「大塩平八郎」カテゴリーアーカイブ

『月刊日本』連載「志士の魂を揺り動かした十冊」、『洗心洞箚記』へ

 平成24年に『月刊日本』の連載「明日のサムライたちへ 志士の魂を揺り動かした十冊」を開始してからまもなく3年。八冊(山鹿素行『中朝事実』、浅見絅斎『靖献遺言』、山県大弐『柳子新論』、本居宣長『直毘霊』、蒲生君平『山陵志』、平田篤胤『霊能真柱』、会沢正志斎『新論』、頼山陽『日本外史』)を終え、5月号から大塩中斎『洗心洞箚記』に移ります。
 初回は、『洗心洞箚記』や大塩檄文に示された「万物一体の仁」にふれながら、天保8(1837)年の大塩挙兵に至る過程を描きました。
 昭和維新運動に挺身した中村武彦氏は大塩檄文を高く評価していました。
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西郷南洲と大塩平八郎─三島由紀夫「革命の哲学としての陽明学」

 
 西郷南洲の思想と行動は、禅、陽明学、崎門学など多様な思想によって培われたとされている。こうした中で、南洲に陽明学の流れを見出そうとしたのが、三島由紀夫であった。
 三島は、昭和45年9月の『諸君!』に発表した「革命の哲学としての陽明学」(同年10月刊『行動学入門』に収録)で、次のように指摘している。
 〈西郷には「南洲遺訓」といふもう一つの著書があるが、ここにも陽明学の遠い思想的な影響は随所に見られる。たとへば「遺訓」の追加の部分の「事に当り、思慮の乏しきを憂ふることなかれ」といふ一行や、岸良眞二郎との問答の中の「猶豫狐疑は第一毒病にて害をなすこと甚だ多し」「猶豫は義心の不足より発するものなり」と言つてゐるところ、また「大丈夫僥倖を頼むべからず、大事に臨んでは是非機会は引起さずんばあるべからず、英雄のなしたる事を見るべし、設け起したる機会は、跡より見る時は僥倖のやうに見ゆ、気を付くべき所なり」などといふところがさうである。また「遺訓」の問答の「三」では「知と能とは天然固有のものなれば『無智の智は慮らずして知り、無能の能は学ばずして能くす』と。これ何物ぞや、それただ心の所為にあらずや、心明らかなれば知もまた明らかなるところに発すべし」といつてゐるが、その中の引用は王陽明の語そのままでさへある。しかしながら、西郷隆盛の言葉のうちでもつとも大塩平八郎と深い因縁を結んでゐるやうに思はれるのは、次の箇所である。
 聖賢に成らんと欲する志無く、古人の事跡を見、迚(とて)も企て及ばぬと云ふ様なる心ならば、戦に臨みて逃るより猶ほ卑怯なり。朱子も自刄を見て逃る者はどうもならぬと云はれたり。誠意を以て聖賢の書を読み、其の処分せられたる心を身に体し心に験する修行致さず、唯个様の言个様の事と云ふのみを知りたるとも、何の詮無きもの也。予今日人の論を聞くに、何程尤もに論する共、処分に心行き渡らず、唯口舌の上のみならば、少しも感ずる心之れ無し。真に其の処分有る人を見れば、実に感じ入る也。聖賢の書を空く読むのみならば、譬へば人の剣術を傍観するも同じにて、少しも自分に得心出来ず。自分に得心出来ずば、万一立ち合へと申されし時逃るより外有る間敷也。(西郷南洲遺訓ノ三六)

 この文章などは、われわれの中で一人の人間の理想像が組み立てられるときに、その理想像に同一化できるかできないかといふところに能力の有無を見てゐる点で、あたかも大塩平八郎の行動を想起させるのである〉

陽明学関連文献

書籍

著者 書籍写真 書名 出版社 出版年 備考
ハイブロー武蔵 通勤大学図解・速習 言志四録 佐藤一斎の教え 総合法令出版 2008年10月
森田康夫 大塩平八郎と陽明学 和泉書院 2008年10月
深澤賢治 陽明学のすすめ〈2〉人間学講話「安岡正篤・六中観」 明徳出版社 2008年10月   続きを読む 陽明学関連文献

大塩平八郎関連文献


書籍

著者 書籍写真 書名 出版社 出版年 備考
亀井俊郎著 小説 太虚―大塩平八郎と安岡正篤 朱鳥社 2011年10月 日本史研究叢刊
大塩事件研究会編 大塩平八郎の総合研究 和泉書院 2011年4月
森田康夫著 大塩平八郎と陽明学 和泉書院 2008年10月 日本史研究叢刊
大橋健二 神話の壊滅―大塩平八郎と天道思想 勉誠出版 2005年11月
阿部牧郎 大坂炎上―大塩平八郎「洗心洞」異聞 徳間書店 2005年7月
安達勝彦 小説大塩平八郎 耕文社 2005年   続きを読む 大塩平八郎関連文献