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権藤成卿と久留米藩難事件関係者

●松村雄之進と本荘一行
 社稷自治思想を掲げて昭和維新のイデオローグとして活躍した権藤成卿の思想には、父直を取り巻く久留米藩難事件の関係者が影響している。
 松村雄之進もその一人である。松村こそ、大楽源太郎を止むを得ない状況下で暗殺した一人であり、政治犯として明治十一年まで入獄していた。明治十三年には福島県に移住し、水用を開拓した。
 松村の傘下に集まっていた青年の一人が興亜の先覚・武田範之である。武田は、久留米藩難に連座した沢之高の実子で、小河真文の従弟。武田の養父武田貞祐は大楽源太郎と親交があった。
 また、権藤は、明治十三年に山川村の尋常小学校を卒業すると、父直と親交のあった大阪の本荘一行のもとへ実業見習いに出された。本荘一行について『東亜先覚志士記伝』には、「旧筑後久留米藩士。少壮にして藩の重職に挙げられ、維新の初め久留米藩の志士が長州の大楽源太郎を暗殺した際などは自宅を同志の集合所として共に事を謀り、以て一藩の運命を救つた」と書かれている。本荘は、松村同様に久留米藩難事件において尋常ならざる体験をした人物である。