古神道の大家、川面凡児の禊行を体験するため、筆者は2010年6月6日早朝、東京都練馬区にある稜威会本部道場を訪れた。 川面が谷中三崎町に「大日本世界教・稜威会」を設立したのは、明治39年春。「信仰を統一し、解釈を統一し、実行を統一し、世道を解頽を救ひ、人身の腐敗を救ひ、以つて個人を統一し、家庭を統一し、国家を統一し、世界宇宙を統一し、各自按分平等の自由幸福平和を獲得せしめん」とその目的を掲げた。本部は大正12年に大久保に移転し、川面没後の昭和17年に現在の練馬区関町へ移った。禊祓道場が新築落成されたのは、平成3年である。武蔵関公園に隣接する敷地は、豊かな自然に恵まれ、修行に相応しい場所だ。 続きを読む 川面凡児の禊行を体験 |
「西洋近代への抵抗」カテゴリーアーカイブ
皇道翼賛青年連盟
近衛新体制下の維新陣営の団結
三上卓先生は、近衛新体制運動が動き出す中で、昭和15年7月初旬、七生社の穂積五一らと日本主義陣営の横断的組織の結成に動き、同年8月16日 学士会館にて「翼賛体制建設青年連盟」(後に皇道翼賛青年連盟と決定)を結成することを決めた。 『葦牙─青春の軌跡』(昭和60年)によると、「翼賛体制建設青年連盟」は以下のような体制でスタートした。 続きを読む 皇道翼賛青年連盟
排日移民法関連文献
関連書籍類
著者 | 書籍写真 | 書名 | 出版社 | 出版年 | 備考 |
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チャオ埴原三鈴、中馬清福 | 「排日移民法」と闘った外交官 〔1920年代日本外交と駐米全権大使・埴原正直〕 | 藤原書店 | 2011年12月 | ||
簑原俊洋 | 排日移民法と日米関係 : 「埴原書簡」の真相とその「重大なる結果」 | 岩波書店 | 2002年 | ||
三輪公忠編著 | 日米危機の起源と排日移民法 | 論創社 | 1997年 | ||
慶応義塾大学法学部政治学科玉井清研究会 | 排日移民法と日本のマスメディア | 1996年 | 近代日本政治資料 4 | ||
高橋経 | 還らない日本人 : 偏見と差別に耐えた北米日本人移民100年史 黄禍篇 | 同時代社 | 1991年 | ||
粂井輝子 | 在米日本人移民にみる異文化接触の衝撃 : 排日運動との関連において | 長野県短期期大学 | 1990年 | 続きを読む 排日移民法関連文献 |
EAECを支持した古川栄一
元外務官僚の古川栄一は、『貿易と関税』、『世界週報』、『諸君!』等を舞台に、1990年にマハティール首相が提唱した東アジア経済会議(EAEC)構想を支持する言論活動を展開し、志半ばで斃れた。古川は、1953年外務省入省、在タイ大使館参事官を経て、国連アジア太平洋開発センター副所長を務め、1991年に日本国際戦略センターを設立した。
1997年12月に「ASEAN+日中韓」(ASEAN+3)首脳会議がクアラルンプールで開催された際の日本政府の混乱について、古川は次のように書いている。 続きを読む EAECを支持した古川栄一
大アジア協会
アメリカの排日移民法に対する反発が一気に高まる中で、大正13(1924)年7月10日、アジア民族策協議会の会合が政友ビルジング・ホールで開催され、この場で大アジア協会が発足した。当日の参加者には、大石正巳、岡崎国臣、小川平吉、上杉慎吉、秦豊助、岩崎勲、井上敬之助、田中善立らが参加していた。
当日決まった大アジア規約は以下の通り。
第1条 本会は大アジア協会と称す
第2条 本会は大アジアの発達を図り以て世界の平和と全人類の福祉に貢献することを目的とす
第3条 本会は総本部を東京におき本部または支部をアジア各地におく
第4条 本会は発起人及び賛成人を以て組織す
第5条 本会は世話役並びに相談役を以て会務を進行す
第6条 本会は必要に応じ顧問、嘱託、講師をおくことを得
第7条 本会の経費は会費及び寄付金を以てこれに充て、会計年度を4月1日より翌年3月31日までと定む
会計に関する事務は世話役これを取扱ふ
第8条 本会は春秋2期に定期大会を開き必要に応じ臨時大会を開く
(『報知新聞』1924年7月11日付)。
米ドル依存から脱却する南米─地域共通決済通貨「スクレ」
米ドル支配からの脱却の動きが南米で広がりつつある。2010年7月6日、ベネズエラとエクアドルが、米州ボリバル同盟(ALBA)の地域共通決済通貨「スクレ(sucre)」による初の決済を開始した。ベネズエラはエクアドルから購入したコメ1万5000トンをスクレ(=1.25ドル)で決済した。 続きを読む 米ドル依存から脱却する南米─地域共通決済通貨「スクレ」 |
「新しいアジア委員会報告書」─個人と社会の理想的な関係を追求
個人と社会の理想的な関係を追求
1992年12月19日、マハティール首相(当時)のブレーンとして活躍していたノルディン・ソピーを座長として、「新しいアジア委員会」(Commission for A New Asia)が発足した。ソピーとともに、インドネシア、タイ、フィリピン、シンガポール、ベトナム、日本、中国、香港、インド、バングラデシュ、ロシア、オーストラリアの学者、専門家16名がメンバーに名を連ねていた。日本からは、元外相の大来佐武郎、国際開発センター会長の河合三良、笹川平和財団プログラム・ディレクター(当時)の高橋一生氏の3名が参加していた。
4度の会議を経て同委員会が1994年1月にまとめたのが、『新しいアジア委員会報告書─新しいアジアに向けて』である。報告書は広範な問題を扱っているが、個人と社会の関係について、次のように述べている点が注目される。 続きを読む 「新しいアジア委員会報告書」─個人と社会の理想的な関係を追求
南部白人層とKKK
かつては民主党の支持基盤
いまなお、アメリカ南部の保守派白人層には、古き良き時代を回帰したいという願望がある。「古き良き時代」とは、リンカーン以前の白人優位のアメリカである。そこには、黒人に対する根強い差別感情が隠されている。
奴隷制に反対する共和党のリンカーンが大統領に当選したのは、1860年のこと。これに対して、奴隷制存続を主張する南部7州は合衆国から脱退しアメリカ連邦(通称「南部連合」)を結成した。1861年に南北戦争が勃発、1965年、南部連合は敗れ合衆国は統一された。戦争中の1863年にリンカーンは奴隷解放宣言を出し、1865年の憲法修正により奴隷制廃止を達成した。 続きを読む 南部白人層とKKK
「世界潮流2025」の展望
2008年11月20日にアメリカの国家情報会議(NIC)が公表した報告書「世界潮流2025」は、今後アメリカの覇権が低下して多極化に移行すると分析、日本の外交政策として、〈1〉中国の経済成長が続けば良好な対中関係を維持するが、軍事力への警戒感から安全保障面ではアメリカに接近し、中国を孤立化させようとする、〈2〉中国が域内各国に敵対的になれば、アメリカとともに対抗する、〈3〉アメリカの安保面でのアジア関与が低下していけば、中国に接近する、〈4〉アメリカと中国が政治・安保で接近すれば、日本もこれに追随する――とする4つのシナリオを提示した。
原文の関係箇所は以下の通り。
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精神的基礎なきアジア連帯会議
1926年の亜細亜民族会議の教訓
大正13(1924)年7月にアメリカで排日移民法が施行され、日本国内で反米ムードが高まりつつあった。こうした中で人種平等を掲げたアジア人の連帯運動の気運も次第に盛り上がり、興亜論者だけでなく、政治家の中にも興亜運動を進めようという動きが出てきていた。政友会の今里準太郎もその1人であった。例えば、今里は移民法施行直後の大正13年7月6日に、時の総理大臣加藤高明に対して「外交方針ニ関スル質問主意書」を提出している。そこには、次のように記されている。
1、人種平等ニ関シ日本政府ノ採レル努力ノ経過並今後ノ方針如何
2、米国以外ノ日本移民地ニ於テ日本移民ヲ永遠ニ安住セシムル具体的方針如何
3、日支親善ノ具体策トシテ日支間ノ条約一部ノ改廃乃至日支同盟ノ意ナキ乎
右及質問候也(1) 続きを読む 精神的基礎なきアジア連帯会議