団体・拠点名 | 設立時期 | 備考 |
---|---|---|
振亞社 | 明治10(1877)年 | |
向陽社 | 明治11(1878)年 | |
玄洋社 | 明治12(1879)年 | 向陽社から発展。明治14年説もあり 続きを読む 興亜・維新団体設立時期 |
団体・拠点名 | 設立時期 | 備考 |
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振亞社 | 明治10(1877)年 | |
向陽社 | 明治11(1878)年 | |
玄洋社 | 明治12(1879)年 | 向陽社から発展。明治14年説もあり 続きを読む 興亜・維新団体設立時期 |
イスラーム先駆者
亜細亜人民たるものの大義
浦敬一は、荒尾精の興亜論を受け継ぎ、果敢に行動した。対ロシア政策に必要な情報を収集するため、新疆方面の状況調査を企て、明治22(1889)年9月単独で伊犂探検に出た。だが、彼はまもなく消息を絶った。
彼が残した書簡には、その思想がはっきりと示されている。例えば、明治18年6月16日に父に宛てた書簡には次のように書かれている。
「乍併東洋の大勢は是より平和に相成る事には中々無之、仏は已に安南を横領し、英は又々朝鮮の巨文島を占奪し、露は頻りに支那朝鮮を窺ひ、独も亦同じく支那朝鮮に手を出さんと存居候由なれば、東洋の危急は日を逐ふて相迫り候。東洋の危急は支那朝鮮のみにあらず、我国の形勢は最も危急に相成居申候。…… 続きを読む 浦敬一の興亜