木村武雄伝承会の『そんぴん瓦版』第二号(令和八年六月一日)に、昨年十一月三十日に米沢市で務めた講演の要約を掲載していただきました。誠にありがとうございます。冒頭を紹介いたします。
昨年に発足された「木村武雄伝承会」の記念すべき「発会記念・公開市民講座」は十一月三十日に米沢市置賜総合文化センターホールで開催されました。講師には「木村武雄の日中国交正常化 王道アジア主義者・石原莞爾の魂』(望楠書房刊)の著者のジャーナリスト坪内隆彦氏を招いて、木村の戦前・戦中・戦後の中でアジア観を紹介しながら、政治家として一九七二年の日中国交樹立までの木村の軌跡を紹介していただきました。誌上ではこの講演を要約したものを掲載します。
■倒錯している言論空間
「反中」=愛国、「親中」=売国の風になっているが、問われるべきは、反中派、親中派の思想基盤である。戦争に走った覇道アジア主義と木村武雄の王道アジア主義は、全く別物である。
■木村武雄のアジア観は、置賜発・王道アジア主義の理想
王道アジア主義の目標は欧米中心の国際秩序の打破・民族協和・道義的国際秩序。西洋近代文明の道とは武力・権力による統治である。王道アジア主義の目標は覇道の原理でアジアに迫る欧米列強の勢力を押さえ、王道の原理に基づいたアジアを建設することにあり、木村武雄の日中国交正常化の精神であった。
「『置賜発アジア主義』は、大東亜戦争に流れ込む『侵略的アジア主義』とは明確に一線を画します。それぞれの民族の自主独立を重視するアジア主義です。その流れの中に宮島誠一郎の次男・宮島大八(詠士)がいます」と郷土史研究家、故高岡亮一氏は、宮島誠一郎らのアジア主義を「置賜発アジア主義」と名付け、書き残している。
