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「新田義貞・高山彦九郎ゆかりの地を訪ねる」

崎門学研究会主催「新田義貞・高山彦九郎ゆかりの地を訪ねる」。一般参加も歓迎です。

●日時:平成30年8月5日(日)
●集合時間:10時30分(18時解散予定)
●集合場所:太田駅(東武鉄道伊勢崎線)
●参加費:1000円(資料代として。交通費・入場料自己負担)

■新田義貞(1301~1338)
 後醍醐天皇の挙兵に応じて鎌倉を攻撃、元弘3(1333)年幕府を滅ぼした。建武中興で、越後守・上野介や武者所頭人に任ぜられた。足利尊氏と対立。楠木正成とともに尊氏と戦ったが敗れ、恒良・尊良両親王を奉じて越前金崎城によったが落城。足羽郡藤島で斯波高経と交戦中討ち死に。

■高山彦九郎(1747~1793)
 13歳の頃『太平記』を読んで建武中興の忠臣の志に感動。宝暦・明和事件などの幕府による勤皇派弾圧事件の挫折を乗り越えんとし、勤皇の大義を唱える。光格天皇の実父典仁親王への尊号宣下実現運動に奔走するも、幕府に追い詰められ、寛政5年6月27日久留米で自刃。

主な訪問予定地
 新田荘歴史博物館 新田氏の活躍した史跡「新田荘遺跡」に代表される歴史資料などを展示
 生品神社 新田義貞が後醍醐天皇の綸旨を受けて、鎌倉幕府を滅ぼすために挙兵した場所
 反町館跡 新田義貞が築城したとされる城館跡
 高山彦九郎記念館 彦九郎の旅と足跡をテーマとし、旅道具・書簡・日記などのほか、映像などを利用して分かりやすく紹介
 高山神社 明治6年(1873)創建。彦九郎を祭神として祀る

主催:崎門学研究会(orimoto1@gmail.com、090-1847-1627)

高山彦九郎の思想

垂加神道の系譜

高山彦九郎胸像
 高山彦九郎を取り巻く勤王運動の背景には、「『敬』(つつしみ)による神との合一」という垂加神道の真理の調べが常に響いていたのではなかろうか。高山が引き継いだ勤王運動の先人たちは、垂加神道の系譜ときれいに重なり合っているからである。 続きを読む 高山彦九郎の思想