「な行」カテゴリーアーカイブ

祖国自己確認の歴史における『中朝事実』

 わが国の歴史は、国体論の確立を目指した持続的な営みであった。その中で、国際情勢の変化、特に対外的危機意識の高まりは、常に祖国日本の自己確認を促してきた。
永安幸正は、「何れの国民でも同じであるが、国民集団としてある種の危機が迫っていると感づく秋には、祖国あるいは民族を世界の中に位置付け、他国と比べて祖国自民族の歴史、実力、可能性を確かめなければならぬものである」と指摘する。
山鹿素行の『中朝事実』もまた、繰り返されてきたわが国の自己確認の歴史の一時代として位置づけられる。永安は、『中朝事実』執筆の目的を、①国家創設及び創設後の政治における要点の解明、②国際関係において、日本列島上のわが国こそが中朝・中華・中国(なかつくに)であることの主張──に整理した上で、次のように『中朝事実』を、繰り返されてきた祖国自己確認の試みの歴史の中に位置づける。 続きを読む 祖国自己確認の歴史における『中朝事実』

東南アジア料理論⑨

納豆
醗酵文化圏(9日目)
インドネシアだけでなく、東南アジアのあちこちに納豆は存在する。タイ北部には、トゥア・ナオという納豆がある。煮てやわらかくなった大豆を、大きな木の葉やバナナの葉を敷いた竹籠に入れて三日ほど置いて作る。そのままカレー風味のスープにいれて食べたり、トウガラシ粉と塩を混ぜて、バナナの葉に包んで蒸し、飯のおかずにする。薄い円盤状に成型して、天日乾燥をすると、数カ月保存することができる。これがナットウせんべいである。フィリピンにはタフレ(tahure)という納豆がある。  続きを読む 東南アジア料理論⑨

タラクナート・ダスの全亜細亜主義

「全亜細亜主義・独立亜細亜・世界平和」

タラクナート・ダス(Taraknath Das)は、祖国インドをはじめとするアジア諸国の独立を目指して果敢な行動を続けた興亜論者である。1905年頃、彼はカルカッタからアメリカに渡った。やがて、インド独立を目指すガダル党(Ghadr party)に参加する。ガダル党とは、アメリカ西海岸に留学したインド人や亡命したインド人が中心になって20世紀初頭に結成した、インド独立運動を支持する団体で、本部はサンフランシスコに置かれていた。  続きを読む タラクナート・ダスの全亜細亜主義

三木清の思想

 ロゴスとパトスの統合、理性・言語と感情・イメージの統合を目指した思想家・三木清が見直されつつある。
アジア伝統社会の原理と西洋近代の自由主義、アジアの神秘的「知」と西洋近代の合理的「知」の対立を超えて、新しいアジア社会、新しいアジア的「知」を形成するための思想として、いまなお三木の思想から学ぶべき点が少なくないからである。中村雄二郎氏ら日本を代表する哲学者たちは、西田幾多郎とともに三木の問題意識に触発された部分が小さくない。
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高山岩男関連文献

書籍

著者 書籍写真 書名 出版社 出版年 備考
高山岩男著、花澤秀文編 超近代の哲学 燈影舎 2002 (京都哲学撰書 / 大峯顯, 長谷正當, 大橋良介編 ; 第20巻)
高山岩男著、齋藤義一編 文化類型学・呼応の原理 燈影舎 2001 (京都哲学撰書 / 大峯顯, 長谷正當, 大橋良介編 ; 第15巻)
高山岩男著 ; 花沢秀文編・解説 世界史の哲学 こぶし書房 2001 (こぶし文庫 ; 29 . 戦後日本思想の原点) 続きを読む 高山岩男関連文献

中野常太郎と亜細亜義会


 中野常太郎(号は天心)は、明治期に日本の興亜陣営とムスリムの連帯を主導した人物である。慶応2(1866)年10月23日、加賀金沢で生まれた中野は少壮のときから東亜経綸に志し、興亜の先駆者・荒尾精、根津一の門に出入りした。黒龍会にも参加したとされる(サルジュク・エセンベル「日露戦争と日土関係」)。
明治42年にトルコ系タタール人、アブデュルレシト・イブラヒムが来日すると、中野は大原武慶とともにムスリムと興亜陣営の連携を推進する。 続きを読む 中野常太郎と亜細亜義会

高山彦九郎の思想

垂加神道の系譜

高山彦九郎胸像
 高山彦九郎を取り巻く勤王運動の背景には、「『敬』(つつしみ)による神との合一」という垂加神道の真理の調べが常に響いていたのではなかろうか。高山が引き継いだ勤王運動の先人たちは、垂加神道の系譜ときれいに重なり合っているからである。 続きを読む 高山彦九郎の思想