マハティール元首相が提唱したEAEC(東アジア経済会議)構想の実現に尽力した古川栄一は、日本国際戦略センターを主宰し、シンポジウムや交流会など、あらゆる機会を捉えてEAEC実現のための啓蒙活動を展開した。
1997年12月に第一回の「ASEAN+日中韓」(ASEAN+3)首脳会議がクアラルンプールで開催されることになった。この会議を控えた11月、古川はニュースレターで「いよいよEAEC発足へ」と書いた。
実際、産経新聞社の内畠嗣雅記者は、ASEAN+3首脳会議開催の翌日、次のように報じた。
「マハティール首相が地域の発言力強化のために提唱した東アジア経済会議(EAEC)構想が形の上で実現した格好になった」
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EAECを支持した古川栄一
元外務官僚の古川栄一は、『貿易と関税』、『世界週報』、『諸君!』等を舞台に、1990年にマハティール首相が提唱した東アジア経済会議(EAEC)構想を支持する言論活動を展開し、志半ばで斃れた。古川は、1953年外務省入省、在タイ大使館参事官を経て、国連アジア太平洋開発センター副所長を務め、1991年に日本国際戦略センターを設立した。
1997年12月に「ASEAN+日中韓」(ASEAN+3)首脳会議がクアラルンプールで開催された際の日本政府の混乱について、古川は次のように書いている。 続きを読む EAECを支持した古川栄一