「日本人」カテゴリーアーカイブ

王師会─青年将校の義憤

藤井斉が同志を糾合

 王師会は、海軍の王師会が昭和3年3月に海軍部内の青年士官中の同志を集めて組織した。藤井は、海軍兵学校在学中に休暇等を利用して、大学寮に出入りしていた大川周明、満川亀太郎、安岡正篤、西田税らと接触し、国家改造の必要性を痛感するようになっていた。 続きを読む 王師会─青年将校の義憤

イスラーム先駆者 田中逸平

イスラーム先駆者

中国人ムスリムと田中逸平
 田中逸平の名は、大正13年にイスラームの聖地マッカ(メッカ)への巡礼を敢行し、さらに死の直前に2回目の巡礼を果たしたことで知られる。田中の思想と行動の重要性は、興亜論発展の一環としてイスラームの真髄を理解しようとした点にある。 続きを読む イスラーム先駆者 田中逸平

中野常太郎と亜細亜義会


 中野常太郎(号は天心)は、明治期に日本の興亜陣営とムスリムの連帯を主導した人物である。慶応2(1866)年10月23日、加賀金沢で生まれた中野は少壮のときから東亜経綸に志し、興亜の先駆者・荒尾精、根津一の門に出入りした。黒龍会にも参加したとされる(サルジュク・エセンベル「日露戦争と日土関係」)。
明治42年にトルコ系タタール人、アブデュルレシト・イブラヒムが来日すると、中野は大原武慶とともにムスリムと興亜陣営の連携を推進する。 続きを読む 中野常太郎と亜細亜義会

浦敬一の興亜

亜細亜人民たるものの大義
 浦敬一は、荒尾精の興亜論を受け継ぎ、果敢に行動した。対ロシア政策に必要な情報を収集するため、新疆方面の状況調査を企て、明治22(1889)年9月単独で伊犂探検に出た。だが、彼はまもなく消息を絶った。
彼が残した書簡には、その思想がはっきりと示されている。例えば、明治18年6月16日に父に宛てた書簡には次のように書かれている。
「乍併東洋の大勢は是より平和に相成る事には中々無之、仏は已に安南を横領し、英は又々朝鮮の巨文島を占奪し、露は頻りに支那朝鮮を窺ひ、独も亦同じく支那朝鮮に手を出さんと存居候由なれば、東洋の危急は日を逐ふて相迫り候。東洋の危急は支那朝鮮のみにあらず、我国の形勢は最も危急に相成居申候。…… 続きを読む 浦敬一の興亜

梅田雲浜関連文献


書籍

著者 書名 出版社 出版年 備考
法本義弘 梅田雲浜 小浜市立図書館 1981 (若狭人物叢書 9)
梅田薫 梅田雲浜と維新秘史 東京正生学院 1979  
青木晦蔵、佐伯仲蔵編 梅田雲浜関係史料 復刻版 東京大学出版会 1976 (続日本史籍協会叢書日本史籍協会編 第2期第4巻)
奈良本辰也編 幕末志士の手紙 学芸書林 1969 続きを読む 梅田雲浜関連文献

藤田東湖関連文献


書籍

著者 書籍写真 書名 出版社 出版年 備考
藤田東湖 維新草莽詩文集 新学社 2007年6月 新学社近代浪漫派文庫
童門冬二 尊王攘夷の旗―徳川斉昭と藤田東湖 光人社 2004年6月  
但野正弘 水戸烈公と藤田東湖『弘道館記』の碑文 水戸史学会 2002年8月   続きを読む 藤田東湖関連文献

大塩平八郎関連文献


書籍

著者 書籍写真 書名 出版社 出版年 備考
亀井俊郎著 小説 太虚―大塩平八郎と安岡正篤 朱鳥社 2011年10月 日本史研究叢刊
大塩事件研究会編 大塩平八郎の総合研究 和泉書院 2011年4月
森田康夫著 大塩平八郎と陽明学 和泉書院 2008年10月 日本史研究叢刊
大橋健二 神話の壊滅―大塩平八郎と天道思想 勉誠出版 2005年11月
阿部牧郎 大坂炎上―大塩平八郎「洗心洞」異聞 徳間書店 2005年7月
安達勝彦 小説大塩平八郎 耕文社 2005年   続きを読む 大塩平八郎関連文献

頼山陽関連文献


書籍

著者 書籍写真 書名 出版社 出版年 備考
渡部昇一   渡部昇一の古代史入門 頼山陽「日本楽府」を読む PHP研究所 2006年11月  
見延典子 頼山陽にピアス 南々社 2004.11  
衣笠安喜 思想史と文化史の間―東アジア・日本・京都 ぺりかん社 2004.07   続きを読む 頼山陽関連文献

頼山陽の思想

一君万民の理想

頼山陽肖像画(福山誠之館同窓会蔵)
http://www.ccv.ne.jp/home/raisanyo/jinbutu.htmより 一君万民の理想的統治を求めた頼山陽(1780~1832年)の著作は、王政復古の精神を鼓舞し、維新の大業を成就する大きな力となった。司馬遼太郎は、山陽の『日本外史』について、「この一書が幕末を動かしたとさえ言いたくなるほどである」と述べている(『この国のかたち』1、文芸春秋)。
 安藤英男氏は、山陽が「一君万民の平等思想を根底とし、天皇親政下の郡県制度を理想の政治形態とした」と書いている(安藤英男『頼山陽日本外史』近藤出版社、1982年(頼山陽選集 6)、3頁)。 続きを読む 頼山陽の思想