「西洋近代の限界」カテゴリーアーカイブ

ゴールド・ディナール(動画01)

投機資本主義と米ドル支配を終わらせる最後の切り札、ゴールド・ディナール。その理論家のUmar Ibrahim Vadillo氏の動画。
[tube]http://www.youtube.com/watch?v=w__Tx9pncFo[/tube]

ゴールド・ディナールを提唱したマハティール元首相の紹介動画。
[tube]http://www.youtube.com/watch?v=Z0FFraZTU2A[/tube]

アジア通貨危機報道・15年目の真実─読売新聞・林田裕章記者の報道を振り返る

いまから15年前の1997年、タイのバーツ下落に端を発したアジア通貨危機によって、マレーシア経済も苦境に陥った。このときマハティール首相は、通貨下落の引き金を引いたヘッジファンドなど投機家筋を厳しく批判するだけではなく、通貨取引規制を断行し、自国経済を死守した。後年、マハティール首相の採った政策は、世界のエコノミストの間でも評価された。
ところが当時、投機家筋サイドに立った欧米のメディアだけではなく、日本のマスメディアもその尻馬に乗って、マハティール首相を執拗に攻撃していた。特に顕著だった読売新聞シンガポール特派員の林田裕章記者の報道を振り返り、その意図について改めて考察する材料としたい。

①マレーシア孤立の危機 欧米敵視の株価策裏目 ASEM巡り東南アに亀裂
『読売新聞』1997年9月5日付朝刊、6面
【シンガポール4日=林田裕章】マレーシアが外交・経済両面で孤立の危機に陥っている。欧米の投機筋を締め出すための株式市場規制策が裏目に出て、株価下落に歯止めがかからないほか、来年四月のアジア欧州会議(ASEM)へのミャンマー参加問題をめぐっても、他の東南アジア諸国連合(ASEAN)各国との亀裂が表面化した。
七月のタイ・バーツ暴落をきっかけにした東南アジアの経済不安が続く中、マハティール首相は三日、株価の急落に対抗するため、優先的に国内投資家から株式を買い入れる目的で、六百億マレーシア・ドル(約二兆四千七百億円)にも上る基金を設置する方針を明らかにしたが、この際、「外国からの資金に頼る必要はない。問題はわれわれの力で解決できる」と述べ、欧米への敵意をあらわにした。
しかし、この基金設置政策については、欧米の機関投資家の間から、「マレーシアの国際市場での信用を落とすだけだろう」との反応が続出しているほか、フィリピンのデオカンポ蔵相も三日、「マレーシアの政策は害はあっても益はない。外国からの投資の冷え込みが長期間にわたることさえあろう」と語った。
実際、四日のクアラルンプール株式市場は一時一〇%近くの暴落となり、三日に外国投資への規制緩和など、マレーシアと反対の経済政策を発表したインドネシア・ジャカルタ市場と、明暗を分けた。
一方、ロンドンで開かれるASEM第二回首脳会議へのミャンマー参加をめぐって、クック英外相が一日、訪問先のシンガポールで「人権侵害の続くミャンマーの参加は認められない」と述べたことに対し、マハティール首相は、「ミャンマーへの差別はASEANへの差別だ。ミャンマーの参加が認められなければ、ASEANは首脳会議をボイコットすることになりかねない」と語った。
しかし、英国がミャンマーを拒否するだろうことは、ASEANにとっては織り込み済みで、インドネシアのアラタス外相は三日、「ASEMへの参加は国家単位のものであって、欧州連合(EU)との会合ではない」と指摘、先走るマレーシアにクギを差した。 続きを読む アジア通貨危機報道・15年目の真実─読売新聞・林田裕章記者の報道を振り返る

格差社会アメリカの現状:Coming Apart: The State of White America, 1960-2010

 チャールズ・マレー(Charles Murray)氏が1月に刊行した『Coming Apart: The State of White America, 1960-2010(分断:アメリカ白人社会の状況─1960~2010年)』が注目を集めている。
マレー氏が同書で示す統計は、格差社会アメリカの驚くべき姿をはっきり示している。彼は「1960年に、30~49歳のブルーカラー層の84%が結婚していたが、2010年に48%に低下している」「1970年に、高卒の白人女性でシングルマザーである比率は6%に止まっていたが、2008年には44%に急上昇した」といった事実をつきつける。
名門大学の学位を取得した、弁護士、医師、エンジニア、教授、メディアのプロデューサーといった高度スキルのホワイトカラー層が、富を独占している。エリート層は、彼らだけでコミュニティを築いている。エリート層は特定の地域に集中して住むようになっている。エリートだけが特定の郵便番号に住めることになる。マレー氏は、それを「スーパージップ(SuperZIPs)」と呼ぶ。

同書のエッセンスは、彼が1月21日付のWSJに書いた「The New American Divide(アメリカ社会の新たな断層)」に示されている。
わが国でも、新自由主義の導入によって格差が拡大しつつある。いまこそ、アメリカ社会の現状を直視し、彼らがこのような状況に陥った原因を改めて考える必要がありそうだ。

修験者・山本秀道の奉還思想

秘法「恵印三昧耶法」と精神障害治療
 大石凝真素美が36歳の時に弟子入りした修験者・山本秀道とは、一体いかなる人物だったのか。
 秀道は、文政10(1827)年2月16日に美濃国不破郡宮代村で正寿院秀道として生まれた。山本家は、江戸時代までは鉄塔山天上寺と称し、南宮山の一画に坊を構え、院号を正順院または正寿院と号する醍醐三法院に連なる修験の家であった。修験道は、寛政11(1799)年に光格天皇より「神変大菩薩」の諡号を受けた役行者、役小角(えんのおづの)を開祖とする。伝説によると、役小角は摂津国の箕面山の大滝で、インドの僧ナーガールジュナ(龍樹菩薩)の「大いなる法」を授けられたという。
 役小角入滅後、醍醐寺開山の聖宝・理源大師(832~909年)が、大峰山を巡歴し、霊的相承によって役小角の秘法を受け、醍醐派修験道の秘法として後世に継承したとされている。この秘法は「恵印三昧耶法」(「恵印法流」)と呼ばれ、7段階の修法によって構成されている。
 父正寿院秀詮は、83歳にして弟子数十名を率いて寒中の養老の滝に浴する事30日という強の人であった。彼は、「狂人を祈祷し至当乃道理を説得して其親祖兄弟姉妹親戚に至るまでを感伏せしめて前非を改良し将来を慎ましむ全快を得る者千有余人」と伝えられた。彼は、「山本救護所」の名称で加持祈祷による精神障害者収容施設を運営していたのである。
 「伝統治療の豊かさと危うさ:滝、祈祷、温泉、迷信」もまた、「山本救護所」に注目している。梅村貞子氏によると、秀詮が精神病治療に用いたのは、修験道の中心的修法である「加持祈祷」と、山本家内の複雑な対人関係から生み出された家族調整の手段としての「説得」であった。

 しかし、神仏分離令によって神仏習合の色合いが強い修験道は変容を迫られた。明治3(1870)年6月、鉄塔山天上寺は廃寺となり、山本家の宗教的基盤も修験道から神道へと移った。この結果、「山本救護所」の精神病治療も加持祈祷から生活上の実践へと変化した(梅村貞子「精神障害者収容施設山本救護所の歴史」『郷土研究岐阜』1976年12月、13~17頁)。
 大石凝真素美は慶応末年に秀道に弟子入りし、俵佐村の勝宮(勝神社)で、鎮魂帰神法を実践していたとされる。山本白鳥氏は、大石凝の天津金木学は秀道との霊的な共同作業として、神人合一によって成就されたと指摘している。この作業には、太玉大観と名乗る木村一助が参加していたが、途中で木村が脱落したことで、「神業」は全体として未完に終わったという(山本白鳥「大石凝翁ゆかりの地を訪ねて」(大石凝真素美全集刊行会『大石凝真素美全集 解説編』1981年)、84頁)。
 さて、秀道の思想として注目すべきは、その奉還思想である。彼は、明治17(1884)年12月、「我が所有の地所はじめ金銀財貨の類残らず大君へささげ奉ってくれ」と郡役所を通じて、県令に申し出た。これに対して、役所側は狂人のたわ言として、取り合わず放置した。その2年後の明治19(1886)年4月1日、山本家が火事になり、貴重な古文書等が失われてしまった。ところが、秀道はなんら頓着することなく、この火事を「物を私有仕り候故の天遣」と受け止めていたという(前掲81頁)。秀道は、その6年後の明治25(1892)年5月に死去している。

川面凡児の禊行を体験

 古神道の大家、川面凡児の禊行を体験するため、筆者は2010年6月6日早朝、東京都練馬区にある稜威会本部道場を訪れた。
川面が谷中三崎町に「大日本世界教・稜威会」を設立したのは、明治39年春。「信仰を統一し、解釈を統一し、実行を統一し、世道を解頽を救ひ、人身の腐敗を救ひ、以つて個人を統一し、家庭を統一し、国家を統一し、世界宇宙を統一し、各自按分平等の自由幸福平和を獲得せしめん」とその目的を掲げた。本部は大正12年に大久保に移転し、川面没後の昭和17年に現在の練馬区関町へ移った。禊祓道場が新築落成されたのは、平成3年である。武蔵関公園に隣接する敷地は、豊かな自然に恵まれ、修行に相応しい場所だ。 続きを読む 川面凡児の禊行を体験

数霊・数秘術関連文献

書籍

著者 書籍写真 書名 出版社 出版年 備考
吉野内聖一郎 宇宙の流れに乗る生き方 続・数霊の法則 知道出版 2013年4月
テレサ・ムーリー著、服部由美翻訳 数秘術バイブル 産調出版 2013年1月 GAIA BOOKS
七沢賢治 2020年「新世界システム実現」のための 言霊設計学 言霊・数霊・音霊・形霊による自己と世界の設計/《日本語族》の時代が始まります(超☆どきどき) ヒカルランド 2012年10月
はせくらみゆき、深田剛史 数は宇宙言語だった! 宇宙一切を動かす「数霊」の超メッセージ(超☆はぴはぴ) ヒカルランド 2012年9月
深田剛史 数霊 時空間日和 今日の話題社 2011年10月
吉野内聖一郎 潜在意識を変える数霊(かずたま)の法則 知道出版 2011年3月
川形壽隆著、荒井倫太朗編 サトルエネルギーの視点・言霊と数霊の暗号解読・2012年地球のアセンション〈次元上昇〉とアレルギー解消法 ABC出版 2009年11月
伊泉龍一、斎木サヤカ 数秘術完全マスターガイド ナンバーで運命を切り拓く モダン・ヌメロロジー14のレッスン 駒草出版 2009年8月
深田剛史、はせくら みゆき 数霊に秘められた宇宙の叡智―かずたま占い 徳間書店 2009年3月 5次元文庫
深田剛史 数霊 弥栄三次元―祝諏訪大神建御名方刀美恵美須尊 今日の話題社 2009年2月
深田剛史 数霊 日之本開闢 新装版 今日の話題社 2008年5月
伊泉龍一、早田みず紀 数秘術の世界 Modern Numerology Lesson―あなたの人生を導く『数』の神秘 駒草出版 2006年7月
松田和也 新・数秘術入門―人生を磨く「数占い」 柏書房 2005年2月
キャロル・アドリエンヌ著、斎藤昌子 数秘術マスター・キット―あなたの魂に刻まれた情報を読み解く ナチュラルスピリット 2005年5月
松田和也 新・数秘術入門―人生を磨く「数占い」 柏書房 2005年2月
深田剛史 数霊 たま出版 2003年   続きを読む 数霊・数秘術関連文献

「音のパワー」─田中逸平の仏教感

音のパワー

 映画「あつもの」で平成一二(二〇〇〇)年の毎日映画コンクール助演男優賞を受賞するなど、俳優としても国際的活躍を続けているヨシ笈田は、演出家としても名高い。平成一〇(一九九八)年には、初のオペラ演出にも挑戦している。彼は、南フランスのエクス・アン・プロヴァンス音楽祭でベンジャミン・ブリテンのオペラ「カーリュー・リバー」を演出、聴衆に「魂の底まで貫き通す感動」を与えたという。
音楽ジャーナリストの下田季美子氏のレポートによると、笈田はまず、無名の若い歌手たちを起用、無国籍的な舞台を設定し、文化的背景の異なる歌手たちに「音のパワー」について多く語った。笈田は言霊に興味を持ち、真言密教の声明、念仏、神道の祝詞などで体験されるような音による精神世界への到達をもくろんだのである。下田氏は、笈田の試みを「日本的な精神性をヨーロッパの文化的土壌の中で普遍化した」ものだともいう(1)。この事実は、音のパワーが、民族、宗教を超えて普遍的な感動を与えることを示しているのではなかろうか。 続きを読む 「音のパワー」─田中逸平の仏教感

米ドル依存から脱却する南米─地域共通決済通貨「スクレ」

 

 米ドル支配からの脱却の動きが南米で広がりつつある。2010年7月6日、ベネズエラとエクアドルが、米州ボリバル同盟(ALBA)の地域共通決済通貨「スクレ(sucre)」による初の決済を開始した。ベネズエラはエクアドルから購入したコメ1万5000トンをスクレ(=1.25ドル)で決済した。 続きを読む 米ドル依存から脱却する南米─地域共通決済通貨「スクレ」

「投機資本主義の終焉に備えよ」『青年運動』第965・966合併号、平成24年1月15日

二〇一二年、世界は「大量破壊兵器」爆発の危機に直面するかもしれない。
ここで言う「大量破壊兵器」とは核兵器ではなく、金融分野の兵器「CDS」(クレジット・デフォルト・スワップ)のことだ。CDSとは、企業などが倒産し、借金が棒引きになるリスクに対する保証・保険を金融商品化したもの。リスクヘッジのための金融商品だが、一度CDSを売った会社が破綻すると、ドミノ倒し的に破綻の連鎖が始まり、その被害は一気に拡大する。だから、投資家のウォーレン・バフェットは、CDSを「金融版の大量破壊兵器」と呼んだのだ。
実際、二〇〇八年にアメリカ保険最大手AIGが救済されたのは、CDSの爆発を回避するためだったとも言われている。アメリカの金融機関はCDSを引き受けているために、深刻化するユーロ圏の危機がアメリカへ波及する可能性がある指摘されているのである。 続きを読む 「投機資本主義の終焉に備えよ」『青年運動』第965・966合併号、平成24年1月15日

「国体思想に基づいた普遍的価値 明日のアジア望見 第75回」『月刊マレーシア』499号、2008年7月31日

外交において、共通の価値観という言葉が頻繁に語られるようになっている。そこで語られる価値観とは、多くの場合、西洋近代思想に支えられた人権や民主主義という価値観である。
それは、前政権で持て囃された「価値観外交」や「自由と繁栄の弧」に象徴的に示されていた。二〇〇六年一一月三〇日、麻生太郎外相(当時)は日本国際問題研究所セミナーでの講演で次のように語っている。
「第一に、民主主義、自由、人権、法の支配、そして市場経済。そういう『普遍的価値』を、外交を進めるうえで大いに重視してまいりますというのが『価値の外交』であります。第二に、ユーラシア大陸の外周に成長してまいりました新興の民主主義国。これらを帯のようにつなぎまして、『自由と繁栄の弧』を作りたい、作らねばならぬと思っております」、「我が日本は今後、北東アジアから、中央アジア・コーカサス、トルコ、それから中・東欧にバルト諸国までぐるっと延びる『自由と繁栄の弧』において、まさしく終わりのないマラソンを走り始めた民主主義各国の、伴走ランナーを務めてまいります」 続きを読む 「国体思想に基づいた普遍的価値 明日のアジア望見 第75回」『月刊マレーシア』499号、2008年7月31日