「宗教思想・伝統思想」カテゴリーアーカイブ

高まるマレーシアの反米気運

 
 アメリカの政策に反対するマレーシア国民の声が高まっている。マハティール元首相がTPP反対の立場を鮮明にして以降、TPPを推進するアメリカに対する批判が強まっている。
 2014年4月下旬、オバマ大統領は、アジア歴訪の一環としてマレーシアを訪問するが、それに抗議するマレーシア国民が、4月18日に首都クアラルンプールにあるアメリカ大使館前でデモを行った。『イランラジオ』は次のように報じている。
 「アメリカとマレーシアは、490億ドル以上の貿易額を有し、互いに重要な経済同盟国と見なされています。しかしながらマレーシアの人々は常に、自国を含む世界のイスラム教国に対するアメリカの政策に抗議しています。マレーシアで行われた最新の世論調査によれば、マレーシア人の多くがアメリカに肯定的なイメージを持っておらず、折に触れてアメリカの政策への抗議を示そうとしていることが明らかになっています。昨年、マレーシアを含む多くの国に対するアメリカの諜報活動が暴露され、マレーシアの人々は反米デモを行うことで、同国におけるアメリカの干渉的な政策を非難しました。さらにマレーシア政府は、両国の関係者や国家主権に影響するあらゆる諜報・監視活動に反対すると共に、マレーシア駐在のアメリカ大使を呼び出し、この問題を追及しようとしましたが、これまでアメリカ側からの回答はありません」

忘却された経済学─皇道経済論は資本主義を超克できるか 四

四、成長するための生産=「むすび」
 皇道経済論者は、人間もまた、宇宙の創造に参画すべき存在と考えた。「むすび」の思想に基づいて、この点を強調したのが、作田荘一であった。彼は、古事記や日本書紀などの古典によって、わが国独自の道の真髄を悟り、「創造そのことを以て生活の宗旨となし、『むすび』の道を以て万事を統べ貫き、而も斯の道を行ふものが億兆心を一にする全体であることは、我等の古ながらの変りなき尊い伝統である。…『むすび』の道に随ふとき、始めて労働神聖の意義が明らかとなり、その実現が保証される」とむすびを強調した[i]
 一方、古神道に没入した東京帝大教授の筧克彦は、皇産霊神(高皇産霊神と神皇産霊神)は、創造、化育、生成を行う神様であり、人間の各々も創造、化育、生成の働きを、皇産霊神の下に行っていると説いた。
 筧の影響を受けた、農本主義者の加藤完治もまた、創造とは、我々が物を作るときに、命のない物に、我々の命を叩き込む、我々の魂をその中に入れることだと述べた。そして、化育とは、命のあるものと命のあるものとが向き合って一方の命が他の命を刺激し、これによって円満完全に発展させることだとした。彼は、「磨かれた精神を以て相手の生物に対する場合、相手は立派になる、相手を立派にするべく努力するその時の又此方の魂が磨かれて行く」とも述べている[ii]続きを読む 忘却された経済学─皇道経済論は資本主義を超克できるか 四

忘却された経済学─皇道経済論は資本主義を超克できるか 三

三、エコロジーに適合した消費の思想
 「万物は天御中主神に発する」という皇道経済論の考え方は、物の運用、管理、消費の仕方について独特の考え方をもたらす。一切のものを大切にし、無駄なく完全に活かしきるのである。
 例えば、岡本廣作は、日本国民は「大君のおんもの」である財産を、上御一人の御仁慈に応えるように活用しなければならないと説いた[i]
 無駄なく完全に活かしきるとは、それぞれの「勿体」(もったい)を活かすことにほかならない。「勿体」とは、もともと仏教用語で、その物の本体、価値などを表している。万物に価値、存在意義があり、それを活かし切ることを重視することを意味している。つまり、「もったいない」とは、そのものの価値を完全に活かしきれていないことをいう[ii]続きを読む 忘却された経済学─皇道経済論は資本主義を超克できるか 三

忘却された経済学─皇道経済論は資本主義を超克できるか 二

二、神からの贈り物と奉還思想
 「君臣相親みて上下相愛」する国民共同体を裏付けるものは、わが国特有の所有の観念である。皇道経済論は、万物は全て天御中主神から発したとする宇宙観に根ざしている。皇道思想家として名高い今泉定助は、「斯く宇宙万有は、同一の中心根本より出でたる分派末梢であつて、中心根本と分派末梢とは、不断の発顕、還元により一体に帰するものである。之を字宙万有同根一体の原理と云ふのである」と説いている。
 「草も木もみな大君のおんものであり、上御一人からお預かりしたもの」(岡本広作)、「天皇から与えられた生命と財産、真正の意味においての御預かり物とするのが正しい所有」(田辺宗英)、「本当の所有者は 天皇にてあらせられ、万民は只之れを其の本質に従つて、夫々の使命を完ふせしむべき要重なる責任を負ふて、処分を委託せられてゐるに過ぎないのである」(田村謙治郎)──というように、皇道経済論者たちは万物を神からの預かりものと考えていたのである。
 念のためつけ加えれば、「領はく(うしはく)」ではなく、「知らす(しらす)」を統治の理想とするわが国では、天皇の「所有」と表現されても、領土と人民を君主の所有物と考える「家産国家(Patrimonialstaat)」の「所有」とは本質的に異なる。 続きを読む 忘却された経済学─皇道経済論は資本主義を超克できるか 二

「忠恕」とは何か

 
「忠恕」とは何か。
「忠」とは自分の気持ちや心を尽くす「まごころ」。
「恕」とは自分の心を他者に推して「思いやる」こと。

孔子の弟子の曾子の言葉に、
 「夫子(孔子)の道は『忠恕』のみ」とある(『論語』里仁篇)。

中国三国時代の魏の学者、王弼は、
 「忠は、情の尽なり。恕は情に反りて以って物を同じうするものなり」と注釈している。
 「忠」は自分の気持ち(情)を尽くすことであり、「恕」は自分の気持ちを振り返り、物(他者)の気持ちを自分の気持ちと同一視することだと説明している。

そして、朱子の『論語集注』には
 「己を尽くすをこれ忠と謂い、己を推すをこれ恕と謂う」とある。

台湾道院・世界紅卍字会

 筆者は、平成14年6月、大本・人類愛善会の青年たちとともに台湾の道院を訪れた。

「フーチ」で神示を受ける
 道院が正式に設立されたのは1920年だが、すでに1916年頃から、山東省北部の浜県の県知事・呉福林が、同志達とともに役所に神壇を設け、中国に数千年の古来から伝わる自動書記法「フーチ」を用いて、神示を受けていた。ある日、呉福森と劉紹基の壇に、尚真人が降臨し、「老祖久シカラズシテ世ニ降リ、劫ヲ救ヒ給フ、寔ニ是レ数蔓年遇ヒ難キノ機縁ナリ、汝等壇ヲ設ケテ之ヲ求メヨ」(「劫」と劫害、劫劫火、劫風など。遠藤秀造『道院と世界紅卍会』東亜研究会、1937年、2~3頁)という神示があり、その数日後、老祖の降臨があった。やがてこの老祖が宇宙の主宰神であり、唯一最高の真神であることがわかったという(前掲書3頁)。 続きを読む 台湾道院・世界紅卍字会

『皇極経世書』で宇宙論的歴史観を展開した邵雍

 若林強斎先生の『雑話筆記』には、「易ノ先天の図も邵康節・朱子ノ手ヘワタツテコソ明ニラツ……」とある。
「邵康節」とは、北宋時代の儒学者、邵雍のこと。彼は李挺之から『易経』の河図洛書と先天象数の学を伝授された。先天象数とは、易卦の生変に関する学説に基づく次序や方位によって八卦、六十四卦を配した図。
邵雍は『皇極経世書』で壮大な宇宙論的歴史観を展開した。
なお、『皇極経世書』については川嶋孝周氏による『易學案内―皇極経世書の世界』がある。

「日満支の統一」は共通の原理で!─山田光遵『東洋国家倫理の原理と大系』

 山田光遵は昭和16年に刊行した『東洋国家倫理の原理と大系』(中文館)において、「興亜論」の一節を割いて、以下のように主張した。
 〈日満支三国が精神を同じうする事の為にはこの三国を通ずる精神の把握に先立つて、この三国を通ずる教の問題を考察せねばならぬ。精神は教から浸み出るものであるからである。日満支の文化の交流はすでに数千年の古に始まる所である。就中孔子教は支那をして支那たらしめたると共に日本をして日本たらしめた中枢的精神文化である事を思ふ時、日満支を通ずる精神を論ずるに当つて、先づ儒教に注目せねばならぬ。……然しながら現代我が国教学の中枢精神は儒教倫理そのまゝのものではなく、況んや全体主義の如き国家的利己主義ではなく、儒教倫理が中枢となりながら、而もそれが世界人類の不動の平和を目標とする所の八紘一宇の倫理にまで積極化、大乗化せられたものである事は刮目して見なければならぬ点であつて、アジヤの倫理は正にかゝる意味に於ける八紘一宇の倫理なる事を確信しなければならぬ。而してこの八紘一宇の同家倫理は結局興亜の原理として、日満支の統一原理として働くべきものであるが、それは各三国を離れた、或はそれらを超越してそれらを總括すると謂つたやうな原理ではなくて、各三国の内に内在し、それらを貫く枢軸であり、而もそれらに共通の原理たるべきでありて、彼の国際公法的な、外的強制的結合原理であつてはならぬのである。……即ち支那は支那として、満洲国は満洲国として、日本は日本として生々発展しつゝ而も一となつてアジヤ精神の中に活きて行かねば合体の意昧をなさぬのである。 続きを読む 「日満支の統一」は共通の原理で!─山田光遵『東洋国家倫理の原理と大系』

人類文明と儒家─杜維明の志

 杜維明については以前に「杜維明の思想」で言及したが、中村俊也氏は『新儒家論―杜維明研究』において、以下のように結論づけている。

 
 〈杜維明は、論著における結論として次のように述べる。それは、「共同して奮闘し、共同して価値を創造する」という観点の導く方向である。(三九五─一〇)
 「西洋文明が突出しているところは、まさしく、中国の伝統、儒家を以つて特色とする文明が有しないところにある。彼等の法律、個人主義、科学技術……これらはすべて、私達が学ばなければならない。しかし、百五十年以来、この文明は今度は私達の文化伝統となった。この文化伝統は、私達をして自己の伝統文化に対し断絶せしめた。(三九五─一一) 続きを読む 人類文明と儒家─杜維明の志

稲村公望「マハティールに見捨てられる日本」英訳

以下は、『月刊日本』2013年4月号に掲載された稲村公望先生のインタビュー記事「マハティールに見捨てられる日本」の全文英訳です。

The Japan That Dr. Mahathir Abandoned (?!)

INAMURA Kobo, Visiting Professor, Graduate School, Chuo University

(This is an excerpt from the April 2013 issue of Gekkan Nippon magazine.)

 

Japan, once the up-and-coming star for the countries of Asia

 

NIPPON: As someone who has struggled against neoliberalism, why is it that you have long taken note of the things that former Malaysian Prime Minister Dr. Mahathir has to say?

 

INAMURA: It’s because Dr. Mahathir’s words have included a strong message that can make we Japanese remember something important that we ourselves have forgotten.

Japanese society westernized after the war, and neoliberalism took hold with the end of the Cold War. As a result, the culture and civilization that the Japanese people themselves developed, along with the shape of the country supported by them, has been disappearing. Dr. Mahathir constantly offered words of encouragement: “Japanese, take pride in Japan’s traditional values!” “Use the power of Japanese civilization to develop the world!”

If I could speak without fear of being misunderstood, I would say that at one time Japan was like the big brother on which Malaysia could depend. In their younger days, it was a splendid older brother, and the younger brother learned many things. Once the older brother got his own household, however, he strayed from the path. His family didn’t have the power to stop it. The younger brother frantically cried out, “Brother, open your eyes!” The older brother should have quickly taken note of his younger brother’s strenuous cries.

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