素行が『中朝事実』において訴えようとしたのは、日本国体の自立性であった。
同書「或疑」において、素行は神武天皇の御先祖が呉の泰伯だと考える説を一笑にふしている。
この部分を解説した高須芳次郎は、江戸初期から中期にかけて、支那崇拝の漢学者などは、往々、これを真実の如く考えたと指摘し、次のように書いている。
「支那を最上の国とし、支那学問を最上のものと考へた結果が、右の如き謬説を生じたのであつて、この種の弊は今日もある。即ち西洋崇拝の学者は、西洋の学問を最上と考へ、西洋の思想を一番宜いものと思ひ誤り、何でも、これを西洋風に考へなければ、承知しない事なども亦要するに、日本帝室の祖先を泰伯とした林家の行き方と異らない。……日本に日本独自の学問、思想を打建てゝゆくためには、何を措いても、『我土を知れ、自己の国を知れ』と言ひたい」
これは昭和九年の高須の言葉だ。「西洋」を「アメリカ」に置き換えれば、いまなお有効な見解と言える。
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