「西洋近代への抵抗」カテゴリーアーカイブ

西脇文昭氏の外交論

対等願望に注目

 西脇文昭氏の「21世紀日本外交のグランド・デザイン」が話題になっている。もちろん、この論文には「個人的見解」との断わりがついているが、防衛大学校助教授によるこの論文が外交防衛政策関係者に与える影響は、決して小さくはないだろう。 続きを読む 西脇文昭氏の外交論

アジア・アフリカ会議最終コミュニケ

1955年4月にインドネシアのバンドンで開催されたアジア・アフリカ会議の最終コミュニケ抜粋

「アジア・アフリカは偉大な宗教と文明の揺籃の地であった。この宗教と文明は自らの発展過程をたどりながら他の宗教や文明を豊かなものにしてきた。したがってアジア、アフリカの文明は精神的、世界的基盤の上になりたっている。不運にもアジア、アフリカ諸国間の接触は過去数世紀にわたってさまたげられてきた。 続きを読む アジア・アフリカ会議最終コミュニケ

鬼倉足日公とすめら教

青柳種信と辛島並樹

明治時代になって神祇伯は廃止され、白川家も子爵になった。やがて、第33代の白川資長の代で白川家は絶家となってしまう。しかし、伯家神道はいくつかのルートで伝承されていた。その1つが、第30代の雅寿王によって伝授された青柳種信のルートである。 続きを読む 鬼倉足日公とすめら教

大日本殉国会

「外部ノ物質的援助ヲ仰ガズ」

 華々しい活躍はしなかったものの、無私に徹した運動を志していた維新団体として知られているのが、大日本殉国会である。
大正15年2月11日、古着屋を営んでいた増井潤一郎が旗揚げした団体である。増井は新潟県高田の出身で、小学校の教師をしていた父から武士的教育を受けるとともに、漢学を仕込まれて成長した。増井の脳裏には、父から教えられた『日本外史』をはじめとする著書に示された楠一族の殉国物語が深く沁み込んでいた(荒原朴水『大右翼史 増補版』大日本一誠会出版局、1974年、100頁)。 続きを読む 大日本殉国会

玄洋社関連文献

関連書籍

著者 書名 出版社 出版時期
頭山満、的野半介、杉山茂丸、内田良平、夢野久作 玄洋社怪人伝――頭山満とその一派 書肆心水 2013年10月
頭山満 頭山満思想集成 書肆心水 2011年10月
石瀧豊美 玄洋社・封印された実像 海鳥社 2010年10月
頭山満、杉山茂丸、内田良平、犬養毅 アジア主義者たちの声〈上〉玄洋社と黒龍会、あるいは行動的アジア主義の原点 書肆心水 2008年4月
大川周明著、中島岳志編 頭山満と近代日本 春風社 2007年12月
立雲頭山満先生講評 『大西郷遺訓』出版委員会編 大西郷遺訓 K&Kプレス 2006
堀 雅昭 杉山茂丸伝―アジア連邦の夢 弦書房 2006
頭山満 頭山満言志録 書肆心水 2006 続きを読む 玄洋社関連文献

玄洋社写真

玄洋社は、明治12年(14年説もあり)に設立されたとき、福岡区本町(現在の福岡市中央区赤坂1丁目付近)にあったが、明治20年頃、西職人町(現在の同区舞鶴2丁目)に移転した。


写真は西職人町時代の玄洋社

鳩山由紀夫の曾祖父・寺田栄

玄洋社幹部で、孫文の革命を支援

鳩山由紀夫の曾祖父・寺田栄は、玄洋社幹部で、孫文の革命を支援した人物である。『東亜先覚志士記伝』には寺田について次のように書かれている。
「福岡県人寺田案山子の長男、安政6年11月を以て生れ、明治10年分れて一家を創立した。同15年明治法律学校を卒業し、司法官登用試験に合格して東京及横浜地方裁判所判事、京橋区裁判所監督判事、高崎区裁判所判事等を歴任し、明治30年1月衆議院書記官に任ぜられ、議事課長、秘書課長、警務課長等を経て大正6年5月衆議院書記官長に進み、同12年8月願に依り免官となると共に貴族院議員に勅選され、14年6月営繕管財顧問を仰付けられた。東亜の諸問題に就ては民間有志と志を同じくし、直接間接に力を致す所があった。大正15年1月病んで歿す。年68。男孝家を嗣ぐ、鳩山一郎夫人薫子はその女である」 続きを読む 鳩山由紀夫の曾祖父・寺田栄

田中角栄の外交とアメリカ

独自の資源外交を展開

 資源小国日本にとって、資源の確保は最も重要な外交課題の一つである。だが、資源外交を基軸にし、主体的な外交を展開した政権は少ない。こうした中で、田中角栄政権は異色だった。
田中首相は、1973年頃から、独自の資源外交を展開していた。まず同年秋、仏、英、西独、ソ連を次々と訪問し、石油、ウラン鉱石、天然ガス等の共同開発について議論している。 続きを読む 田中角栄の外交とアメリカ

辻政信とアメリカの対日心理戦略

独自の興亜論を展開
戦後のアメリカの対日政策の基本は、日本弱体化であった。だが、米ソ冷戦の開始によって、事態は180度変わった。「逆コース」といわれた通り、アメリカは、日本を反共の防波堤にすべくそれまでの日本弱体化政策を棚上げし、日本の復興を急いだ。
アメリカの矛盾は、ソ連封じ込めと興亜論封じ込めの両立を試みることから必然的にもたらされた。当時のアメリカの苦悩は、公開されたアメリカ政府文書でも裏づけられている。 続きを読む 辻政信とアメリカの対日心理戦略