玄洋社は、明治12年(14年説もあり)に設立されたとき、福岡区本町(現在の福岡市中央区赤坂1丁目付近)にあったが、明治20年頃、西職人町(現在の同区舞鶴2丁目)に移転した。
写真は西職人町時代の玄洋社
団体・拠点名 |
設立時期 |
備考 |
振亞社 |
明治10(1877)年 |
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向陽社 |
明治11(1878)年 |
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玄洋社 |
明治12(1879)年 |
向陽社から発展。明治14年説もあり 続きを読む 興亜・維新団体設立時期 → |
玄洋社幹部で、孫文の革命を支援
鳩山由紀夫の曾祖父・寺田栄は、玄洋社幹部で、孫文の革命を支援した人物である。『東亜先覚志士記伝』には寺田について次のように書かれている。
「福岡県人寺田案山子の長男、安政6年11月を以て生れ、明治10年分れて一家を創立した。同15年明治法律学校を卒業し、司法官登用試験に合格して東京及横浜地方裁判所判事、京橋区裁判所監督判事、高崎区裁判所判事等を歴任し、明治30年1月衆議院書記官に任ぜられ、議事課長、秘書課長、警務課長等を経て大正6年5月衆議院書記官長に進み、同12年8月願に依り免官となると共に貴族院議員に勅選され、14年6月営繕管財顧問を仰付けられた。東亜の諸問題に就ては民間有志と志を同じくし、直接間接に力を致す所があった。大正15年1月病んで歿す。年68。男孝家を嗣ぐ、鳩山一郎夫人薫子はその女である」 続きを読む 鳩山由紀夫の曾祖父・寺田栄 →
独自の資源外交を展開
資源小国日本にとって、資源の確保は最も重要な外交課題の一つである。だが、資源外交を基軸にし、主体的な外交を展開した政権は少ない。こうした中で、田中角栄政権は異色だった。
田中首相は、1973年頃から、独自の資源外交を展開していた。まず同年秋、仏、英、西独、ソ連を次々と訪問し、石油、ウラン鉱石、天然ガス等の共同開発について議論している。 続きを読む 田中角栄の外交とアメリカ → |
独自の興亜論を展開
戦後のアメリカの対日政策の基本は、日本弱体化であった。だが、米ソ冷戦の開始によって、事態は180度変わった。「逆コース」といわれた通り、アメリカは、日本を反共の防波堤にすべくそれまでの日本弱体化政策を棚上げし、日本の復興を急いだ。
アメリカの矛盾は、ソ連封じ込めと興亜論封じ込めの両立を試みることから必然的にもたらされた。当時のアメリカの苦悩は、公開されたアメリカ政府文書でも裏づけられている。 続きを読む 辻政信とアメリカの対日心理戦略 →
G2直轄の秘密工作機関
キャノン機関とは、GHQ参謀第2部(G2)のチャールズ・ウィロビー少将が情報将校としてのジャック・Y・キャノン(Jack Y. Canon)の能力を買い、G2直属機関として組織した秘密工作機関で、本郷の旧岩崎邸に本部を構えていた。
1951年には、作家の鹿地亘を拉致監禁した。ウィロビー少将は、米女流作家アグネス・スメドレーがゾルゲ・スパイ事件に連座しているとにらみ、鹿地からスメドレーに関する情報を得たいとも考えたという(春名幹男「対日工作の系譜・その1(4)」『熊本日日新聞』1997年11月21日付朝刊)。 続きを読む キャノン機関 →
戦争犯罪宣伝作戦
アメリカによる日本の言論統制の目的は、戦前の日本の行為を全て悪、連合国の行為を全て善とする一方的な考え方を日本に浸透させることにあったのではなかろうか。
日本政府の行為も、在野の興亜論者の行為も、アメリカに不都合なものは、全て悪とされたのである。この占領期に行われた言論統制は、徹底したものであった。現在、興亜論者の正義の行動が容易に受け入れられないのも、この言論統制の後遺症なのか。 続きを読む 占領期の言論統制 → |
ロゴスとパトスの統合、理性・言語と感情・イメージの統合を目指した思想家・三木清が見直されつつある。
アジア伝統社会の原理と西洋近代の自由主義、アジアの神秘的「知」と西洋近代の合理的「知」の対立を超えて、新しいアジア社会、新しいアジア的「知」を形成するための思想として、いまなお三木の思想から学ぶべき点が少なくないからである。中村雄二郎氏ら日本を代表する哲学者たちは、西田幾多郎とともに三木の問題意識に触発された部分が小さくない。
続きを読む 三木清の思想 → |
『維新と興亜』編集長・坪内隆彦の「維新と興亜」実践へのノート