「アニミズムと先端科学 明日のアジア望見 第59回」(『月刊マレーシア』477号、2005年1月1日)

 古来、東南アジアの基層文化には、他の地域同様に、万物に精霊を見るアニミズム(Animism)があった。しかし、やがてアニミズムは、多くの場合に仏教、イスラーム、キリスト教などの普遍宗教の背後に隠れてしまった。そして、アニミズムは普遍宗教へと発展する以前の未開、野蛮な信仰だという考え方が浸透してしまった。だが、アニミズムには、行き過ぎた人間中心主義を修正し、自然との共生を確立する上で、重要な思想的可能性が秘められているのではなかろうか。
 しかも、アニミズムは単に共生の原理であるだけでなく、そこには最先端の科学分野に匹敵する知識体系が潜んでいるように見える。
 マレーシアにおいて、アニミズムはサバ州のカダザン(Kadazan)族やサラワク州のイバン(Iban)族に典型的に見られる。彼らの伝統文化は、ともすると奇妙な儀式として捉えられ、非科学的なものとも考えられる。しかし、それらの古代の叡智は一見、非科学的に見えて、実は先端科学に重なる部分があるのである。
 二〇〇二年末、『ニューストレイト・タイムズ』と『マレー・メール』が立て続けにカダザン族の「ボボヒザン(Bobohizans)」に関する特集記事を組んだ。「ボボヒザン」こそ、カダザン族に脈々と伝えられてきたアニミズムの伝統を象徴している。
 毎年五月に行われる、カアマタン(Kaamatan)と呼ばれる収穫祭において、最も重要なのはマガバウ(Magavau)という儀式である。儀式を司る女性の最高司祭であるるボボヒザンが、どこにいるかわからないバンバゾン=米の精を探索し、呼び戻すのである。そしてボボヒザンは、稲穂を何本か選び採り、収穫が終わるまでそれを保管する。
 『ニューストレイト・タイムズ』は二〇〇二年一二月四日付で、ボボヒザンが「人間と自然と精神的世界の調和を育む」と書き、それは儀式の専門家であるだけでなく、薬の専門家でもあり、そして古代の叡智の保護者でもあると指摘した。同紙は、ボボヒザンの継承が、残念なことに、いまや危機に瀕していると訴えた。
 続いて、同月六日には『マレー・メール』も、八〇年前にコタキナバルのペナンパン地区には四〇人のボボヒザンが存在したが、いまや七人しかいなくなったと指摘し、ボボヒザンの危機を訴えた。
 確かに、アニミズムには一見非科学的な儀礼も含まれる。しかし、ボボヒザンが継承してきたものは、単なる儀礼だけでなく、『ニューストレイト・タイムズ』がいみじくも指摘した「古代の叡智」である。そこには、医学的効果の高い薬草に関する膨大な知識も含まれる。それは、いま世界が注目し、先端科学によって解明されつつある薬草の利用方法に関する知識なのである。
 一方、イバン族もアニミズム的信仰を持っており、農耕儀礼や鳥占い・動物占いなどの伝統を維持してきた。。
 一九九六年にも、イバン族の智慧が活かされた。京都大学生態学研究センターの井上民二教授らのグループは、一九九二年にサラワク州のランビル国立公園で、高木の一斉開花の本格的な観察を目指して準備を開始した。
 高木の一斉開花は、東南アジアの熱帯雨林だけで起こる現象で、五~六年の間隔で、八割の木が三カ月の間に次々に咲くことが解明されている。だが、その一斉開花の兆候を予測する術はない。そうした中で、一九九六年、例年にはあまり見られない、イノシシの活発な求愛、繁殖活動や、オオミツバチの巣造りなどから、イバン族は一斉開花を予知したという。こうして、井上教授グループは本格的観測に成功した(『朝日新聞』一九九六年六月五日付夕刊)。
 イバン族の伝統の中で、古代の叡智との関わりで特に注目されているのが、プア・クンプ(Pua Kumbu)と呼ばれる織物である。
 プア・クンプで描かれる文様は、鳥、鹿、イタチ、リス、蛇、トカゲ、蛙、ヒル、ムカデ、そして大地の精霊としてのワニや首狩りの精霊などである(「アジアのかたち二二」『アジアクラブマンスリー』二三号)。
 完成されたプア・クンプには、詩的な名前が付けられて共同体に発表される。もともと、プア・クンプは神の世界とこの世の交流のための儀式に使われる神聖な布である。例えば、生誕、結婚、葬儀などの儀式で使用されてきた(New Straits Times,September 23, 2002.)。ここには、プア・クンプとアニミズムとの深い結びつきが示されている。
 プア・クンプの織り手は女性で、自然の染料の調合や抽出、染の技術は、特別な技として伝承されてきている。特に、赤もしくは赤味がかった茶の色合いが重要だとされている。織り手は、豊富な経験と知識を持っている。もちろん日本にも、徳島の藍染めなど、秘伝とされてきた染色技術があるが、それもまた膨大な知識の集積だったに違いない。
 いま、それを科学的に解明しようという試みも始まっている。例えば、京都工芸繊維大学の上田充夫教授は、藍染めを研究対象の一つとしている。分子の位置、数など、染色状態を化学的に解析するのである。上田教授は、秘伝とされる染色がもたらす独特の色合いとは、分子が繊維にのっている状態の違いである可能性を指摘している。
 まさに、イバン族の伝統的染色技術は、化学的には高度な分子構造の知識の集積を意味する。つまり、プア・クンプの織り手もまた、ボボヒザンと同様に、単に伝統の継承者であるだけでなく、膨大な科学的知識の継承者なのではなかろうか。
 いまや、マレーシアの少数民族の伝統文化の保存は、自然科学の知識の保存をも意味するようになっている。
(2004年12月)

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