『柳子新論』, 久坂玄瑞, 山県大弐, 明日のサムライたちへ 山県大弐を称揚した久坂玄瑞 2013年7月4日 坪内隆彦 コメントする 久坂玄瑞は『俟采擇録』において、山県大弐についてこう述べている 「明和四年丁亥八月某日、山縣大貳節に死す。山縣嘗て柳子新論十三篇を著す。帷に永澤町に下し、徒を集めて兵を講じ、天朝を尊みて覇者を抑ふ。其志寔にあわれむべし。竟に幕府之を判じ、不敬の至り斬に處す。ああ高山仲縄・蒲生君平よりさきに既にこの人あり。今を距ること殆んど一百年、而して湮滅して顕れざる者、學者多くは罪を懼れ、死を愛顧し、敢て争はざるのみ、敢て言はざるのみ。」