大川周明らは、大正十四(一九二五)年二月に行地社を設立した。ちょうどこの頃、上海の日系紡績工場では、幼年工虐待に反対するストライキが続いていた。そして、同年五月に同じ工場で組合弾圧に反対するストライキが起こった。しかし、労働運動の指導者顧正紅が射殺されてしまう。これに抗議する学生たちが逮捕され、五月三十日には、逮捕学生の釈放を要求する学生、市民、労働者のデモに租界のイギリス警官が発砲し、多数の死傷者と逮捕者が出た。五月三十日事件である。
これに抗議して六月一日から上海の労働者二十数万人がストライキに入った。この時に組織されたのが、工商学連合会である。工商学連合会は、十七項目の交渉条件を提出し、責任者の処罰、損害賠償、労働者の権利保障などを要求した。ここで注目すべきは、同時に彼等が、領事裁判権の取消し、外国軍隊の撤退を要求していたことだ。
こうした中国の動きについて、行地社同人たちが「民族的自覚の高まり」として肯定的に評価していたことは特筆すべきことだろう。例えば、満川亀太郎は同年七月に行地社機関誌『月刊日本』で次のように書いていた。
〈予は、今支那に起つてゐる出来事に対し、之を単なる「暴動」とか「騒動」とかの名の下に片付けて行くことが出来ない。此の事件の底には深淵なる支那国民の思想的潮流が渦を成してゐる。然らば其の思想的潮流とは何であるか。そは要するに支那国民の民族的自覚である。……然るに二十年間日英同盟の夢尚覚めやらず、依然として英国に引ずられて行くならば、亜細亜に於る日本の立場は全然破滅の外にない。日本は敢然として思想的に英国より独立し、進んで支那国民の自覚と国家の改造とに対して同情と理解と後援とを有たねばならぬ〉(「亜細亜興廃の断崖に立つ日本」『月刊日本』大正十四年七月)。
同じく行地社同人の長野郎は、『月刊日本』同号に次のように書いていた。
〈国民自覚の運動は内外両方面に発展して来たのである。先づ外部に対しては、
一、領土侵略に対する反帝国主義運動となつて現はれた。彼等は外交懸案が起る毎に声を大にして挙国一致を叫び檄を飛し、示威運動を試みた結果は、挙国一致の観念と支那の国家と云ふ感じを少からず支那人の頭に植へ付けたのである。一昨年反帝国主義聯盟が各地に組織されてから其運動は一層組織的な且つ深刻なものとなつた。
二、列国資本の争覇地となった関係上、列国資本侵略反抗の運動が盛んとなり、外貨の排斥や、外人経営工場の同盟罷業等頻々として起つて来た。……
三、列国の文化施設反対の運動である。列国の中で最も文化施設に力を尽したのは英米、殊に米国である。……彼らは欧米の文化施設を文化侵略と呼び、資本侵略の手先であると叫んだ。
対外的運動は大要右の通りであるが、要するに彼等の目的は完全なる国家の解放を得やうとするのである。従て列国の圧力を押し除けるため、領土的、資本的、文化的の侵略に反抗すると共に、一切の不平等条約即ち租界地、租借地撤廃、領事裁判廃止、自主的関税制度等を要求して居る〉(「支那の興国運動」)
大川は、大正十五年一月に「支那問題に対する一考察」と題して次のように書いていた。
「道理は如何にもあれ、支那が日本に対して反感を抱くのは、少くも人情の自然ではある。……然るに大隈内閣の二十一箇条要求が、甚しく支那の自尊心を傷けた時に当り、世界戦による日本の台頭を不利とする欧米が、陰に陽に支那青年に支持を与へたので、茲に排外運動の第一着歩として、手近き日本を排斥し初めたのである。二十一箇条要求は、もと支那保全を本願とせるもの、……条約の精神其者は期せずして亜細亜主義の要件となつて居る。さり乍ら其の要求の時機、要求の方法等が、支那人に不快の感情を激発し、之を因縁として連年排日運動の甚しきを加へ来つたのは、また止むなき次第である」(「支那問題に対する一考察」『東方公論』大正十五年一月)
このように、大川は対華二十一カ条要求について弁明しつつも、排日運動に理解を示していたのである。ただ、呉懐中氏は『大川周明と近代中国』で、次のように指摘している。
「行地社は理念や組織の面において、猶存社を継承した超国家主義団体であった。ただ、この時点て国民革命の動向を含めた中国の動きを感知し、それに対して確実なパイプと方法で接近していたという点において、猶存社を含めた左右両翼の陣営を超えた観があった。……国民革命運動について長野や佐々木(到一)ほど、正面から高く評価してはいなかった。しかし、五・三〇事件や関税会議以来、初期北伐運動までの中国民族運動の実態を、大川はある程度認識していたはずと思われる」
「長野 朗」カテゴリーアーカイブ
長野朗関連文献
書籍
著者 | 書籍写真 | 書名 | 出版社 | 出版年 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
武田知己・萩原 稔編 | 大正・昭和期の日本政治と国際秩序 | 思文閣出版 | 2014年1月 | 西谷紀子「長野朗の外事評論」収録 | |
平塚益徳著/長野朗著 | 近代支那教育文化史/支那の反帝国主義運動 | 日本図書センター | 2005 | (中国近現代教育文献資料集 佐藤尚子他編集、3 II . 欧米諸国の在華教育事業) | |
長野朗編著 | 支那事典 復刻 | 日本図書センター | 2003 | (中国問題資料事典 第2巻) 続きを読む 長野朗関連文献 |