1955年4月にインドネシアのバンドンで開催されたアジア・アフリカ会議の最終コミュニケ抜粋
「アジア・アフリカは偉大な宗教と文明の揺籃の地であった。この宗教と文明は自らの発展過程をたどりながら他の宗教や文明を豊かなものにしてきた。したがってアジア、アフリカの文明は精神的、世界的基盤の上になりたっている。不運にもアジア、アフリカ諸国間の接触は過去数世紀にわたってさまたげられてきた。 続きを読む アジア・アフリカ会議最終コミュニケ
1955年4月にインドネシアのバンドンで開催されたアジア・アフリカ会議の最終コミュニケ抜粋
「アジア・アフリカは偉大な宗教と文明の揺籃の地であった。この宗教と文明は自らの発展過程をたどりながら他の宗教や文明を豊かなものにしてきた。したがってアジア、アフリカの文明は精神的、世界的基盤の上になりたっている。不運にもアジア、アフリカ諸国間の接触は過去数世紀にわたってさまたげられてきた。 続きを読む アジア・アフリカ会議最終コミュニケ
G2直轄の秘密工作機関
キャノン機関とは、GHQ参謀第2部(G2)のチャールズ・ウィロビー少将が情報将校としてのジャック・Y・キャノン(Jack Y. Canon)の能力を買い、G2直属機関として組織した秘密工作機関で、本郷の旧岩崎邸に本部を構えていた。
1951年には、作家の鹿地亘を拉致監禁した。ウィロビー少将は、米女流作家アグネス・スメドレーがゾルゲ・スパイ事件に連座しているとにらみ、鹿地からスメドレーに関する情報を得たいとも考えたという(春名幹男「対日工作の系譜・その1(4)」『熊本日日新聞』1997年11月21日付朝刊)。 続きを読む キャノン機関
![]() 明治42年にトルコ系タタール人、アブデュルレシト・イブラヒムが来日すると、中野は大原武慶とともにムスリムと興亜陣営の連携を推進する。 続きを読む 中野常太郎と亜細亜義会 |
最新情報
アブドラ首相インタビュー
2006年8月7日、アブドラ首相はベルナマ通信のAnnuar Zaini会長とのインタビューで次のように語った。 「I chose to keep quiet because I do not want to quarrel with Tun (Dr Mahathir) in the newspaper. Tun said in a statement that he was slighted because he did not get the information he asked for and if the Prime Minister does not speak, let the ministers speak. I chose to let the ministers speak. There are a lot of things he raised come under the ministers’ jurisdiction. They should be responsible to explain to the people. People want to know and many Cabinet ministers prefer that I don’t speak. Many feel that it is better that I don’t speak, many say that Paklah go on and speak. So it became chaotic. Let the ministers speak; this is not about being evasive. The questions raised were directed to the Government and the Government answers. 」 続きを読む コーズウェー代替橋建設中止問題
非同盟運動とは?
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非同盟運動(Non-aligned Movement)とは、非同盟諸国会議に参加する国を中心とする運動のことである。 1961年9月にユーゴスラビアのベオグラードで開催された会議(⇒スカルノの写真)を起点とする非同盟諸国会議は、反覇権主義、民族自決を掲げる諸国家の会議として継続してきた。 |
2005年10月に開催された第18回東京国際映画祭は、アジア映画の躍進のみならず、アジア合作の時代を印象づけた。ハリウッド映画を押しのけて、日中合作「単騎、千里を走る。」がオープニングを飾り、クロージングには「力道山」が選ばれたからである。
文化大革命後、中国で初めて上映された日本映画が高倉健主演「君よ憤怒の河を渉れ」(1976年、監督・佐藤純彌)であった。中国全土で大ヒットし、多くの中国人に感銘を与えた。若き日の張芸謀(チヤンイーモウ)監督もその一人であった。一方、高倉はチャン監督の「初恋のきた道」(1999年)を称賛、これに感激したチャン監督が2000年に高倉主演の映画制作を決意し、「単騎、千里を走る。」に結実した。 続きを読む 高倉健の「単騎、千里を走る。」─アジア合作の時代