主義、自由、人権、法の支配、そして市場経済。そういう『普遍的価値』を、外交を進めるうえで大いに重視してまいりますというのが『価値の外交』であります。第二に、ユーラシア大陸の外周に成長してまいりました新興の民主主義国。これらを帯のようにつなぎまして、『自由と繁栄の弧』を作りたい、作らねばならぬと思っております」、「我が日本は今後、北東アジアから、中央アジア・コーカサス、トルコ、それから中・東欧にバルト諸国までぐるっと延びる『自由と繁栄の弧』において、まさしく終わりのないマラソンを走り始めた民主主義各国の、伴走ランナーを務めてまいります」 続きを読む 「国体思想に基づいた普遍的価値 明日のアジア望見 第75回」『月刊マレーシア』499号、2008年7月31日
「アジア共生の拠点・九州 明日のアジア望見 第67回」『月刊マレーシア』487号、2006年8月30日
中国の覇権への警戒論や日米関係への影響といったファクターが優先されがちな外交論においては、日本と東アジアの緊密化に水を差すような議論が少なくない。しかし、東京発の外交論とは別次元で、経済だけでなく文化面における日本と東アジアの緊密化が着々と進行している。その拠点こそ、福岡県をはじめとする九州である。
糸島半島と海ノ中道の両腕で囲まれた、天然の良港として知られる博多津は、古くから大陸との交流の窓口として機能していた。博多津沖の志賀島からは、一世紀頃、光武帝から奴国王へ贈られた金印が発見されている。
その後も、九州は大和朝廷による統一まで、独自性を維持していた。継体二一(五二七)年には、筑紫君磐井が大和朝廷が準備していた朝鮮遠征軍の派遣を妨害し、戦いを挑んでいる。『日本書紀』は、反乱の理由を新羅が磐井に賄賂を送り、派兵の妨害を要請したためとしているが、立命館大学名誉教授の山尾幸久氏は、乱の背景に「九州独立王国」への志向を読み取る。 続きを読む 「アジア共生の拠点・九州 明日のアジア望見 第67回」『月刊マレーシア』487号、2006年8月30日
「アニミズムと先端科学 明日のアジア望見 第59回」(『月刊マレーシア』477号、2005年1月1日)
古来、東南アジアの基層文化には、他の地域同様に、万物に精霊を見るアニミズム(Animism)があった。しかし、やがてアニミズムは、多くの場合に仏教、イスラーム、キリスト教などの普遍宗教の背後に隠れてしまった。そして、アニミズムは普遍宗教へと発展する以前の未開、野蛮な信仰だという考え方が浸透してしまった。だが、アニミズムには、行き過ぎた人間中心主義を修正し、自然との共生を確立する上で、重要な思想的可能性が秘められているのではなかろうか。 続きを読む 「アニミズムと先端科学 明日のアジア望見 第59回」(『月刊マレーシア』477号、2005年1月1日)
佐藤清勝『世界に比類なき天皇政治』(昭和十八年六月)読書ノート③
原理的な西洋政治学批判を展開した佐藤清勝は、①「国家観からの批判」に続いて、②「法律説の観点」から西洋の政治の在り方を批判した。彼は、神法説、自然法説、歴史法説、功利法則説など、法律に関する学説の変遷を見た上で、次のように述べる。
「法治は法律によりて政治を施行することである、即ち、法治国は統治権により法律を発布し、この法律を実行せしめて、人民を治むる国家である。即ち、法律は統治の権力をその泉源として、人民をこの権力に服従せしむるのである。……法律はその背後にある主権者の権力によつて施行せらるゝのであるから、法治は即ち権力政治である力を万能とする政治である」(十四、十五頁)
佐藤は、このような法治に対して、わが国古来の政治は道徳を根底とする政治であったと主張し、概要次のように説いた。
わが国でも、多少の法令規則はあったが、それは政治の補助手段であって、その実質は道徳政治であった。道徳政治は、為政者がまず道徳を実践し、模範を示し、これを実行させる政治である。この点で全く法律政治とは異なる。わが国上古、中古の歴代天皇は、道徳を実践されただけではなく、よく人民を愛撫し、人民に恩恵を施し、刑罰を寛大にされ、仁慈の政治を行われたのである。
このように説いた上で、以下のように結論づけている。
「欧米国家の政治は、その法律思想に於て権力主義である。是に反し、我国古来の政治思想は道徳主義であつた。権力主義の思想は道徳主義の思想と相容れざる思想である」(十六、十七頁)