山崎闇斎─浅見絅斎─若林強斎と伝わる崎門学正統派の直系である近藤啓吾先生は、松本丘氏の『尚仁親王と栗山潜鋒』を評して次のように書いている。
〈余は今日の学風、みな考証考古の精密を求め、歴史を作り上げた「人」の心への沈潜をせず、その上、新しき資料の発見や新しき解釈の樹立のみを競ひ、古人の人間たりしことを忘却してゐる風潮を慨してゐたが、松本氏はこの世風を追はず、そのどの論考を見ても、その対象としてゐる先人の心に沈潜し、それによつて得たところを率直に筆せんとしてゐる〉(『紹宇文稿』165頁)
ここには崎門の学風を明確に表されている。
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「『靖献遺言』を読んで涙を落とさない人は、不忠者に違いない」(山片蟠桃)
懐徳堂出身の町人儒者・山片蟠桃は『夢の代』において、栗山潜鋒の『保建大記』と浅見絅斎の『靖献遺言』を、以下のように絶賛しています。
「日本の書籍多しと雖、世教に渉るはなし、慶長以降武徳熾んにして、文家も亦少とせず、大儒数輩著す所の書、すこぶる孝弟仁義を説くこと多し、中にも栗山先生の保建大記及び浅見先生の靖献遺言これが冠たり…靖献は……屈原以降の八忠臣を主とし、挙てその余これに類したる忠臣を褒し、又これに反したる賊臣を貶して、天下の忠と不忠を正すこと私意を以てせず、万世にわたりて議論なかるべしとす……ああ浅見氏の骨髄この書にあり、此書をよみて涕を落さざる人は、その人必ず不忠ならん、又此の書を以てその浅見氏の人となりを想像すべし、ここにおいてか、予栗山・浅見二先生のこの書をつねに愛玩すること久し、ゆえに論ここにおよぶもの也、我邦の述作においては、先この書を以て最とし読べし、自から得る所あらん必ずこれを廃すべからず、ゆえに丁寧反復す」
もともと、懐徳堂初代学主に就いたのは、絅斎の門人だった三宅石庵でした。懐徳堂には、山片蟠桃に至るまで、崎門学の流れが続いていたのでしょう。