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『大亜細亜』(大アジア研究会発行)第二号刊行

 平成28年10月30日、『大亜細亜』(大アジア研究会発行)第二号が刊行された。
 巻頭論説「トランプ大統領就任の意味と興亜の使命」は以下のように結んでいる。
 〈…今後の国際社会は国益と謀略に翻弄される時代になると書いたが、それは謀略渦巻く世界観に甘んじるということではない。国益と謀略の時代もまた、パワーポリティクスに基づく西洋発の世界観に他ならないからだ。短期的にそういう時代の到来への備えを怠ってはならないが、同時に長期的に西洋発の近代的価値観を克服する遠大な理想を抱かねばならない。
かつて我が国の先人たちは、単なる国家の生存を超えた理想を胸に抱き、その実現に邁進してきた。その代表的存在である興亜論は、国家や民族の自生的秩序を重んじ、各その処を得る共存共栄の秩序を「八紘為宇」の理想に求めた。謀略渦巻く国際関係の中で、「自由、民主主義、人権」に代わる旗印を掲げることは、われわれに課せられた崇高な使命であると信じる〉

目 次
 1面 トランプ大統領就任の意味と興亜の使命
 2面 樽井藤吉―「和」の精神により『大東合邦論』を唱えた(坪内隆彦)
 6面 アジア主義に生きた杉山家の伝承②(杉山満丸)
 10面 「東洋経綸」の魁、平岡浩太郎(浦辺登)
 12面 柳宗悦のアジア的価値観 (小野耕資)
 14面 大アジア主義と 崎門学の関係(折本龍則)
 16面  「筑紫都督府」と 大宰府の成立(山本直人)
 18面 西洋近代思想への抵抗 (坪内隆彦)
 19面 時論 外国人労働者問題 から見る目指すべき大道の覚醒 (小野耕資)
 22面 史料・『東洋学館趣旨書』
 23面 連載・大アジア医学の なかの日本②(坪内隆彦)
 24面 アルテミオ・リカルテ 生誕百五十年記念祭開催報告

アルテミオ・リカルテ生誕百五十年記念祭のお知らせ

 以下、大アジア研究会の「アルテミオ・リカルテ生誕百五十年記念祭のお知らせ」を転載する。

謹啓
 時下益々ご清祥の事とお慶び申し上げます。
 さて、今年はフィリピン独立の闘士、アルテミオ・リカルテ将軍の生誕百五十年です。リカルテは、今から百五十年前の一八六六年十月二十日、ルソン島最北端のバタックという町で生まれました。当時のフィリピンはスペインの植民地支配に苦しんでおりましたが、やがてスペイン本国の衰退に伴い、独立の気運が昂揚し、ついに一八九六年には最初の革命蜂起が勃発します。リカルテはアギナルド将軍率いる革命軍と共に戦い、米西戦争によってアメリカが新たな侵略者となるや、アメリカとの戦争を指導しました。
  この米比戦争の結果、アメリカは百万人ものフィリピン人を虐殺し、一九〇二年にフィリピンを軍事制圧して以降は、過酷な植民地支配を行いました。捕らわれの身となったリカルテも、長きに亘る牢獄生活を強いられましたが、一九一四年、宮崎滔天や犬養毅、頭山満といった有志たちの計らいによって我が国に亡命し、横浜山下町に居を構えて静かな余生を送っていたのです(この縁にちなみ、戦後、横浜山下公園の一角にリカルテ将軍の記念碑が建立されました)。
 ところが、一九四一年に大東亜戦争が勃発すると、星条旗に唯一屈しなかったリカルテ将軍のフィリピン帰還を求める声が高まりました。当時のリカルテは七十五歳の老齢に達しておりましたが、意を決してフィリピンに帰還し、山下奉文大将率いる我が軍と共に戦いました。しかし我が軍の戦況が悪化し、山岳地帯での過酷なゲリラ戦を強いられるなかでついに病を発し、一九四五年七月三十一日、八十年の崇高な生涯に幕を閉じました。
 かくしてリカルテが、その悲願であったフィリピンの独立を見届けることはありませんでしたが、戦後フィリピンは独立を果たし、リカルテは祖国独立の英雄として讃えられております。またフィリピン解放のために、我が軍とリカルテが共に戦った歴史的事実は、日比両国にとってかけがえのない絆として記憶されるべきであり、将来における日比永遠の友好関係を約する偉大な歴史遺産であります。 続きを読む アルテミオ・リカルテ生誕百五十年記念祭のお知らせ 

フィリピンの志士リカルテ将軍と山下町の拠点

 かつて山下町南京街の一角(山下町149)に「ハリハン」というフィリピン・レストランがあった。
 この場所こそ、日本での亡命生活を送っていたフィリピンの志士アルテミオ・リカルテ将軍の拠点だった。多くの者がフィリピン独立の日を待ち望むリカルテ将軍を訪れて励ました。
 「人々は争つて将軍の亡命の心をなぐさめるためにやつて来て、将軍の健かな顔をとりまひて、過去の追憶や、現在の祖国の悲運や、悲観すべき未来のことなどを語りあふのだ。涙多き青年は、そこでフィリピンの独立の歌を唄ひ、慷慨悲憤の士は、拳で机を叩きながら叫ぶのだ」
 中山忠直『ボースとリカルテ』(昭和17年)には、「ハリハン」前でアゲタ夫人と娘たちと映る写真が掲載されている。

『大亜細亜』創刊の辞

 平成28年6月30日、折本龍則氏と小野耕資氏が主宰する大アジア研究会の機関紙『大亜細亜』が創刊された。
創刊号コンテンツ
●創刊の辞
●「笠木良明と『大亜細亜』」(坪内隆彦)
●「アジア主義に生きた杉山家の伝承」(杉山満丸)
●「王道を貫いた大三輪朝兵衛」(浦辺登)
●「陸羯南のアジア認識」(小野耕資)
●「大アジア主義の総説と今日的意義」(折本龍則)
●「インド哲学とシャンカラ」(金川雄一)
●「時論『価値観外交』の世界観から『興亜の使命』へ」(小野耕資)
●「史料『興亜会設立緒言』」(折本龍則)
●「大亜細亜医学のなかの日本①」(坪内隆彦)
●「リカルテ生誕一五〇年」

 以下、創刊の辞を紹介する。

 〈欧米型の政治経済システムの弊害が世界を覆うようになって久しい。それはデモクラシーとキャピタリズムの限界として露呈してきた。しかも、問題は政治経済に止まらず、人類の生命・生態系を脅かす様々な領域にまで及んでいる。
 人間生活を支える相互扶助・共同体機能の喪失、精神疾患の拡大に象徴される精神的充足の疎外、地球環境問題の深刻化などは、そのほんの一例に過ぎない。これらの問題の背景にある根源的問題を我らは問う。それは、行き過ぎた個人主義、物質至上主義、金銭至上主義、効率万能主義、人間中心主義といった西洋近代の価値観ではなかろうか。
 これらの価値観は限界に達しつつあるにもかかわらず、今なお、大亜細亜へ浸透しようとしている。新自由主義の大亜細亜への侵食こそ、その具体的表れである。亜細亜人が、時代を超えて普遍性を持ちうる、伝統文化・思想の粋を自ら取り戻し、反転攻勢に出る秋である。今こそ我らの生命と生態系を守るとともに、文明の流れ自体を変えなければならない。 続きを読む 『大亜細亜』創刊の辞

折本龍則氏「リカルテと日比の絆」(『レコンキスタ』平成28年5月1日号)

 一水会発行『レコンキスタ』平成28年5月1日号に、折本龍則氏の「リカルテと日比の絆」が載った。
ちょうど10年前の平成18年12月号『月刊日本』に、この歴史から消された志士リカルテの評伝を書いた(拙著『アジア英雄伝』に収録)。いま再び、リカルテの真価が日本人に理解されるようになることを強く願っている。

坪内隆彦「『東亜百年戦争』史観を発信せよ」(『伝統と革新』22号)

 『伝統と革新』22号(平成28年3月)に、拙稿「『東亜百年戦争』史観を発信せよ」を掲載していただいた。
明治維新を手本とした康有為、梁啓超ら変法派の日中連帯論、東亜百年戦争史観を提示した大川周明の『米英東亜侵略史』などにふれ、次のように結んだ。
 〈幕末の志士には、日中両国が国体を異にするとはいえ、「道を同じうする国」であるとの認識があった。
 かつて日本人が手本とした「堯舜の治」へ戻れというメッセージを、我々は中国に対して送り続けるしかない。その前に、日本人自身が、かつて康有為らが手本とした明治維新の精神へ戻り、国体を回復しなければなるまい。〉

玉川博己氏「三浦重周の思想~とくに国体論を中心として」

2016年3月に、三島由紀夫研究会事務局編『決死勤皇 生涯志士の人 三浦重周を語るシンポジウム』を贈呈していただいた。
玉川博己氏(三島由紀夫研究会代表幹事)の基調講演録「三浦重周の思想~とくに国体論を中心として」は、三浦重周氏の国体思想のうち、「戦後、国体は維持されたのか」という問題意識、そして「国体と皇道の発展は国境を超えるのか」という問題意識の重要性を指摘している。玉川氏は、三浦氏が今泉定助の世界皇化の思想に注目していたことを指摘した上で、次のように語っている。
「このように三浦重周が理想とする皇道とは、決して排他的、独善的な偏狭思想ではなく、明治以来のアジア主義の伝統を受け継ぎつつ、日本の歴史・伝統・文化に根ざす天皇を中心とするわが国体の倫理性と普遍性をあまねく世界に宣布してゆこうというスケールの大きな考えに立脚するものです」
三浦氏の国体思想を改めて研究する必要があると痛感した。

日中対立打開の道─葦津耕次郎『日支事変の解決法』⑤

 葦津耕次郎は昭和13年に刊行した『日支事変の解決法』において、次のように書いている。
(④より続く)

〈附 記
一、我政府当局ガ、前記、解決法ヲ善トシ、良トスルナラバ、速ニ、我国ヲ道義国家ニ更正セシムベキ具体案ヲ確立シ以テ勅裁ヲ仰ギ、其ノ要領ヲ、中外ニ声明シ、更ニ、日支両国人ノ敬慕スル高徳ノ偉人ヲ撰ミテ、渡支セシメ、我国ノ真意ヲ明示スベキデアル、若シ、如斯ンバ、蔣介石ハ、勿論、支那四億ノ民ハ、挙テ、仰天、俯地、感謝感激シテ、特使ヲ迎ヘルデアラウ。
一、我国思想ノ左右スルハ、我国ノ、政治及教育ガ、國體ニ悖リ、国民性ニ反スルカラノ、反射的所産デアル、現在ノ政治及教育ヲ、此儘ニシテ、徒ニ、法律ヲ以テ之ヲ抑圧セントスルガ如キハ、源泉ヲ濁シテ、末流ヲ清メントスルモノニシテ、其ノ愚モ亦甚シキモノデアル。若シ、我政府当局が反省自覚シテ、日本本来ノ自性タル、道義国家ノ顕現ニ努カスルナラバ、国内ニ於ケル左右思想ノ如キハ直チニ雲消霧散スルハ勿論、ソ聯ノ如キモ遂ニ我ガ皇風ニ醇化サルルデアラウ、況ヤ他ノ万邦ニ於オヤデアル。

昭和十三年六月三日(稿)〉

日中対立打開の道─葦津耕次郎『日支事変の解決法』④

 葦津耕次郎は昭和13年に刊行した『日支事変の解決法』において、次のように書いている。
(③より続く)
〈一、官公吏ハ、日支共ニ、総テ、慈悲行(親切)ヲ以テ生命トセシムベキデアル。
人類ノ平和幸福ハ、唯一途、慈悲行ノ交換ニヨリテノミ之ヲ顕現スルヲ得ルモノデアル。故ニ、官公吏ノ生命トスベキハ慈悲行(親切)ノ実践デナクテハナラヌ、法律規則ハ、慈悲行ヲ顕現スル為ノ手段デアリ、方便デアル、若シ官公吏ガ、慈悲行ヲ忘レテ、法律規則至上主義ニ陥レバ、官公吏ハ、冷酷トナリ、不誠意トナリ、無責任トナリ、国民ハ、法ヲ免レテ恥ズルナキ、破廉恥漢トナルモノデアル、殷鑑遠カラズ、我日本ノ現状ハ、明確ニ之ヲ示現シツヽアルノデアル。
一、教育ハ、日支共ニ、総テ道徳ノ実践躬行ヲ以テ、生命トセシムベキデアル。
教育ノ目的ハ、人類ヲシテ、慈悲ノ行者トシテ、利用厚生ニ貢献セシメンガ為デアル、故ニ、如何ナル学府ト雖モ、道徳ヲ実践躬行セシメザル教育ハ、有害無用デアル、殊ニ、形而上学ニ於テ甚シトナスモノデアル、秦ノ始皇ガ、書ヲ焚キ、儒者ヲ穴ニセシハ、之ノ弊ヲ匡正セントセシモノデアル、目下日本、支那共ニ有害無用ノ教育ニ堕落シテ居ルノデアル。
前述ノ方策ハ、畏クモ、天照大御神ヲ初メ奉リ、天地神明ノ神慮ニシテ、八幡大神、敵国降伏(言向ヶ和ス)ノ神慮タルヲ疑ハヌノデアル、切ニ、我国、大官顕職ノ猛省ヲ望ムノデアル。〉(続く)

日中対立打開の道─葦津耕次郎『日支事変の解決法』③

 葦津耕次郎は昭和13年に刊行した『日支事変の解決法』において、次のように書いている。
(②より続く)
〈一、支那ヲシテ、道義国家タラシムルニハ、支那ノ国政ノ基礎ヲ家族制度ニ置カシメ、親心政治タル、堯舜政治ヲ、顕現セシムベキデアル。
 一家ハ、親(家長)ヲ以テ、絶対的、綜合、調和、統一者トシ、一家ノ家長ハ、一村ノ親(村長)ヲ選挙シ、一村ノ親(村長)ハ一郡ノ親(郡長)ヲ選挙シ、一郡ノ親ハ、一県ノ親(県長)ヲ選挙シ、一県ノ親ハ。一国ノ親(大統領即ち堯舜)ヲ選挙スルノデアル。(コヽニ選挙トハ必ズシモ投票選挙ヲ意味スル者ニ非ズ)
親ハ、慈悲ノ本元デアル、国政ノ基礎ヲ親トスルハ、大慈悲国家ヲ顕現スル所以デアツテ、道義国家ヲ建設スル所以デアル。コレ、我國體ト合致シ、宇宙万有一貫ノ原理ト合致セシムル所以ニシテ、東洋平和ヨリ、世界平和ヲ顕現セシムル、唯一方途デアル、之ヲ、堯舜国家ト云フノデアル。
近来流行ノ、一国一党主義ハ、自ラ強要シテ、親タルヲ僣称スルモノニシテ、覇者ノ道デアリ、ナチスデアリ、フアツシヨデアリ、蔣政権デアル、断ジテ支那ニ許スベキデナイ。
欧米ノ如ク、個人ヲ基礎トセル、大統領選挙ハ、功利的、相剋的、非道義的ニシテ、闘争分裂ニ陥ル、我国現行ノ衆議院議員選挙法モ亦然リデアル、故ニ、其ニ支那ニ採ルベキ道デナイ、況ンヤ、日本ニ於テオヤデアル〉(続く)