「マハティールの抵抗」カテゴリーアーカイブ

鳩山由紀夫氏「Towards a Common Future & Shared Prosperity」

 筆者は、日本外交の課題は対米追従から脱却して自主外交を確立することだと考えている。その際、中国の覇権主義を制御しつつ、東アジア共同体のリーダーシップをとることが極めて重要な課題となる。
 こうした中で、東アジア共同体研究所理事長を務める鳩山由紀夫元首相は、2013年7月13日にマレーシアで開催された第10回ASEANリーダーシップ・フォーラムで「Towards a Common Future & Shared Prosperity」と題して講演した。
 以下に、同研究所HPに掲載された日本語訳の一部を転載させていただく。

〈私は総理時代に、「東アジア共同体の創造」を新たなアジアの経済秩序と協調の枠組み作りに資する構想として、国家目標の柱の一つに掲げました。東アジア共同体構想の思想的源流をたどれば、「友愛」思想に行き着きます。「友愛」とは自分の自由と自分の人格の尊厳を尊重すると同時に、他人の自由と他人の人格の尊厳をも尊重する考え方のことで、「自立と共生」の思想と言っても良いでしょう。そして今こそ国と国との関係においても、友愛精神を基調とするべきです。なぜなら、「対立」ではなく、「協調」こそが社会発展の原動力と考えるからです。欧州においては、悲惨な二度の大戦を経て、それまで憎み合っていた独仏両国は、石炭や鉄鋼の共同管理をはじめとした協力を積み重ね、さらに国民相互間の交流を深めた結果、事実上の不戦共同体が成立したのです。独仏を中心にした協力の動きは紆余曲折を経ながらその後も続き、今日のEUへとつながりました。この欧洲での和解と協力の経験こそが、私の構想の原型になっています。
すなわち、私の東アジア共同体構想は、「開かれた地域協力」の原則に基づきながら、関係国が様々な分野で協力を進めることにより、この地域に機能的な共同体の網を幾重にも張り巡らせようという考え方です。 続きを読む 鳩山由紀夫氏「Towards a Common Future & Shared Prosperity」

山下英次氏「東アジア共同体の建設を通じて、日本の真の意味での独立を実現していく」(『東アジア共同体白書2010』収録)

 2010年3月17日に開催された東アジア共同体に関する討論会での山下英次氏の発言が、たちばな出版から刊行された『東アジア共同体白書2010』に収められている。ここで山下氏は次のように語っている。
「アメリカとの関係というのは重要ですけれども、いつまでもいまのような日米関係を続けるべきかどうか、深く考えなければなりません。日米関係を絶対視し、それにしばられていると、いつまでたっても、日本人には、アジア地域統合の意味が分からないということになってしまいます。実際、ほとんど多くの日本人は、なぜアジア地域統合が必要なのか、まったく分かっていない。したがって、東アジア共同体評議会の文書で、目的をもう少しはっきり書く必要があるのではないでしょうか。…… 続きを読む 山下英次氏「東アジア共同体の建設を通じて、日本の真の意味での独立を実現していく」(『東アジア共同体白書2010』収録)

東アジア共同体の真の意味

 アジアの歴史的伝統には普遍的な価値がある。このことを確認する上で、極めて示唆に富む指摘をしているのが、「東アジア共同体論の課題と展望」と題した小倉和夫氏の論稿である。ここで小倉氏は、次のように書いている。
「……現在別の新しいアジアという概念が必要となってきているのではないか。それは、人権や民主主義といった、いわゆる世界的ないし普遍的な価値の問題と関連している。こうした価値が西洋的なものではなく、むしろアジアの歴史的伝統のなかにすでに存在していたことを根拠だてるという意味で、アジアという概念が使われる時代に突入しているのである。
すなわち、世界的な、あるいは普遍的価値を生んできたと考えられている空間から、「西洋」という記号を剥奪する、そのための概念としてアジアという概念が登場しうる時代に突入している。言いかえれば、アジアこそがこれからの世界に、ある意味では人類普遍の価値観を普及させていく、ひとつの原動力となりうるのだというかたちのアジア論である。……こう考えると、東アジア共同体が機能的に成立しつつあり、東アジアにひとつの経済的な共同体が生まれていく方向が出てくるとすれば、その東アジア共同体は、東アジアの各々の国、あるいは東アジア共同体そのもののために存在するのではなく、国際社会、世界全体のために存在することになる。アジアが世界全体のために責任をはたしていく、そのための核として機能していくところに東アジア共同体の真の意味があるといえるのではなかろうか」
同論稿は、2010年6月に刊行された『平城遷都1300年記念出版 NARASIA 東アジア共同体? いまナラ本』に収録されている。

稲村公望「マハティールに見捨てられる日本」英訳

以下は、『月刊日本』2013年4月号に掲載された稲村公望先生のインタビュー記事「マハティールに見捨てられる日本」の全文英訳です。

The Japan That Dr. Mahathir Abandoned (?!)

INAMURA Kobo, Visiting Professor, Graduate School, Chuo University

(This is an excerpt from the April 2013 issue of Gekkan Nippon magazine.)

 

Japan, once the up-and-coming star for the countries of Asia

 

NIPPON: As someone who has struggled against neoliberalism, why is it that you have long taken note of the things that former Malaysian Prime Minister Dr. Mahathir has to say?

 

INAMURA: It’s because Dr. Mahathir’s words have included a strong message that can make we Japanese remember something important that we ourselves have forgotten.

Japanese society westernized after the war, and neoliberalism took hold with the end of the Cold War. As a result, the culture and civilization that the Japanese people themselves developed, along with the shape of the country supported by them, has been disappearing. Dr. Mahathir constantly offered words of encouragement: “Japanese, take pride in Japan’s traditional values!” “Use the power of Japanese civilization to develop the world!”

If I could speak without fear of being misunderstood, I would say that at one time Japan was like the big brother on which Malaysia could depend. In their younger days, it was a splendid older brother, and the younger brother learned many things. Once the older brother got his own household, however, he strayed from the path. His family didn’t have the power to stop it. The younger brother frantically cried out, “Brother, open your eyes!” The older brother should have quickly taken note of his younger brother’s strenuous cries.

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2020年までに「東アジア経済共同体」が実現

 2020年までに「東アジア経済共同体」は設立されるのだろうか。
 2012年11月にカンボジアで開催されたASEAN+3(APT)首脳会議に提出された「東アジア・ビジョン・グループⅡ」(EAVGⅡ)の最終報告書は、「2020年までに東アジア経済共同体を実現する(Realising an East Asia Economic Community by 2020)」と謳ったのだ。
 日中、日韓が政治的な対立を抱えつつも、こうした構想が着々と進行しているのは、APTが長年にわたって積み上げてきた実績があるからである。
 EAVGⅡは、韓国の李明博大統領の提案により2010年のAPT首脳会議において設立された。1999年に金大中大統領の提案で設立されたEAVGⅠが10年経過し、再組織されたもの。EAVGⅡは、APT首脳会議の要請を受けて、東アジア地域統合のあるべき姿について検討を進めてきた
 EAVGⅡ日本代表である田中明彦氏の報告によると、東アジア経済共同体実現のため、『EAVGⅡ最終報告書』では、(a)単一市場と経済基盤、(b)金融の安定、食料・エネルギー安全保障、(c)公平で持続可能な発展、(d)グローバル経済への積極的な関与、という4つの柱を提示し、またそれらを具体的に推し進める方策として、東アジア地域包括的経済連携(RCEP)締結への支援、「東アジア通貨基金」設立への研究、などを提案することとした。

マハティール十番勝負 (3)ジェームス・ベーカーとの勝負

マハティール十番勝負 (3)ジェームス・ベーカーとの勝負
『日馬プレス』269号、2004年3月1日

欧米のブロック化を牽制
1990年12月10日、マハティール首相はマレーシアを訪問した中国の李鵬首相の歓迎晩餐会で演説し、次のように述べた。
「欧米経済のブロック化という不健全な傾向が強まっている。それが公正で自由な貿易を妨げようとしている。私は、出来ることならそうしたくはないのだが、欧米の経済ブロックに対抗するために、アジアも自分たちの経済ブロックを組織して、経済的結びつきを強めなければならないと考えるようになった。そこで中国は重要な役割を演じるべきだと信じている」
当時、欧州共同体(EC、1993年に欧州連合=EUに改称)は経済統合を推進し、一方アメリカはECのブロック化を牽制しつつ、着々と北米自由貿易協定(NAFTA)へ向けて動いていた。アメリカは、1988年1月にカナダと米加自由貿易協定に調印、1990年8月にはメキシコと自由貿易協定締結交渉の開始で合意した。その後、1992年8月にアメリカ、カナダ、メキシコはNAFTAの協定案に合意している。 続きを読む マハティール十番勝負 (3)ジェームス・ベーカーとの勝負

マハティール十番勝負 (2)ルック・イースト反対派との勝負

連載 マハティール十番勝負 (2)ルック・イースト反対派との勝負
『日馬プレス』267号、2004年2月1日

1961年の日本復興
「日本には、1945年の広島ショックのような政治経済的ショックが必要である」
1984年9月3日、マレーシアの『サン』紙は、このような刺激的表現で日本を批判した。日本の非関税障壁による保護主義を改善するためには、日本に大きなショックを与えることが必要だと主張したのである。
これは、マハティール前首相が貫いた、日本に学べというルック・イースト政策が大きく揺らいだ瞬間だった。この政策は、マハティールが首相に就任した直後の1981年7月に打ち出されたものだが、それは突然思いついたものではない。長年に亘って日本を研究してきたマハティールが到達した結論だった。
マハティールは医師時代の1961年に、初めて日本を訪れた。敗戦から見事に復興し、東京オリンピックの準備で沸き立つ日本をつぶさに見たときのことを、次のように振り返っている。
「日本人は信念を持ち、仕事に集中し、礼儀正しかった。車同士ぶつかると、双方の運転手が出てきてお辞儀をして素早く処理した。日本の列車が遅滞なく、正確に運行されているのにも深い感銘を受けた」(『毎日新聞』1999年7月5日付朝刊)。
与党UMNO追放中の1973年、マハティールはマレーシア食品工業公社会長を務めていたが、このときにも、日本の経営手法を自分の目で見る機会を得た。マレーシア食品工業は、主にパイナップル缶詰を製造していたが、マハティールは、日本の企業とブリキの買付けなどで自ら交渉した。彼は、日本企業と接触する中で日本の労働倫理、経営方法、組織などの効率性を実感したのである。 続きを読む マハティール十番勝負 (2)ルック・イースト反対派との勝負

アジア通貨危機報道・15年目の真実─読売新聞・林田裕章記者の報道を振り返る

いまから15年前の1997年、タイのバーツ下落に端を発したアジア通貨危機によって、マレーシア経済も苦境に陥った。このときマハティール首相は、通貨下落の引き金を引いたヘッジファンドなど投機家筋を厳しく批判するだけではなく、通貨取引規制を断行し、自国経済を死守した。後年、マハティール首相の採った政策は、世界のエコノミストの間でも評価された。
ところが当時、投機家筋サイドに立った欧米のメディアだけではなく、日本のマスメディアもその尻馬に乗って、マハティール首相を執拗に攻撃していた。特に顕著だった読売新聞シンガポール特派員の林田裕章記者の報道を振り返り、その意図について改めて考察する材料としたい。

①マレーシア孤立の危機 欧米敵視の株価策裏目 ASEM巡り東南アに亀裂
『読売新聞』1997年9月5日付朝刊、6面
【シンガポール4日=林田裕章】マレーシアが外交・経済両面で孤立の危機に陥っている。欧米の投機筋を締め出すための株式市場規制策が裏目に出て、株価下落に歯止めがかからないほか、来年四月のアジア欧州会議(ASEM)へのミャンマー参加問題をめぐっても、他の東南アジア諸国連合(ASEAN)各国との亀裂が表面化した。
七月のタイ・バーツ暴落をきっかけにした東南アジアの経済不安が続く中、マハティール首相は三日、株価の急落に対抗するため、優先的に国内投資家から株式を買い入れる目的で、六百億マレーシア・ドル(約二兆四千七百億円)にも上る基金を設置する方針を明らかにしたが、この際、「外国からの資金に頼る必要はない。問題はわれわれの力で解決できる」と述べ、欧米への敵意をあらわにした。
しかし、この基金設置政策については、欧米の機関投資家の間から、「マレーシアの国際市場での信用を落とすだけだろう」との反応が続出しているほか、フィリピンのデオカンポ蔵相も三日、「マレーシアの政策は害はあっても益はない。外国からの投資の冷え込みが長期間にわたることさえあろう」と語った。
実際、四日のクアラルンプール株式市場は一時一〇%近くの暴落となり、三日に外国投資への規制緩和など、マレーシアと反対の経済政策を発表したインドネシア・ジャカルタ市場と、明暗を分けた。
一方、ロンドンで開かれるASEM第二回首脳会議へのミャンマー参加をめぐって、クック英外相が一日、訪問先のシンガポールで「人権侵害の続くミャンマーの参加は認められない」と述べたことに対し、マハティール首相は、「ミャンマーへの差別はASEANへの差別だ。ミャンマーの参加が認められなければ、ASEANは首脳会議をボイコットすることになりかねない」と語った。
しかし、英国がミャンマーを拒否するだろうことは、ASEANにとっては織り込み済みで、インドネシアのアラタス外相は三日、「ASEMへの参加は国家単位のものであって、欧州連合(EU)との会合ではない」と指摘、先走るマレーシアにクギを差した。 続きを読む アジア通貨危機報道・15年目の真実─読売新聞・林田裕章記者の報道を振り返る