「アジア的価値観」カテゴリーアーカイブ

タイ舞踊②

タイ舞踊の種類

舞踊の種類としては、孔雀の羽を両手に持って、お祝いのために2人組みで踊る「プラレーン」(Plaleng)、右手に金の花を、左手に銀の花を持って、男性の服装で踊る「金銀の花踊り」、両手に花の形をした壷わ持ち、王宮の夜の儀式に踊る「フラワー・ポット・ダンス」(Flower Pot Dance)、両手に一本ずつランタンを持ち、手首をひねって二つのランタンをぐるぐる回天させる「ランタン・ダンス」(Lantan Dance)、両手の指の間にロウソクをはさんで持ち、火を消さないように手首をひねって回転させながらゆっくり踊る「キャンドル・ダンス」(Candle Dance)、薄い布を持ってスピーディーに踊る「マン・ヌイ・シンタ」(Man Nuy Sinta)、親指以外の両手の指に長い爪をはめ、手首をぐるぐる回して、ゆるやかに踊る「フォーン・レップ」(Boun Lep)、武士が馬に乗って槍を持って戦うさまを舞踊化した「ランス・ダンス」(Lance Dance)、農民の豊年踊りで、二本の長い桿に足をはさまれないように通りぬけるように踊る「クラ・トップ・マイ」(Kra Top Mai)などが挙げられる。また、ジャワからマレーを経由してタイに入った舞踊として、クリス・ダンス(Kris Dance)がある。これは左手に布切れを持ち、右手に短剣を持って踊る剣舞である。ジャワのスリンピーとよく似ている(『アジアの舞踊』135~139頁)。 続きを読む タイ舞踊②

タイ舞踊①

宗教と不可分の発展

多くの舞踊は、もともと宗教と不可分のものとして発展してきた。タイ舞踊も例外ではない。
タイ舞踊は、およそ1000年前にクメール人によって、インドからもたらされたとされている。その8割は、ラマキェンというラーマーヤナから取材した内容とそれに付随した挿話からなる。
インド起源の舞踊は、タイ王宮の保護を受けながら、タイ国民の温和な性格などに培われて、独自の舞踊として発展した。「タイ舞踊」(秋元加代子タイ舞踊団)は、次のようにその宗教性を強調している。
「タイの舞踊は元来、神に感謝を表す儀式で踊りを捧げるのを目的として踊られてきました。タイの民衆は山や川、森などの自然界に宿る神々を信じ、神々を喜ばせるために踊ったり歌ったりしていたと言われています」 続きを読む タイ舞踊①

ジャワ伝統文化関連文献

書籍

著者 書籍写真 書名 出版社 出版年 備考
NHK「アジア古都物語」プロジェクト (編集) NHKスペシャル アジア古都物語 ジョグジャカルタ―支えあう王と民 日本放送出版協会 2002年
福岡 まどか ジャワの仮面舞踊 勁草書房 2002年
伊藤ふさ美、小笠原小枝 ジャワ更紗―いまに生きる伝統 小学館 1999年 ショトル・ミュージアム
吉本 忍 ジャワ更紗 平凡社 1996年
風間 純子 ジャワの音風景 めこん 1994年 めこん選書 (3) 続きを読む ジャワ伝統文化関連文献

大川周明のアジア統一論

宋学によるアジア思想統一の歴史

近年、アジアの多様性を強調することによって「アジアは一つではない」と説いたり、日本文化の独自性を強調することによって「日本はアジアではない」と説いたりする傾向が目につく。こうした中で、大川周明が「大東亜圏の内容及び範囲」(『大東亜秩序建設』第二篇、昭和18年6月、同様の主張が『新東洋精神』昭和20年4月でも繰り返されている)や、「アジア及びアジア人の道」(『復興アジア論叢』昭和19年6月)で試みたアジア統一論の意義を、再評価する必要がある。
彼は、「大東亜圏の内容及び範囲」で、アジア各地で地方的色彩が豊かであることを認めた上で、「亜細亜文化の此の濃厚なる地方色と、亜細亜諸国の現前の分裂状態とに心奪われ、その表面の千差万別にのみ嘱目して、日本の学者のうちには東洋又は東洋文化の存在を否定する者がある」と指摘する。 続きを読む 大川周明のアジア統一論

マングローブの中のレストラン バーン・タイ

マハティール首相の発案

 自然環境を活かした観光、「エコ・ツーリズム」を推進するマレーシアならではのレストランが、ランカウイにはある。マングローブの中に存在するタイ料理レストラン「バーンタイ」(Barn Thai)である。
熱帯・亜熱帯地域で、海水と淡水の交じり合うエリアを汽水域という。この汽水域に広く分布するヒルギ種やハマザクロなどの植物が、マングローブである。そこは魚やエビ・カニ、水鳥や小動物の豊かな生息域となっており、地球の生態系を維持する上で重要な役割を果している。またマングローブの森は、台風や洪水などから人々を守る防波堤の役割も果している。 続きを読む マングローブの中のレストラン バーン・タイ

ランカウイのペルダナ美術館

ギフトを国民と分かち合う
 1981年の就任以来、マハティール首相は確固たる外交路線を定め、意欲的に世界を飛び回ってきた。当然、外遊時にはマハティール夫妻に各国要人や関係者等から多くの記念品やギフトを贈られる。
 だが、マハティール首相はそうしたギフトが自分に贈られたのではなく、マレーシア国民に贈られたのだという認識を持っている。だからこそ、それらを個人の所有物にするのではなく、マレーシア国家のものとして国民と共有したいと願っているのである。こうしたマハティール夫妻の強い願いによって誕生したのが、ペルダナ美術館(Galeria Perdana)である。ペルダナ美術館のパンフレットには、「ギフトを人々と分かち合うために設立された」と謳われている。設置されたのは、マハティール首相ゆかりの地ランカウイ。
 2002年7月、筆者はペルダナ美術館を訪れた。モスク風の天井の美しいステンド・グラスが目を引く。美術館は現在2階建てで、総面積5332平方メートル。ゆっくり回れば約2時間はかかる。木製や皮革製の伝統工芸品、人形、織物、塗り物、毛皮、金・銀・銅・鉄・ピューター製の贈物などがきれいに陳列されている。外国からだけでなくマレーシア各州要人からのギフトも展示されており、その数は5000点を越える。

天皇陛下からの贈り物も
 中央アジア諸国からの毛皮の衣服や日本のよろい兜なども展示されている。ほとんどのギフトは、贈られた国と時期だけで、贈り主の表示はないが、いくつかには贈り主が表示されている。その中に、旭日大綬章に合わせ、1991年9月30日に天皇陛下から贈られた銀製の花瓶と写真立てがある。また、橋本首相(当時)が贈ったも木製の箱も展示されている。日本との関係では、三菱自動車工業のディアマンテのほか、いすゞやダイハツの自動車も展示されている。
 
 東アジア、イスラーム諸国、非同盟諸国重視というマハティール首相の外交路線を反映してか、首相の外遊先はアジア・アフリカが多い。そのため、贈り物もそれら地域からのものが多いという印象を受けた。日本、中国、韓国、東南アジアの周辺国、イランなどのイスラーム圏、ジンバブエなどのアフリカ諸国からの伝統工芸が多くを占める。まさに、ペルダナは、アジア・アフリカ伝統美術館とも呼びうるわけで、多くのマレーシア人学生も、アジア伝統文化にふれるために美術館を訪れる。美術館側はいずれ、国やテーマ別の特別展示なども企画したいとしている。
 また、美術館には、マハティール夫妻の若い頃の写真や肖像画も展示されており、入り口近くにはボールペンやTシャツなどの記念品を扱ったお土産屋もある。

趙東一の東アジア文明論

 

ソウル大名誉教授の趙東一氏が東アジア文明論を提唱している。趙氏は近著『東アジア文明論』(知識産業社)において、東アジア文明に現れた儒教・仏教・道教の思考形態を説明し、各国の長所を生かして統合された東アジア学を形成していくべきだと説いた。
アテネ出身のソクラテスがギリシャ人になり、ヨーロッパ人を経て、世界人になったように、魯の国の出身だが、500年後には中国人に、さらに500年後には東アジア人となった孔子が、世界人となるよう、東アジア人が共に努力しなければならないと主張する。東アジアが、有力な世界人候補を、どこの国の人かという論議にこだわっているために東アジア文明が形成されずにいると指摘した(『朝鮮日報』2010年7月11日)。
日本国内では、趙氏の著作の翻訳『東アジア文学史比較論』が刊行されている。

サドルを読む─イスラーム経済論

 

イスラーム経済論

ムハンマド・バーキルッ=サドル
(http://www.ummah.org.uk/Rahmat/person.htmより)
ムハンマド・バーキルッ=サドル
 ムハンマド・バーキルッ=サドル(Muhammad Baqir as-Sadr)は1935年、イラクのバグダッドで生まれた。早くも10歳のときに、イスラームの歴史のレクチャーしはじめ、11歳で論理学の勉強を開始したと語りつがれている。このように驚くべき早熟で、20代半ばにして、すでに学者としての地位を確立した。
Iqtisad-naのほか、イスラーム哲学、イスラーム法学をはじめ、論理学、政治学、社会学と極めて幅広い学術的成果を残した。
サドルは、イランのホメイニとならぶシーア派の指導者としても活躍し、革命後のイラン経済に、サドルの経済論は取り入れられた。だが1980年、敵対するバース党のフセイン政権によって処刑され、45年の短い生涯を閉じた。
 イスラーム金融システムは、イスラーム経済の一側面に過ぎない。それは、イスラーム経済全体の中で位置づけられる必要があるのだ。
ところで、国際金融システムの限界に直面し、資本主義システムの問題点が改めて指摘されるようになっている。すでに、物質至上主義による精神的退廃・人間性の喪失、各国内部における経済格差、国家間の経済格差(南北問題)、自然環境破壊といった問題が指摘されて久しい。マルクス主義は、資本主義の問題を鋭く指摘したが、実際のマルクス主義経済体制は別の弊害を生み出した。こうした中で、イスラーム経済論の果たす役割は小さくないと指摘されている。
ところが、イスラーム経済論は日本には未だあまり紹介されておらず、日本語で読める体系的イスラーム論は限られている。
黒田寿郎教授によるムハンマド・バーキルッ=サドルの著作の邦訳が、体系的なイスラーム経済論の日本語テキストの唯一のものとも言われている。
ここでは、サドルの『イクティサードナー』(Iqtisad-na)の邦訳『イスラーム経済論』(未知谷)をもとに、イスラーム経済論のポイントについて紹介しておきたい。 続きを読む サドルを読む─イスラーム経済論

プトラジャヤ宣言全文

PUTRAJAYA DECLARATION ON KNOWLEDGE AND MORALITY FOR THE UNITY, DIGNITY AND PROGRESS OF THE UMMAH THE 10TH SESSION OF THE ISLAMIC SUMMIT CONFERENCE PUTRAJAYA, MALAYSIA 11 -18 OCTOBER 2003
We, the Kings, Heads of State and Government of the Member States of the Organization of Islamic Conference (OIC), gathered at the 10th Session of the Islamic Summit Conference in Putrajaya, Malaysia on 16 – 18 October 2003, reaffirm our commitment and enduring faith in and adherence to the Purposes, Objectives and Principles of the Organization, as enshrined in its Charter, in our continuing efforts to promote Islamic unity, solidarity and dignity at a time of great challenge to the Ummah.
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ディナールに関するマハティール首相の演説⑤

Dr M: Look at All Ideas Including Islamic Finance

New Straits Times, November 20, 2008

By Presenna Nambiar

THE world should not dismiss any idea, even that of adopting Islamic banking, in the process of trying to solve the systemic collapse of the global banking system, says former premier Tun Dr Mahathir Mohamad.
“We should examine all ideas, including how Islamic banking can help, not taken fully perhaps, but how it can be adopted and adapted, to create a better, more just system not so open to abuses,” he said.
In his special address to delegates of the two day Islamic insurance conference, Dr Mahathir called the US$700 billion ( RM2.5 trillion) bailout by the US government as mere patchwork and that a new financial system needs to be introduced to replace the current one, which gave so much leeway to banks. 続きを読む ディナールに関するマハティール首相の演説⑤