山鹿素行『中朝事実』2011年12月11日①

山鹿素行は『中朝事実』「神教章」で次のように書いている。
「我神の道は何も支那・朝鮮との交通が開けた後に存在するやうになつたのではない。天地の開け初めから神徳が行はれ、明らかな教戒が備はり、支那聖人の書物を知らなくとも、別に不足を感ずる点は毫もなかつた。折柄、他国との交通が開けたのを利用して、その長所を採リ、皇威の進展の一助としたのは、全く皇室の御心が広く、万物を受入れられる大御心の結果に外ならない。……我国が支那の道を一助として用ひ、国威を盛大にした事実は、広く日本の無比な地位を物語るものである」

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