「著作/文献」カテゴリーアーカイブ

山県大弐を称揚した久坂玄瑞

 久坂玄瑞は『俟采擇録』において、山県大弐についてこう述べている
「明和四年丁亥八月某日、山縣大貳節に死す。山縣嘗て柳子新論十三篇を著す。帷に永澤町に下し、徒を集めて兵を講じ、天朝を尊みて覇者を抑ふ。其志寔にあわれむべし。竟に幕府之を判じ、不敬の至り斬に處す。ああ高山仲縄・蒲生君平よりさきに既にこの人あり。今を距ること殆んど一百年、而して湮滅して顕れざる者、學者多くは罪を懼れ、死を愛顧し、敢て争はざるのみ、敢て言はざるのみ。」

『靖献遺言』謝枋得の章、真徳秀の件


「崎門学派の志と出処進退」(『月刊日本』2013年6月号)に、『靖献遺言』謝枋得の章、真徳秀の件を掲載しました
絅斎は、南宋第四代皇帝・寧宗を継いだ第五代皇帝・理宗(貴誠)即位の事情について書いています。一二二四年八月に寧宗が亡くなると、宰相の史弥遠は反対する皇后を脅し、貴誠を新帝として擁立したのでした。
このとき、寧宗時代に潭州の通判(州の政治を監督する官)を務めていた李燔が理宗には仕えようとしなかったのに対して、『大学衍義』の著者として名高く、大儒と仰がれた真徳秀(西山)は理宗に仕えたのです。これについて、絅斎は次のように書いたのです。
〈余竊かに疑う、徳秀の貴誠に事うる、大義に害あり、と。それ弥遠の逆、貴誠の簒、その罪、断乎として天地の間に容れざるなり。寧宗をして地下に知ることあらしめば、則ち当日北面して貴誠に臣たるもの、それ何の詞あって主を忘れ讎に事うるの責めを辞せんや。……徳秀、学術経済純正精覈、道学私淑の士に於いて傑出せるものと謂うべし。いまその出処に就きてこれを考うれば、則ち疑うべく恨むべき、かくの如きものあり〉
こう述べて、李燔を称えた上で次のように結んでいます。
〈それ嗣を立て世を継ぐは根本大体の関る所、人臣たるものここに於いて力を竭さざれば、則ちその余は観るに足らず、尤も死生去就を以て決せざるべからざるなり。ここを以て亦た竊かにここに附して以て君子を俟ちて訂す〉
この絅斎の記述について、絅斎門下の谷秦山は「これをここに論ぜられたは、絅斎先生の深い旨ぞ。何ほど学術がどう有っても、出処の損ねた学者は何の役に立たぬ。……学者たる者は、かような処に目を付け、吟味を致さないでは、存じよりもなう、いつ何時主殺しの徒になろうもしれぬ。それゆえ絅斎先生も力を入れて論じておかれた」

アメリカにとって日本語は脅威である

 
 TPPによって、「日本語自体が非関税障壁である」と言われかねないと指摘されるようになっているが、もともとアメリカにとって日本語ほどの脅威はなかった。彼らの本音は日本人から日本語を奪うことだった。
 江藤淳は、『日米戦争は終わっていない―宿命の対決 その現在、過去、未来』(昭和61年)に、次のように書いていた。

 〈人間は、たしかにものがなければ生きていけないけれども、同時に、ものをつくる技術を発展させるためにも、人間は、ことばがなければ一瞬たりとも生きることができない。
 ことばというものは、いわば人間をおおい、同時に吸う息と吐く息によって生命を維持させている空気のような、不思議なものです。このことばの世界にも、アメリカの占領者は、二重三重の掣肘を加えようとしました。
 ここで見逃せないのは、まずアメリカ人には、日本語ということばそのものが「脅威」と感じられていた、という事実です。
 日本語という言語は、アメリカ人から見ると、非常に習得しづらく、しかも見慣れぬ言語です。アメリカ人が日本人に対して抱く基本的な違和感は、日本人が東洋人であり、皮膚の色の黄色い異人種であるという感覚から発生すると考えられますが、それとほとんど表裏一体のものとして、不思議な言語をあやつる国民である、という違和感が存在する。……占領軍当局は、もし可能ならフィリピン統治に当たってそうしたように、英語を日本人に強制したかったに違いありません。 続きを読む アメリカにとって日本語は脅威である