尾張藩の本居国学①─三鬼清一郎編『愛知県の歴史』(山川出版社)には、三河地方への本居国学の浸透について、以下のように書かれている。
〈三河の場合には、当初、遠州国学との関係が深かった。東三河吉田(豊橋)の神主の鈴木梁満(やなまろ)や富商の植田義方(よしかた)は賀茂真淵に入門し、浜松の杉浦国頭(くにあきら)らと交友をもった。その後、天明四年に鈴木梁満は三河で最初の本居宣長門人となる。宣長存命中の門人は、寛政元年入門の鈴木重野(しげの 梁満の子)、寛政五年入門の吉田城内天王社神主鈴木真重(ましげ)や、寛政六年入門の八名郡大野村(新城市)の戸村俊行、寛政十年入門の渥美郡亀山(田原市)の井本常蔭(つねかげ)ら八人であった。鈴木真重は吉田藩主で老中となった松平信明(のぶあきら)の和歌の師をつとめた。戸村俊行は元禄期(一六八八~一七〇四)に京都の伊藤仁斎の門人となった戸村治兵衛俊直の末裔である。同じ戸村家の戸村俊長は本居大平の門人となっている。新城や鳳来寺門前周辺の好学の商人や村役人などの伝統のうえに国学への関心が広がったと思われる〉
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