山鹿素行『中朝事実』2011年12月11日③

山鹿素行は『中朝事実』「神教章」で「天地の開け初めから神徳が行はれ、明らかな教戒が備は」っていたと主張した。この見解には反論もあった。
「或疑」において、素行は次のように書いている。
「『日本に漢学・漢籍が輸入されたのは神代から遥か後の事で、神代に学問があったとする証拠は文献中にない。それにも関らず、天神の教戒などと学教を云々するのは少し妙に思はれる』と問ふ人がある。
右の質問者は学の本質を見誤まつてゐる。学とは聖人の言行を受け伝へ実行することで、神に就いても同じ事が言へる。だから、この世に人物が存在すれば、その言行を受け伝え実行出来る筈であり、従つて学問は存在することになるのだ。我が上古にこの事実が果して皆無だつただろうか」

素行はこのように述べた上で、神話の中の神々の言動を挙げ、さらに以下のように続ける。
「これらは全部神の言行を身に受け伝え実行ましました好例で、我が上古に学問が存在したといふについては、これ以上のよい証拠はない」

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