皇道翼賛青年連盟

近衛新体制下の維新陣営の団結

穂積五一

三上卓先生は、近衛新体制運動が動き出す中で、昭和15年7月初旬、七生社の穂積五一らと日本主義陣営の横断的組織の結成に動き、同年8月16日 学士会館にて「翼賛体制建設青年連盟」(後に皇道翼賛青年連盟と決定)を結成することを決めた。 『葦牙─青春の軌跡』(昭和60年)によると、「翼賛体制建設青年連盟」は以下のような体制でスタートした。

委員長 三上 卓
常任委員  穂積五一(至軒寮)
雨谷菊夫(大日本青年党)
片岡 駿(まことむすび社)
委  員  穂積七郎(至軒寮)
長谷川 峻(東方会)
川崎堅雄(日本建設協会)
荒川甚吉(東亜経綸同志会)
西郷隆秀(純正日本主義青年協議会)
平井羊三(国民運動研究会)
羽生三七(同 右)
西本 喬(日本革新青年隊)
山崎末男(東亜建設国民連盟)
丹羽五郎(九日会)
その他加盟者 菅波三郎・大岸頼好・溝口勇夫・堅山利忠・竹村茂昭・小野卓爾・有馬康之・仁尾勝夫・浜勇治。

結成趣意書
有史以来の国難が眼前に迫っている。
現在の日本は実にただよえる日本である。
『このただよえる国をつくりかためなせ』……神勅は明徴に万民翼賛・国民顕現の方途を示されて余すところがない。道は斯くの如くに明瞭である。内外の実相を見極めて、決心をする場合に悲観も楽観も倶に許されない。どうしても歩まねばならない唯一筋の道がある許りである。それは最も困難な荊の道であると共に、もっとも明らかなみ民の道である。
御維新は今や歴史の必然であり、絶対の要件となった。ではどうせねばならないか、日本を本然の姿に還す以外に維新の道はあり得ないのである。
『葦原の中の国自ら照り明りき』これが日本の維新運動である。この国体奉行の精神が各個人に各国民に透徹する必然的結果として、所謂新体制(臣民翼賛組織)は最も実践的に、具体的に、生命的に組織され、編成される。この翼賛任務を最も建設的に、そしてもっとも主体的に実践奉行することが、吾等青年に与えられた使命であり、同時に大御心に応え奉る唯一の道である。
吾々はいのち懸でこの有難き使命に粉骨砕心する。その為めに吾々はまず、まごころの限りを捧げて今日迄の自分自身を真剣に反省し、修祓せぬばならぬ。派閥も、対立の依存も、妥協も、便乗も、断じて許さない。
斯くの如きは皇国本来の姿に還る所以でないからである。旧秩序、旧殼内の党派や依存関係から蝉脱して、本気で真剣にむすび合わねばならない秋が来た。所謂新体制運動上の具体的な実践活動は、このむすびによく当然の現れである。口先や、頭の中だけの運動の時代は過ぎた。理論闘争や、机上プランの時代は去った。
吾々すっぱだかになって、大御心のまにまに実力的に如何に実行するかの問題である。因縁情実は此の際問題とならぬ朋党比周は国家の害毒である。真剣な自己反省と純然な責任行動に徹すべきことを国家が要求している。翼賛のための分担任務に応じて「み民われ」等の生活の上に盛り上げ築き上げ、むすび合っていかねばならない。
「翼賛体制建設青年連盟」はこの趣意の下に臣民翼賛組織運動を貫いて常に皇国の大生命に帰命する。

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