時の権力は、自らの政治を正統化するために、過去の幕府政治を美化するものなのか。國體に照らして、その政治の在り方に批判の余地がある場合には、なおさら。
例えば、東條政権においても驚くような歴史の書き換えが行われていた。田中卓氏は次のように書いている。
〈……昭和十八年改訂の文部省の国定教科書『初等科国史』を取りあげることとしよう。その中に、道鏡が皇位を得ようとする野望にたいして、和気清麻呂が宇佐八幡の神託を奉答する有名なくだりがある。この箇所では、従来のすべての教科書に、必ず「道鏡は大いに怒つて清麻呂を大隅に流し、しかもその途中で殺させようとはかつた」ことが書かれてゐたのに、改訂版ではこれをわざと省略し、清麻呂の奉答によつて、「なみゐる朝臣は、すくはれたやうに、ほつとしました。あたりは水を打つたやうな静けさです。清麻呂のこの奏上によつて、無道の道鏡は面目をうしなひ、尊いわが国体は光を放ちました。」と、新しく美字麗句を書き加へてゐる。
また鎌倉幕府についても、創始者の源頼朝の尊王敬神を強調し、「頼朝は、鎌倉の役所を整へ、ますます政治にはげみました。」と、まるで幕府政治が天皇の大政翼賛であるかのやうな叙述に改められた。一方、倒幕を志された後鳥羽上皇の記事は縮小され、これまでの教科書で特筆されてゐた上皇の悲痛な御歌「われこそは新島守よおきの海のあらきなみ風こゝろして吹け」も、けづられてしまつてゐる〉
この「歴史の美化」という問題を鋭く指摘したのは、平泉澄先生である。平泉先生は、上の歴史書き換えがあった昭和十八年五月に発表した「国史の威力」(『日本諸学』第三号)において、「今日はまたおごそかに仰ぎ謹みて思ふ事なくして国体を説き、大義を叫ぶ者が少くないのであり、それは一方には国史の浅薄なる美化主義となり、一方にはその苛酷なる摘発主義となつてゐるのである」と批判した。
そして、平泉先生は、天皇の行幸の自由を奪っている徳川幕府に対する佐久良東雄の憤歌を挙げ、徳川幕府の宣恣僭越を指摘し、続けて次のように説いている。
「徳川氏にして猶かやうであつて見れば、その前に遡つて、足利といひ、北条といひ、倨傲不逞の状、推して知る事が出来やう。我々はそれを有りの儘に認めなければならぬ。認めて之を慙愧痛恨しなければならぬ。之を隠して示さず、之を蓋うて慚づる事なき者、即ち真実を愛せず、誠心をもたざる者は、歴史学の名を冒瀆して虚偽を弄ぶ者、到底歴史の門に入るを許されざる者である」
徳川幕府を美化すれば、明治維新の意義さえ見失ってしまう。そして、維新を目指して斃れていった志士たちの行動の意味さえもわからなくなってしまうだろう。